ゴーストが囁くのよ

 お出かけ先で、「移植のために寄付を!」という活動を見かけた。

 移植医療はわたしには大変難しい問題で、未だ答えは出ていない。


 人間は果たして「部品」で出来ているのだろうか?

 そして、どこまでが「わたし」なのだろう?

 臓器は取り換え可能な「部品」なのだろうか?

 臓器に「わたし」はいるのだろうか?


 では、「わたし」はどこにいるのだろう?

 

 攻殻機動隊を見たことがあるひとなら、この「わたし」はゴーストのことである、というと分かりやすいと思う。ソードアートオンラインならば、「フラクトライト」である。

 とりあえず、意志のある「わたし」、「わたし」という認識そのもの、「わたし」が「わたし」であるという意識、そのようなものだとわたしは解釈している。


 もしかして、「ゴーストがいなくなった肉体」ならば、代替可能な部品足りうるのではないだろうか。その肉体は「わたし」ではないのだから。「わたし」が消滅してしまえば、その肉体はただの入れ物である。だから、臓器提供可能な「部品」となる。


 ゴーストの消滅はどうやって判断するのだろう?

「死」ってなんだろう?

 脳死は「死」なのだろうか。

 脳死すれば、ゴーストはいなくなるのだろうか。


 分からない。


 そもそも。

 そもそも、みんな、ゴーストを持っているのだろうか。果たして。

 電脳化されていなくても、ゴーストのない人間もいるのではないだろうか。


 だって、AI が選んでくれた本を受け取るサービスがあるんだよ? それって、思考をAIに任せているってことだよね? AIでなくても、SNSの情報を鵜呑みにする人間って多いよね?

 ゴーストが囁くのよ(草薙素子)

 ではなくて、

 AIが囁くのよ

 もしくは

 SNSが囁くのよ

 みたいな人間って、もしかしてたくさんいるのではないだろうか?

 そういう人間にゴーストはあるのだろうか、果たして。

 

 では、いったい「死」ってなんだろう?

「生きている」ってどういうことなんだろう?


 そもそも「人間」って何?



 さっぱり分かりません。


 ただ、「AIが囁くのよ」人間や、「SNSが囁くのよ」人間が存在することは確かだと思う。

 人間から思考力を奪ったのは、わたしは垂れ流しの動画(テレビ含む)だと思うし、そして教育だと思う。

 教育については書くと長くなるので、この辺で。

 

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