感覚過敏、ではなくて。

 わたしはYouTubeを見ることが出来ない。

 なぜなら、うるさいからである。

 わたしは本屋さんが好きで何時間でもいられるのだけど、とある本屋さんには短時間しか滞在出来ない。

 なぜなら、うるさいからである。

 店内音楽に加えて、とある箇所ではタブレットで広告が流れている。あのタブレットの広告がうるさくて嫌いだ。音もうるさいし、目の端で映像がちらちらするのも苦手。

 そんなわけで、わたしは電車に乗るとき、必ず耳栓を所持している。

 なぜなら、音漏れが我慢出来ないからだ。ちなみにゲーム画面で、光がちらちらするのも苦手。手や髪の毛で隠している。

 真っ白すぎる店内やエレベーターも目がちかちかして苦手で、長時間滞在出来ないし、イヤフォンで音声を聞くのも苦手。耳が痛くなる。

 ずっとmixiを楽しく使っていたけれど、ある地点から広告があまりに多くなり、しかもちらちらする広告、動画の広告、さらには色がどぎつい広告ばかりになり、遠ざかってしまった。今はもう、mixiで長い文章を書くことは出来ない。


 いわゆる「感覚過敏」にカテゴライズされるのだろう。

 しかし、わたしは主張したいのである。

 わたしは決して感覚過敏ではない。

 周りが単に鈍感なだけで、わたしは「普通」なのだ。

 谷崎潤一郎の『陰翳礼讃』をみなさん読んでみてください。

「暗がりがいいのだ」という主張が美しい日本語でなされている。

 イメージとしては、お寺が一番近いと思うけれど、そういう情景を思い浮かべられる人も、もう少ないだろう。葉の音や風の音、そういうささやかな音を楽しむような場面はほとんどないように思える。

 世界は暴力的な音と映像で覆われてしまった。


 谷崎先生、あなたの愛した日本は、日本の文化はもう消滅してしまいました。そして、それを認知している人もほとんどいないように思われます。あなたが現代に蘇ったら、神経症になってしまうことでしょう。


 まあそんなわけで、わたしは感覚過敏なのではなく、単なる古きよき日本人のこころを失っていないだけである。

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