子どもとわたしは違う人間なのである
子どもと自分(親)を同一視している人間は多いような気がする。
まさにわたしの母がそうだった。
「あんたとわたしは同じだと思っている」とか「あんたとわたしは同じ考えだと思っている」とか、真剣な顔で言われた。大人になってから。
どんなに、母親とわたしは違う人間だし、わたしにはわたしの生き方があるんだよ、と言っても、まったく通じなかった。
天晴れである。
まあ、そんなことから、わたしは「子どもとわたしは違う人間なのである」と強く思っている。つよくつよく。
母親という人種が、女の子には料理の手伝いをさせ、男の子にはさせないこと、或いは、女の子には家の手伝い等なんでもやらせ、男の子にはやらせないこと、そういう意識の作用には、「自分と子どもは同じだ」という無意識が作用しているんじゃないかと思う。女の子には「自分と同じように家事が出来るようになって欲しい」と願い、男の子には「お世話してあげたい」という意識が働くんじゃないのかな?
ところで、男子の母親には「息子が何を考えているか、学校で何をしているか、とにかく何でも把握したい」と思っている母親が多い。同性なら、推測出来るけれど、異性だから推測出来ないから。でも、「子どもは自分の一部」なのだから、知りたくなるのではないだろうか。
性別の違いがベクトルの向きを変えているだけで、女子に対する態度も男子に対する態度も、根っこはいっしょの気がする。
わたしは、子どもが隠していることはそのままでいいと思う。
学校内のことを全部知りたいとは思わない。
それこそ、超能力者のように息子たちの顔を見て、だいじょうぶそうならそれで構わない。
息子のことを、何もかも知りたい、という母親が多くて驚く。
わたしは別に知りたくないから。
知りたくない、というよりも、知るべきではないと思っているから。
何もかも暴き立てられたら、疲れちゃうんじゃないかなあ?
プリントを持って帰ってこなくて困るのは、息子であってわたしではない。
成績が悪くて困るのは、息子であってわたしではない。
人生を生きていくのは、彼自身なのである。
あ、だから、もし結婚したとしても、息子の新婚生活を全面的にフォローしたりしない。自分で生きていけ、と思う。
自分の足で歩いてこその、人生だ。
楽しく、自由に生きていけばいい。
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