第48話
私はお姉ちゃんに憧れていた。ずっと笑顔で数えきれないほど多くの人々に力を与え続けた国民的なアイドル、桜井光に。私は彼女を追いかけた。でも走っても走っても、決して追いつくことはない。それどころか背中は遠くなっていき、気がつけば見失っていた。それでも走り続けた私だったけど、気づけば道を誤り自分でもどこにいるか分からなくなってしまったのだ。
そんな時、久保くんに出会った。そして私は驚かされることになる。久保くんは、純粋に桜井光を応援していた。私とは違って。
久保くんは桜井光を応援することで、一喜一憂を共有し勇気を得ていた。つまり彼は、桜井光から発せられる輝きを全身で受けていたのだ。でも私は違う。私は憧れると同時に、桜井光に嫉妬していた。そしてどうして自分はあんな風になれないのか。そうやってずっと自分を責めた。私は日陰から桜井光を睨んでいたのだ。部屋に揃えた大量のグッズも、最初は粗探しをするために集めた。でもそんな私のことも、桜井光は照らそうとしたのだ。気づけば、彼女の光がそばにあることに安心してしまっていた。
夏希や優馬、そして久保くんとカラオケに行った時、久保くんが精一杯桜井光の曲を歌おうとしていたことを思い出す。あのとき私は、思わず久保くんを助けるために彼女の曲を口にした。私が桜井光の楽曲をちゃんと声に出して歌ったのはあれが初めてだ。
良い曲だな。素直にそう思った感覚は今も鮮明に思い出せる。そしてそのとき私は、久保くんと同じように純粋に桜井光を応援できそうな気がした。彼女から力をもらいながら、アイドルとは別の道を行く。桜井光とは違う人生を歩む普通のファンの一人になれるかもしれないと思ったのだ。
でも私は生まれてからずっと不運だった。
ちょうどその頃から、桜井光は堕ちていったのだ。お母さんとお姉ちゃんの電話が増え、日を重ねるごとにお母さんのトーンは低くなっていく。私がどれだけ疑っても綻びを見せなかった完璧な理想像が、信じようとした瞬間崩壊し始めていた。そのとき私は何も信じられなくなったのだ。
ずっと自分を責め続けた。なんで責めているのかも分からずに。そうしていないと、目を逸らすことができなかったから。
でも久保くんが話しに来てくれた時だけは違った。彼の言葉や息遣いに意識を集中させ、何を話そうかと必死に考える。そんな時間だけはずっと暗闇へ沈んで行くだけだった私が唯一輝いていたときだった。久保くんは私にとっての太陽だったのだ。
でも………。でも、この世には日陰にいることを好む人間もいるのだ。久保くんは必死に私を照らそうとしてくれる。こんな日陰にいる私にも、なんとかして光を届けようともがいてくれた。それでも私は暗闇にいたい。早く、壊れてしまいたかった。もう何もかもどうでもいい。どこまでも堕ちて行きたい。楽になりたいんだ。
「好きだよ」
最後にそう言ってくれただけで、もうこの世に未練なんてなかった。私もずっと好きだったよ。
それはそうやって心の中で返事をして、柵から手を離した瞬間だった。
久保くんが柵を掴み、体を持ち上げこちら側にやってきたのである。
「何やってるの?」
考えるよりも先に言葉が出た。
すると久保くんは当然のことのように答える。
「僕は今幸せなんだ。五百木さんに会うまでは、桜井さんだけが生きる希望だと思っていた。でも、世界には明るいものがたくさんあるんだって気がついた。五百木さんのおかげだよ。五百木さんのおかげで、僕の人生は変わった。本当だ」
その言葉はスッと胸の中に落ちてきた。こんなことを言われたのが初めてだったから。私は、涙が出そうなのをグッと堪える。
「だから、もし五百木さんがここから飛び出そうとしているなら、僕も一緒に行きたい。僕はきっとあの世に行っても、生まれ変わっても幸せになれる気がするんだ」
そう言って久保くんは、身を乗り出してはるか下の地面を覗き込む。
私は気づけば、声を上げて笑いながら、泣いていた。面白くって仕方がない。久保くんがキョトンとした目でこっちを見てくる。私はその場に座り込んだ。
「ありがとう」
私は心を込めてそう言った。どうして久保くんはこんなにも、眩しいのか。彼の横にいるだけで、私の心は明るくなってしまう。
久保くんの言葉を聞いて、ある考えが浮かんできた。私にも生きる価値があるのではないかと。今が真っ暗闇の中でも、これから先も同じとは限らない。
何より、目の前に自分のことを受け止めてくれる人がいる。それはどんなに幸せなことだろうか。
久保くんは涙を流し続ける私を、温かい視線で見守ってくれていた。
私はそっと立ち上がる。そして、ゆっくりと久保くんの首に手を回した。久保くんの体はとても温かい。体重をかけてしまうと、二人一緒に落ちてしまいそうだったけど、久保くんは思っていた以上に力強くその場に立っていた。
そしてそっと私の背中に手を回してくれる。
後になってもなぜあんなことをしたのかは分からない。強いていえば、ただそうしたかったからハグをした。
そして私は、一歩間違えば堕ちてしまう崖の淵で、久保くんの耳元に口を近づける。
「私も、ずっと好きだった」
でもそれだけじゃ足りなかった。私はもう一度、声を上げる。
「本当に、ありがとう」
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