第43話

 ついさっき登ってきた竹藪を降り、習字教室を通り越して、さらに住宅街も抜けた。三人とも無言で、ペダルを踏む足に意識を集中している。

 やがて大通りに出て、しばらく真っ直ぐな道が続く。歩道の幅も広くなったが、僕たちは縦一列に並んで自転車を走らせていた。先頭は浜田さん、次に優馬くんで、最後尾が僕だ。大通りに出たことで曲がる必要がなくなり、浜田さんがスピードを上げる。

 優馬くんはまだ曲がることが得意じゃないようで、道を折れるときはいつも減速した。僕も浜田さんも気にしてなかったが、角を曲がるたびに優馬くんは僕たちに謝る。

 しかし、直進は難なくこなせるようで、むしろサッカー部で筋力のある優馬くんは浜田さんにピッタリと着いて行き、僕が離されそうになるくらいだ。

 さらに住宅街よりも街灯の数が増えて、足元も明るく安心して速度を上げ易い。そうやって僕たちは学校までの道のりを急いだ。夜の風が髪を撫でて、後ろに流れ去っていく。額に浮かんだ汗が冷たい空気に刺激されるが、それ以上に内側から熱が湧き上がってきた。

 進めば進むほど、車道を走る車の数も減ってくる。気がつけば建物も少なくなっていて、首を振るとあたりには田んぼしかない。

 僕は暗闇に目を凝らした。僕たちの学校も田んぼの中にぽつんと立っている。しかしそれは、また一つ向こうの田んぼで、まだまだ僕たちの視界に校舎は映っていない。

 やがて浜田さんが速度を落としていき、最後には歩道の脇で止まった。

「優馬、先行って」

 そう言って浜田さんが、畦道を手で示す。このまま大通りを進めば学校に辿り着くのだが、近道をするようだ。そして、ここからは舗装された道ではなく砂の上を行く事になるので、優馬くんが自由に運転できるように先を譲ったのだろう。その意図を理解したのか、優馬くんが、

「ごめん。ありがとう」

 と言って、先に畦道へ入っていく。その後を浜田さんが追い、僕も続いた。優馬くんはさっきまでよりは速度を落としたけれど、懸命に進み続けている。まだ乗り始めてそれほど経っていないのに、こんな不安定な道をこの速さで漕げるとは、やっぱり優馬くんは運動神経がいいみたいだ。むしろ、どうして今まで自転車に乗れなかったのかと思ってしまう。と、そんな感心をしている場合ではない。僕は慌てて置いていかれないように速度を上げる。今は、1秒を争う時だ。

 少し進むと、目の前に踏切が見えてきた。波風立てず生きていくがモットーだった僕は、最初に大通りの方のルートを覚えたため、こっちの道から登校したことはない。だから、こんな田んぼの中にも踏切があるのかと、新鮮な感覚を味わう。

 だがそのときだった。カンカンカンと、踏切が点滅し始める。そして今にも、バーが降りてこようとしていた。

 優馬くんは迷ったようだけど、渡り切ることに決めたらしく、スピードを急上昇させる。それに浜田さんが続いた。

 僕も、慌ててペダルを踏み込んだ。だが反応が遅れて、二人から距離をとってしまう。なんとか追いつこうと、太ももに力を入れた。

 そのタイミングで、踏切のバーが降り始める。僕は後先考えず、とりあえず使える力を全て導入してペダルを踏んだ。それに呼応して自転車が加速する。すでに優馬くんが踏切を渡り終えたことが、点滅している赤いランプのわずかな光で確認できた。続いて浜田さんも、踏切を出る所である。

 僕も必死に漕いだおかげでなんとか追いついて、浜田さんの真後ろにつけた。ここまで来ればもう安心だ。そう思ってふっと気を緩めた瞬間だった。

 目の前の浜田さんが突然視界から消えたのである。正確にいえば、道の真ん中を進んでいた浜田さんが方向を転換して脇にそれたのだ。まるで、何かを避けるように。

 そして次の瞬間、目の前に黄色いポールが現れた。僕は咄嗟にハンドルを切るが、間に合わない。

 暗闇に衝撃音が響いた。

 僕は自転車が倒れる寸前に、身を投げ出し、畦道に着地する。不幸中の幸いと言うべきか、怪我はなかった。

 しかし、すぐに自転車から降りた浜田さんと優馬くんが駆け寄ってくる。そして、自転車を起こしてくれた優馬くんが言った。

「だめだ、曲がってる」

 自転車を見ると、ハンドルとタイヤが逆方向に曲がっていた。試しに押してみても、タイヤは回らず、自転車はずるずると引きずられるだけである。

 その瞬間、心にいろいろな感情が雪崩れ込んできた。優馬くんや浜田さんも驚いたのか、何もいえず固まっている。

 せっかく遼と仲直りしたはずなのに、また信頼関係を損なうようなことをしてしまった。それに、五百木さんはこうしている間にも自殺する決心を固めているかもしれない。そして、僕のために二人を足止めしているのも申し訳ないと感じる。

 僕はなんとかしないと、と思うけれど頭の中が真っ白になって、思考がまとまらない。そんな僕を急かすように、踏切がカンカンカンと鳴り続けていた。

 やがて絶望的な雰囲気の中、一両のみの電車が騒音を立てて通り過ぎていく。それが去ると、余計に静けさが強調されて耳が痛かった。

 しかし、その時である。優馬くんが声を上げた。

「久保、俺のチャリ使ってくれ」

「えっ」

 僕はそう返すことが精一杯だった。

「正直、ずっと俺のせいで二人が全力で漕げないことに申し訳ないなって思ってたんだ。だから、このチャリは俺がなんとかするから、二人で学校向かってくれ」

「別に私は何も気にしてなかったぞ」

 浜田さんが言う。

「僕もだよ。それにぶつかったのは僕だから、僕が残るよ。早く二人で学校に向かってあげて」

 僕はそう言ったが、優馬くんは首を横に振る。

「いや、夏希と久保で行った方が速いだろ。今は凪沙のために、一番速い奴らが行った方が良い」

「確かにそうだけど………」

 理屈ではそうなのだが、僕は優馬くんに対して申し訳ない気持ちを捨てきれない。

 しかし、浜田さんは納得したようでもう自転車に戻ろうとしている。

 僕がどうしようかと動けないでいると、優馬くんが僕の肩に手を置いて言った。

「俺は久保のために言ってるんじゃない。凪沙のためだ。今は、自分のためでもお互いのためでもなく凪沙のために行動する時だろ?俺はあいつがいないと寂しい」

 その強い視線に、僕は頷いた。このままじっとしていたら、誰のためにもならない。僕は優馬くんに、一言返そうと思って口を開く。

「ごめ………、」

 そう言いかけてやめた。数時間前、自分が彩花さんに送った言葉を思い出す。

「ありがとう!」

 僕が言うと、優馬くんは、

「おう。任せたぞ」

 と僕の背中を強く叩いた。さすが運動神経のいい優馬くんだ。背中なかなり痛かったけれど、僕は確かに前へと押し出された。

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