自由について(呪いのこと)

「わたしとアンタは同じだと思っている!」


 母親に言われて、衝撃だった台詞の一つです。

 でも、なるほど、と思いました。

 娘(長女のわたし)は、自分と同じ考えだと思っているから、わたしがどんなふうに生きたいと思っているか、どんな人生を歩みたいと願っているか、そんなこと、聞いたりもしないのです。


 自分と同じだから。


 違うけど。

 しかも、かなり違うけど。いや、全く違うけど。


 うっかりね。

 ほんとうにうっかり、就職するところまで、親の望み通りに行ってしまったことも問題です。「自慢の娘だ」と言われたことがあるけれど、それは「親の望み通りに育っている娘だ」と同義語だったんだよね。我ながらいい子だったし。

 わたしの息子たちが謎の行動をするようになり、「私は子育てで大変な思いをしたことがない」とも言われました。うん、確かに、「学校行きたくない」とか「宿題やらない」とか、「赤点とる」とか、そういうことは全くなかった。悪い友だちもいなかったし、外面的には全くの優等生だった。成績もよかったし。


 成績もよかった、と書いたけど、飛び抜けて出来たわけではない。何しろ勉強しなかったし。

 わたしの親は、そんなもの望んでいないから、そこそこでいいのである。

 だって、親が望んでいたことは、「どこかの大学(短大)に行って、どこかに就職して、主婦となって子どもを生むこと」だったのだから。


「誰とでもいいから結婚して欲しい」

「結婚しなくてもいいから子どもだけ生んで欲しい」

「結婚すれば、働かなくていいから楽なのに」


 わたしはね、言いました。

 だったら、「高校出て就職しなさいって言えばよかったのに」と。「高学歴になると、結婚は遠のくよ」

 でも、変な話、勉強が出来る娘が自慢だった、という側面もあったのだと思う。


「アンタが結婚しないから、わたしは不幸だ」


 



 母は本当はもっと違う人生を歩みたかったのだと思う。

 そんな時代じゃなかったかもしれないけど、自分の不幸な物思いを子どもに押し付けるのはやめて欲しい。


 わたしは結婚しなくても不幸じゃないし、子どもがいなくても不幸じゃない。


 ずっとそんなふうに思っていました。

 苦しかったです。

 そういう、母の「わたしとアンタは同じだ」を、べりべり引き剥がして生きていったのが、大人になってからのわたしです。それがわたしにとっての「自由になること」の一面でもあります。


 大人になるってことは、やはり自由になることだと、わたしは思うのです。

 呪いを、あらゆる呪いをべりべりと引き剥がして、気持ちは軽くなってゆく。



 結婚して、県外脱出出来て、本当によかったです。

 物理的距離って大事。

 まあ、仕事もなくなったけどさ。



 ところで、「アンタ」という言葉があまり好きではありません。

 だからわたしは息子たちにも「あなた」と言う。

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