第26話

 遼の家は、歩いて10分ほどのところにある。自転車に乗ろうかと迷ったが、その時間すらもったい無い気がしてさっさと歩き出してきてしまった。

 目的地が近づくにつれ、なんとかなるという思いは薄れ、不安ばかりが濃くなっていく。もう遼とは一生関わることはないと思っていたのに、自分はなぜ彼の家へ向かっているのだろうか。

 そんなことを考えながらも、足は前に進み続け、気づけば目的地が見えてきた。すると、家の前の駐車場で自転車にまたがっている遼の姿が目に入る。

 いきなりの対面に、心臓の鼓動音が加速した。

 もうすぐ出かけるところなのか、遼は黒のウエストポーチを斜めに掛け、スマホをいじっている。

「遼」

 震える声で、僕は声をかけた。

 スマホから顔をあげ、僕の顔をとらえた寮の目が明らかに泳いだ。心底驚いたような表情である。

 だがすぐに遼は、睨みつけるような鋭い表情を作った。

「何しにきた」

 間を開けず、刺々しさを強調したような声が帰ってきた。

「ストーリーで見た。桜井さんの卒業コンサートのチケットを譲ってくれ」

 僕も自然と低く冷たい声が出た。別に僕は遼のことを嫌いだと思ったことはない。でもその場の雰囲気から体が勝手に言葉を出していた。

「誰が、お前なんかに渡すかよ」

 遼が感情のこもらない声で言った。ずっと、目の前の一点を見つめていて、こちらを見ようとしない。

 風が吹いた。

 冬になりかけの空気は、薄着で出てきた僕の肌を弄ぶ。

「どうしても、必要なんだ」

 チケット販売に落選して、一度は五百木さんと卒業コンサートに行くことは諦めた。しかし、再び道が見えて来ると、どうしても二人で桜井さんの最後の勇姿を観たいという思いが強くなる。

 どうせ嫌われているのだ。だったら、これ以上失うものなんてないんじゃないのか。

 そんな考えが頭をよぎる。

「わかってるよ。お前がしょうもない理由でこんなことをする奴じゃないってことは」

 遼も感情をとり戻してきたようだ。そして、この遼のセリフは僕の心に触れた。

「でもやらねぇよ。お前は変わってない。素直じゃなくて、秘密を作りたがる。それで、何か失敗したらすぐに逃げる。後処理もせずにな。俺はそんなお前が大嫌いだ」

 遼が彼らしくはっきりと嫌いという言葉を口にした。

「お金はちゃんと払う。なんなら倍出してもいい」

 僕は必死だった。

「金の問題じゃねーよ、ばーか」

 遼が吐き捨てるように言った。そんなこと僕もわかっている。でも頑張れば、桜井さんのライブに行けると知ってしまえば、もう引き返せない。

 しかし、そんな僕を嘲笑うかのように遼は自転車を漕ぎ出した。そして、僕の方を振り返ることもないまま走り去ったのだ。

「素直じゃない……」

 確かにそうかもしれない。昔から自分の意見をはっきり言う事ができなかった。いつも場の空気をよんで、周りに合わせたことを言う。それが本心とは違ったとしても。それがいけないことだと分かっていた。でも、勇気が出ないのだ。そうやって言い訳をして逃げ続けてきたことを正当化するために、僕は波風を立てずに生きることがモットーだと信じ込んできたのだった。

 これからどうしようか。

 遼に会うという大きな一歩を踏み出せはしたものの、まだチケットを手に入れてない。

 もう一度風が吹いた。

 寒さに思わず震えてしまう。一旦家に帰って、着替えたいなと思ったけれどそれではいけない気がした。奇跡は必ず苦しさを乗り越えた先にあると、桜井さんが言っていたのを思い出す。

 僕はその場に座り込んで、自らの体を抱くように縮こまった。腕をさすりながらなんとか体温を保つ。

 遼が帰ってくるまで、死んでもここから動かないつもりだった。

 途中何度も冷風に襲われ、その度に全身を震わせ、車や人が通る度に、好奇の目に晒されながらも、僕は時間が経つのをただひたすらに耐えていく。

 4時間ほどが経過した時だった。

 あたりは暗くなり始め、太陽がオレンジ色を強めていた頃だ。すでに2、3度限界を超えた後だった。

 帰ってきた遼が視界に入る。

「チッ。まだいたのかよ」

 遼がわざと聞こえるような舌打ちをしながら、自転車を停めた。

「頼む。チケットを譲ってくれないか」

 俺はまっすぐ遼の目を見つめた。正面から遼を捉えるのも、仲が悪くなってから初めてかもしれない。が、遼はすぐに視線を外した。

「はぁーぁあ」

 遼はまたわざとらしいため息をつく。そして、自転車を降りて腰に手を当て、思案するように地面を見つめた。

 僕の耳や手先はすでに冷え切っていて、これ以上寒さを感じない境地に達している。

 しばらくして、遼は顔を上げた。

「いいよ」

 溜息を吐くように遼がつぶやいた。その目には諦めの色が滲んでいる。

「ありがとう」

 僕はそう言って、財布の中にあった札束を全て寮に差し出すと、

「これだけでいい」

 と遼はぶっきらぼうに言って、ちょうどチケット代と同じ金額だけを取ってそのまま家に入っていった。

 少し胸が痛んだ。だけどすぐに、達成感と嬉しさが心を満たしていく。

 僕は小さくガッツポーズをして、帰路に着いた。


 *作者より

 初めての長編で詰めの甘い部分が目立ちますが、読んでいただきありがとうございます。もし少しでも良いなと思っていただければ、★や❤︎をつけていただくと嬉しいです。

 作品とは関係がありませんが気になってしまったので、念のため書き置かせていただきます。

 物語の都合上、チケットを譲渡するシーンがありましたが実際には禁止されている場合があるので注意してください。

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