空気を読むということ

「空気を読む」という言葉がある。

 わたしは実際、空気が読めない子どもだった。

 そして、大変苦しい学校生活だった。

 二十歳になるまで、わたしは人間関係に苦しみ続けたのである。何しろ、空気が読めなかったので。


 今、「読めなかった」と過去形で書いたけれど、現在自然に空気が読めるかというと、全くそんなことはない。「面とペルソナ」というタイトルの文章でも書いたが、わたしはたんに長く生きたため、経験則が身についただけのことである。だから、初めての事案ではうっかり失言をしてしまうし、正直ランチ会はあとからものすごく疲れる。その時間のことを全て思い返して、「ああ、あの発言は間違えた」だの「彼女のあのセリフは実はこういう意味だったんだ」だの、いろいろ反省してしまうので。(でも、ランチ会は有効なので必ず出席することにしている。理由はまた別の文章で。)


 大人になって分かったことは、空気が読めないなら、このありのままのわたしでOKなひとといっしょにいればいいということ。

 空気を読んでいっしょにいなければいけないひととつきあっていたら、身が持たない。だから、自由に発言出来るひとと友だちでいればいい。

 これがわたしの結論である。


 まあ、ただし、仕事とかつきあいとかの場面では仕方がないけれど。

 その際は、なるべく否定的な意見を言わず、でも同調出来ないことは同調出来ないので「へえ」などと誤魔化しておけばいいのだ。うん。

 あとは、天然ボケのキャラを活かしておけば万事OKなのである。


 ちなみにわたしが空気が読めないのは、いわゆるアスペルガーでADHDだからだとしみじみと思うのだけど、その話もまた後日。

 アスペルガーでもADHDでも、ちゃんと仲間がいるから仲間といっしょにいればいいのだと思う、という結論だけ書いておこうっと。そして、それは別に特別なことではなくて、ただの特性であり傾向だから、落とし穴に落ちないようにだけ気を付けておけばOKじゃない? とわたしは思っている。

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