第33話

 ピンポーン、ピンポーン。

 昨日も、深夜まで五百木さんと電話をした僕は、インターフォンがなる音で目を覚ました。カーテンの隙間から、眩しい日差しが差し込んでおり、時計を見るまでもなく今がお昼近いことが分かる。

 父は土曜日にも関わらず仕事で、母も買い物に行っているのか誰もインターフォンに出る人がいないようだ。

 僕は仕方なく、ベッドから飛び起きると階段を駆け降りた。

 そうやって一階のモニターの前に立った瞬間、寝起きでぼーっとしていた頭がクリアになる。思わずモニターから一歩後退して、手を伸ばし、震える声で言った。

「は、はい」

 すると、低く芯のある声が返って来たのだった。

「あっ細貝遼です」

 僕がパジャマのまま玄関を開けると、遼の顔があった。以前も遼がこんな時間に来たことがあった気がして、懐かしい匂いがする。

「お前、まだ寝てたのかよ」

 ぶっきらぼうに言う遼に、僕は聞く。

「何しに来たの?」

 そう言うと、遼は黙って黒のウエストポーチから財布を取り出した。遼がしたいことが見えてこない。とりあえず玄関が閉まらないように手で支えておく。玄関扉の冷たさが、どんどん僕を目覚めさせていった。そのまま僕は、息を呑んで遼の様子を見守る。

 すると遼は、財布から札束を抜き取って僕に差し出してきた。

「えっ?」

 と僕が言うと、遼がめんどくさそうに説明する。

「桜井光の卒コンなくなっただろ。それでチケット代も返金されるから、お前からもらった金を返しにきた」

 遼は早口で捲し立てた。言い方は信じられないほど棒読みで、何があってもこいつが声優になる世界線だけはありえないと感じる。

 僕はもう一度、差し出された札束を見つめて言った。

「いらないよ」

 だが遼もそんなことで退くような奴ではなく、思った通りお金を僕の掌に押し付けてきた。

 僕は観念して、肩を落としながら口に出す。

「ありがと」

 チケット代を返した遼は、財布をウエストポーチにしまい、そのまま帰るかと思ったけれど、意外にも玄関前で立ち止まったままだった。しかし、口を開くこともなくただ地面を見つめている。

 僕は溜息を堪えながら、聞いた。

「まだ、何か用?」

 それに対して遼が一瞬眉間に皺を寄せるが、すぐに元の顔に戻って言う。

「お前、何がしたいの?」

 相変わらず、僕の目は見てこなかった。

「どういうこと?」

「チケット俺からもらって、誰かと一緒に桜井光の卒コンを見にいくつもりだったんだろ」

「そうだけど」

「誰と、何のために、行く予定だったんだよ」

 遼は、つま先でコンクリートをトントンと打っている。腕を組んで、ずっと一点を睨みつけていた。

「何のためって、普通にクラスメイトと一緒に観にいきたかっただけだよ」

 僕はいつもと同じトーンで言う。

「はぁ〜」

 すると、遼から随分と棘の詰まった溜息が漏れた。コンクリートを打つ爪先の速度が、どんどん速くなっていく。

「ただそれだけな訳ないだろ。お前は、友達とライブに行きたいがためだけに、人の家の前に何時間も居座って、チケットを横取りするような奴なのか?」

 そう言って遼は、僕をチラッと睨みつけた。

「お前、中学の頃、平凡で変化のない人生を送りたいとか言ってたじゃねぇーか。あれはそんなこという奴の行動じゃないんだよ」

 僕はそう言われて、彩花さんの顔を思い出す。彩花さんは僕に五百木さんを助けてほしいと言った。あの真っ直ぐな目を見て僕は、何をしたらいいのか分からないにも関わらずただ五百木さんを助けようと思ったのだ。

 そして、ドアを隔てて五百木さんと話すようになり、卒コンの存在を知って直感的に分かった。

 二人で桜井さんの最後の勇姿を見届ければ、きっと五百木さんを助けることにつながるだろうと。

 だから僕は何としてもチケットを手に入れなければならなかった。

 でも、本当にそうだろうか?今では確信が持てない。

 五百木さんは、大きな問題がないように思える。でもそれは僕が五百木さんのために何かしてあげられたからではない。もともと、五百木さんはそうだったのだ。

 でも、そんなことはどうでもいいとさえも思えてくる。卒コンは楽しみにしていた。けれど、たとえ行けなくなったとしても、今の関係が続くのであればそれで満足だった。

 それなのに、心のモヤモヤが投影されたように、全身がむずむずとしてくる。いっそのこと、強い痛みが欲しいとさえ思ってしまうほど、このソワソワした感覚は気味が悪い。

「分からない。自分でも、何のために、遼からチケットを譲ってもらったのか」

 最終的に、口から出たのはこんな言葉だった。

 すると、組まれていた遼の腕が解かれ、そのまま僕の胸ぐらを掴む。

「俺はお前の、そういう素直じゃなくてなよなよした所が嫌いだ」

 唾を飛ばしながら、そう吐き捨てると、遼は玄関の扉を叩きつけるように閉めて去っていった。

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