内面を見て欲しい、という幻想

 よく、恋愛などで「内面を見て欲しい」というセリフを見かける。

 わたしは思う。

 随分自分に自信があるんだなあ、と。

 わたしは自分自身の内面に全く自身が持てないので、「内面を見て! そうしたら好きになってもらえるはず!」という発言は絶対に出来なかった。だって、性格悪いし、毒舌だし(大人になって緩和したけど)、ちっとも乙女じゃないし、空気読めないし、まあともかく「内面を見て欲しい」なんて言えないのである。おこがましいにも程がある。

 そこで若かったわたしは外見を磨くことに心血を注いだ。

 内面をなんとかするより、外見をなんとかする方が断然楽だ。

 内面なんてこじれまくっているので、ちょっとやそっとでどうにも出来ないのである。でも外見はメイクや服装で、結構なんとかなるもんである。もちろん、芸能人みたいな「かわいい!」にはなれないけど、その辺にいる「ちょっとかわいいかもしれない子」にはなれると思う。要は雰囲気の問題なのだ。


 ところで、今わたしはあまり外見に気を遣っていない。

 なぜならおばさんになったからである。

 おばさん、サイコー!

 まあでも、ダイエットしてみたりとか、きちんとした場面ではちゃんととりつくろったりとかはするけれど。

 若いときみたいに何が何でもきれいにしておこう! みたいなものはなくなった。

 なんてラクチンなんでしょう。ほほほ。

(「おばさんはどうして楽なのか」については別の話で書きます。)


 内面はどうかっていうと、大人になったのでそこそこ人間まるくなり、大人になったので空気を読めるふりが出来たり、様々な仮面の準備が出来ていたりするので、まあよいのである。

 内面が素晴らしくなったわけではないけど、なんていうか、生き抜く知恵がついたから大丈夫ってこと。

 そして、「おばさん」ポジションにいるから外見のハードルが低く、気をつけなきゃいけない場面で、ちょっと気を付ければいいだけなので、やっぱりラクチンなんです。


 外見は、自分が相手にどう見て欲しいかっていうアピールだよねって思ってます。

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