夜中に目が覚めると

 夜中に目が覚めると、長男がスマホで遊んでいました。

 我が家の決まりごとは少なくて「夜は12時には眠る。電子機器は部屋の外に出す」これだけです。

 理由は、昼夜逆転の生活となってしまい、学校で寝てしまうからです。

 いや別に、成績がひどくなければ、まだいいのです。

 でも彼は赤点が4つもあり、1つでも赤点があると進級出来ないと言われているのです。ちなみにテストは近いです。


 わたしは、彼の成績が悪いため、学校に足を運びます。担任の先生だけじゃなくて、学年主任の先生とかカウンセラーの先生とも話します。






 ほんとうにしんどいのです。

 わたしなりに一生懸命育ててきたのだけど、どうして伝わらないのだろう? と思ってしまいます。わたしが悲しんでも泣いても、どうでもいいみたいです。

 夜、電子機器を部屋の外に出すために、わたしは眠れないのです。

 次男にはあまりとやかく言いません。

 なぜなら、夜はちゃんと寝ているし、赤点ほど悪い成績ではないからです。決して優秀じゃないけれど、でも楽し気に学校通っているし、勉強はやりたくなったらやればいいと思えます。ちなみに次男は数学が好きなので、「勉強したら?」と言うと、いつも数学をやります。英語は嫌いなのです(笑)。


 放っておけばいいと思うでしょう?

 朝起こすのもほんとうに大変なのです。

 部屋から出すのも大変なら、リビングでまた寝てしまうのでそれを起こすのも大変です。朝ごはん食べ終わって部屋に行き、また寝るのです。それを起こすのも大変です。


 もう勉強しない人生を歩めばいいから、早く学校を辞めたら? と言っても辞めたくない、といいます。

 でもたぶん、ほんとうに進級出来ないのです。

 とても勉強しているようには見えません。

 というか、何年も勉強している姿を見たことがありません。

 一生懸命頑張っていたら、たとえ結果がよくなくても、こんなに悲しい気持ちにはなりません。


 学費も交通費も制服代もただじゃありません。

 お金を何だと思っているんだろう? と思います。

 進学校なので、バイトすると退学です、たぶん。成績不良だし。

 バイトしていないから、お小遣いをあげているのですが、あっという間に何かに遣います。わたしは学校を辞めて、働けばいいと思います。


 家を出て独りで暮らして。

 きちんと家賃を払って。税金も払って。

 その上で、そんなに一日に何時間もゲームが出来るのなら、それでいいと。

 自立して働いているのなら、何も文句はありません。

 だって、彼の人生です。




 わたしの朝起きる時間は変わりません。

 昼寝も出来ません、基本的に。

 わたしの睡眠時間が少ないのはこういう理由です。


 わたし、ほんとうに、ある日突然死ぬような気がします。

 こんな生活をしていると。

 ときどき、それを彼に伝えます。でも、態度は変わりません。

 子どもに言われたことは全部受けとめなくてはいけないのだろうか。

 思春期の暴言は、どんなものでも受けとめられるのだろうか。

 母親だから。


 彼もつらいのだろうとは思います。

 だけど、わたしは代わりに生きることは出来ないし、自分の人生は自分で生きていくしかないのです。でもわたしだって、とてもつらい。母親は傷つかないし壊れないロボットだと思われている気がします。


 母親は何をされても、受けとめなければならないのだろうか。

 webでよく見る教育論が大嫌いです。



 死んでほしいなら、そう言って欲しい。

 死ぬから。

 じわじわ、何年も何年も、致命傷でないところに針を刺されている気分です。

 



 わたしには子育て無理だなあ、とほんとうに思うのです。

 わたしが『ノルウェイの森』を好きなのは、緑に深く共感しているから。それからレイコさんに。

 緑が「親の愛情はなかったわけじゃないけど、足りなかった」というようなことを言うのです。わたしはそれを読んで、長年のもやもやが晴れた気持ちになりました。まさにそうなのです。

 実際に「十分にお金をかけてやったのに(大学進学を指す)、何が不満なんだ?」と言われました。

 そうじゃない、そうじゃないんだ、と思いました。

 わたしは、わたしという人間を理解して欲しかったし(心の底から)、わたしがどんなふうに生きていきたいと思っているか、知って欲しかったのです。わたしは「わたし」という人間を肯定して欲しかったのです。


