第35話

 ドアを開けたのは、彩花さんだった。もうかなり見慣れた、華のある顔がいつも以上に曇っている。

「いらっしゃい」

 と掠れかけた声を出しつつ、彩花さんは僕を中へと促した。最近は、日を重ねるごとに五百木家の空気が重くなっているような気がする。それは、五百木さんが学校に来れなくなってから、時間が経ってきたからだろうか。

 彩花さんは僕をリビングへ招き入れると、無言のままテーブルの一角に座り込んでしまった。そして俯き、眉を顰めながら携帯を睨み始める。おばあちゃんは出かけているようだ。

 僕は頭を下げて彩花さんの前を通り過ぎ、階段を登った。重い雰囲気と、僕の心の軽さがまるで釣り合っていない。そのことに、不安を感じながらも、僕の足はどんどん五百木さんの部屋へ向かっていく。

 階段を登り切り、薄暗い廊下を進む。五百木さんの姉である希望さんが住んでいた部屋を背中にして、僕は目的地にたどり着いた。

 ドアの前で、拳を固める。これからの五百木さんとの会話が、かけがえのないものになることを祈った。

 そのとき、携帯の着信音が鳴る。乾いた音は、静かな廊下に反響した。僕はびっくりして、慌ててポケットからスマホを取り出す。

 するとドアの向こう側から、ふふっと笑う声がした。

 スマホの画面を確認すると、着信は五百木さんからである。LINEを開くと、

「着いた?」

 とだけ送られてきていたが、今の着信音で僕が部屋の前にいることは伝わったはずだ。だから、返信をするよりも声をかけた方が早いと思い、僕が勢いよく息を吸い込んだ時である。

 ドアが開いた。

 まず、銀色の取手が向こう側から力を加えられたようで下がっていく。そして、次の瞬間にはドアが少しずつ動き出し、部屋の光景が覗き始めた。

 僕は、何も言うことも、体を動かすことさえできず、ただ目の前で起こっていることを眺める。

 やがて、完全に開き終えたドアの向こう側に、五百木さんがいた。部屋着なのか、ラフなTシャツ姿だが、その様子は前に会った時と何も変わっていない。

 そして僕は五百木さんの奥、部屋の様子へ視線を移す。床にはパジャマや雑誌、教科書やプリントが氾濫していた。だが、そんなことは気にならないほど目に留まったものがある。それは、壁一面を覆い尽くす桜井さんのポスターだった。

 窓になっている面以外の全ての壁に、桜井さんがいた。特に、五百木さんが使っているのだろうベッドの上、天井には水着姿で浜辺に横たわる桜井さんの姿がある。そして、部屋は散らかっているのに、桜井さんのグッズの周辺だけは綺麗に保たれていた。そんな両極端なスペースが混在する部屋に、不思議な感覚がする。

 僕は再び五百木さんへ視線を戻すと、僕の目線を追っていたのか、目が合ってしまう。そして五百木さんは、唇をぎゅっと噛み締め、目を瞑った。僕はまだ、なんの言葉も発することができず、ただ五百木さんの姿を見守る。

 やがて五百木さんは決心したように、目を開けると、言った。

「引いた?」

 その声は震えていた。僕はゆっくりと首を横に振る。

「そんなことないよ」

 そこでやっと声が出た。自分でも驚くほど、自然に話せた気がする。しかし、五百木さんはそれに対して素早く首を横に振った。

「それはまだ、久保くんが私のことを知らないからだよ」

 五百木さんはいつものように明るい声を出そうとするが、上手くいかないようだった。

「どういうこと?」

 僕が聞くと、五百木さんが唐突に僕の手首を掴んだ。その手の冷たさが刺激的で、心臓のBPMが一気に上がる。五百木さんはそのまま細い腕で僕を部屋の中へと引っ張った。僕は五百木さんのパジャマを踏まないように、足を着地させる。すると、パタンと五百木さんがドアを閉める音がした。

 さらに、すぐ近くで五百木さんの声が聞こえる。

「見て」

 そう言われて振り返ると、ドアの内側の面に貼ってある二つの写真が目に入る。一つ目は僕があげた青空公園のものだった。僕の心に驚きと一緒に、嬉しさが広がっていく。

 しかし、五百木さんが見てと言ったのはもう一枚の方だ。

 それは一見ごく普通の写真に見える。小学生くらいの女の子二人が、ピクニックにでも行ったのだろうか、芝生の上に並んでねころがっていた。その表情からは、笑い声が聞こえてくる。

 五百木さんが、写真を見る僕の表情を覗き込んでいた。

 僕は目を細めて、もう一度よく写真を見る。すると、写っている女の子の一人は五百木さんであることが分かった。少し顔が変わっているようだが、面影がしっかり残っている。そして、もう一人の方に目を凝らした。

 じっと見つめていると、胸の中にもしかしてという思いが浮かび上がってくる。でも

 そんなことはあり得ない。いや、あり得なくもないのか。と様々な疑問と憶測が頭の中を飛び交う。

 それが表情に出ていたのか、五百木さんが言った。

「驚いた?」

 僕は写真から五百木さんへ視線を移す。その顔は、どこか悪戯っぽさと申し訳なさを含んでいるように見えた。

「これ、五百木さんと……桜井さん?」

 僕の問いかけに、五百木さんが頷く。

「そう。それは私が小学校一年生で、ひかりが五年生の時、一緒に遊びに行って撮った写真」

 そこで僕はある考えを思いついた。そして、それを口に出す。興奮していたのか、それとも緊張していたのか、とにかくふわふわした心地がして早口になってしまった。

「もしかして……桜井さんって実家がこの近くなんだよね?昔から知り合いなの?」

 それに対して、五百木さんは首を横に振る。割とありそうな事だと思ったけれど、違ったらしい。そうなると、この写真は一体どうなるのか。考えるように、腕を組もうとした瞬間だった。

 五百木さんが真実を告げる。

「私と桜井光は姉妹なの」

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