学校教育のこと

 長男が小学校に入って、衝撃を受けたのが、学校が勉強をする場所ではないことでした。そこは「みんなで楽しく遊ぶ場所」なのです。

 え? じゃあ、勉強はどこでするの?

「だから塾に行かせるのよ」

 なるほど。

 変だ変だと、ずっと思っていました。


 一年生で習う漢字を学校では全部学習しないまま、一年生は終わりました。

(持ち帰ったプリント見ても、全て音読みが書かれていなくて、音読みは一年生ではやらないのだろうか? と思っていたのです。)


 もっとも、問題は漢字だけではなくて、学業全般にわたっていました。というのも、学校に行きたがらなかったので、理由を聞いて「じゃあさ、休み日を決めて休んだら?」と、休ませていたのです。

 いい加減ですみません。


 でも、先生にいじめられていたし(当時は算数が出来たので、算数の授業中に答えを言っちゃって、嫌われた)、カタカナ勉強するよりどんぐり拾いだし、いや、楽しく通えていればいいんだけど、友だちとのトラブルも先生が悪化させるし、行かなくてもいいんじゃない? と、うっかり思ってしまったのですよ!

(カタカナに関しては「すみません、カタカナ、出来ませんでした!」と懇談会のときに謝られた。……は? と思った。どんぐり拾いしていて、カタカナ出来なかったんだって。)

 一年生のときの先生は、うちの息子を悪者にすることで、クラスをうまく運営していたのです。

 学校行く必要、ないですよね?


 そんなわけで、自分で教えることにしたのです。

 一年生のときのクラスは幼稚園よりひどい環境でした。


 でまあ、いろいろあって、わたしも「ああ、学校は勉強するところじゃないのね」と納得したのです。

 いや、ほんとうには納得していません。

 だって!

 だから、貧富の差が生まれるのでしょう? 公教育がちゃんとしていなかったら、共働きのおうちとか塾に通わせることが出来ないおうちとか、どうするんだよ、と思いました。

 わたしは在宅の仕事だったので、時間の調整がしやすかったのです。

 それから、中学までの勉強は分かるのもよかった。


 そんなわけで、わたしは表面的には専業主婦のように過ぎていきました。

 何しろ、子どもをなんとかしないといけなかったので。

 外に働きに行く時間はありません。


 でも、ぜんぜん後悔していません。

 だって、わたし以外の他の、誰も何もしてくれないから。


 この国は、ほんとうに子育てするには厳しい、としみじみ思っています。


「漢字を〇〇で攻略せよ‼」を書いていて、いやあ、わたし、頑張ったな! と思うのです。あの物語に書ききれなかったこともあります、たくさん。

 


 それでね、ものすごく頑張ってやってきたので、ときどき、ぷちっと切れちゃうんです。うん。



 公教育がもっときちんとしないと、貧富の差は広がるばかり。

 学校の先生、もっと優秀な人材であって欲しい。

 平行四辺形の公式を間違えている先生とか、ほんとうにいる。新出漢字間違えたり。でもまあ、熱意があって、子どもを導いてくれるならいいけど、そういう先生に限って、それもない。


 教員の給料を上げるべきだとわたしは思います。

 そして、問題のある先生に担任を持たせるのはやめて欲しい。

 教科担任制にもするといいと思います。


 やらないだろうけどね。


 まあともかく。

 小学校は、すごくいい先生もいるけれど、ありえない先生もいて、暗黒の場所でした。


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