生と死について②

 わたしの両親はおそらく弱いひとたち。

 深い話をしたことがないので、想像でしかないけれど。


 というのは、わたしの両親は悪い人間ではないし、彼らなりにわたしに愛情をもって育ててくれたけれど、でも、守ってはくれなかった。無償の愛なんて、わたしは知らない。

 彼らは「臭いものには蓋をする」ことで、生きている。

 そのことが、とても不思議だった。

 こわくて聞けないの。


 どうしてなかったことにするの?


 一番の「臭いものには蓋をする」行動は、ひとの死だ。

 ちょっといろいろで詳細は書けないけれど、その死はなかったことにされた。


 どうしてなかったことにするんだろう?


 大人になってからの出来事だけど、「なかったことにされた死」があまりに強烈で、忘れられない。お通夜にもお葬式にも行けなかった。お墓の場所も知らない。関係的に、わたしが聞ける立場ではなかった。泣くことも出来なかった。


 そのことは、うちではタブーとなっていて、ぜったいに口に出すことは出来ない。

 だけど、黒く黒くわたしの中に残っている。



 わたしの両親は、「なかったことにされた死」のように、あらゆることを「なかったこと」にして生きてきている。


 どうしてなんだろう? どうしてちゃんと見ないんだろう?

 どうして、「なかったこと」に出来るのだろう?


 とてもとても不思議だった。


 でも、分かったの。

 両親は、弱いひとたち。

「なかったこと」にしないと、生きてゆけない。


 同時に分かったの。

 守って欲しいときに守ってもらえなくて、でもそれは仕方のないこと。

 守るべき能力も強さもなかったんだ。


 仕方がないこと。



 だけど、わたしはその「仕方がないこと」の結果、こころの中に埋められない穴がぽっかりと開いている。



 だけど、でも、同時にこういうことも分かっている。

 両親みたいな人間は特殊な人間なわけではなくて、むしろそちらの方が「一般的」であること。

 

 暗い思考は見てはいけない。

 悲しい出来事も見てはいけない。

 ぜんぶぜんぶ、「なかったこと」にして生きていく。

 深い思考はしない。

 表面だけの感情で生きていく。



 ずっと、わたしはわたしがどんなふうに生きていきたいか、聞いて欲しかったし、ほんとうのところ、アドバイスも欲しかった。

 だけど、「どんなふうに生きていきたいか」なんて、そもそもそういう発想自体が存在しないんだよね。だから、わたしの考えを聞くことも出来ないし、アドバイスも出来ない。ずっと、彼らが「出来ない」ことを、分からなかったし認めたくなかった。



 つよくなろう。

 つよくなろうと思う。


 そう思って、自分で自分を守って生きてきて、つよくなろうと思って生きてきて、たぶん、ほんとうにつよくなってしまった。

 いや、ときどきはダークサイドに落ちる。

 でも、それでもわたしはつよいと思う。タフだと思う。



 自分で自分を守って、家族を守って、そうして生きていこう。

 もっともっと、つよく在りたい。




 健康診断は行かないけど(笑)。

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