 でもそれは叶いませんでした。

 わたしという人間を理解しようとして分からなかった、どんなふうに生きていきたいか知ろうとして分からなかった、のではありません。

 そもそも、理解する気も知ろうとする気もないのです。

 或いは、「わたし」という人間自体、「わたしの生き方」なんていうもの自体、存在しているとは思っていないように感じます。


 わたしはずっと、子どもたちの安全基地になりたかったのです。

 自分には帰る場所がないから。

 安全基地なんてないから。

 

 だけど、とてもつらいです。


 わたしはわたしの人生をある地点で終わらせるつもりでいました。

 そのときの理由はいろいろですが。

 だけど、その前に妊娠したのです。

 それはこの上のない喜びでした。だから生きてみようと思ったのです。


 だけど、そのときの子どもにひどく傷つけられるのです。

 わたしの何が悪かったのだろうと自問します。

 答えはありません。

 いや、子育てをするべきではなかったのだという答えになります。


 どうして生きてしまったのだろうと思うのです。

 愛情を知らない人間が、子育てをしてはいけなかったのだと思うのです。そういうことを言われている気持ちになるのです。


『ノルウェイの森』で、レイコさんが、「ネジを巻いてくれる人間が必要なのよ」というようなことを言います。わたしもずっと、ネジを巻いてくれる人間が必要だと思っていました。

 だから、わたしが好きなひとではなく、わたしを好きなひとと結婚したのです。



 だけど、わたしのネジを緩める人間もいて、わたしのネジを巻いてくれるかと思った人間は、実はわたしのネジは巻けないのだと思っています。




 もっとずっと馬鹿で出来ない人間だったらよかった、と思います。

 家事も仕事も。

 わたしが「忙しい」という日は、食事をする時間が確保出来ないくらい、忙しいという意味です。そういう日が月に何日かあるわけですが、「今日は忙しいの」と言っても、別に何も変わりません。わたしのやることは減らないのです。

 この間、その「忙しい日」のタイムスケジュールを書き出したとき、我ながらよくやっているな、と思いました。

 そう、出来ない! となればいいのです。

 でもうっかり出来てしまって、乗り越えたらだいじょうぶな気持ちになるので、いけないような気がします。


 だけど、ずっとこうして生きてきたので、あまり疑問に思いませんでした。


 在宅勤務の旦那さんを見ていると、優雅でいいなあと思います。

 一時間に何度も煙草吸いに外に行くし、そうすると十分くらい休憩しています。お昼休みはかっきり休みます。それだけでなく、仕事中に寝ていることもあるし漫画を読んでいることもあります。


「家事をするために、仕事を効率よくやって早く終わらせようと思ったことはあるの?」

「そんなこと思ったことは一度もない」


 残業出来ていいわね、と思いました。

 在宅ではない日はいつも22時半くらいに帰宅します。

 でも絶対に、もっと早く帰れるはずなのです。

 

 彼が帰宅したとき、洗い物が残っていることもあります(力尽きた分だけ)。洗濯は彼にやってもらっています。

 さもさも大変そうに洗濯をします。

 ときどき、洗い物も嫌そうにしています。まるでわたしがさぼっているみたいです。

 ある日言いました。

「おれ、毎日洗濯もの干しているんだけど」



 分かっています。

 本心では、わたしが働いていることを軽んじていることを。

 理由は簡単で、年収がとても低いから。

「おれくらい稼げるなら、おれが家事をするよ」とか、「おれは稼いできているんだ」とか、うっかり発言しています。

 洗濯をするのも洗い物をするのも不本意でしょう。買い物もしているので。

 たぶん、すごく協力的な夫だと思っています。

 ちなみに、対外的にもそう思われています。




 とても羨ましいです。

 妊娠も出産もせずに子どもが持てて。

 男性優位の社会で男性で。

 少し手伝えば「いい旦那さん」で。




 生きているのって、馬鹿みたいって思います。

 どうしてわたしは生まれてきたのだろう? と思います。


 

 

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