第22話

 五百木家から、あの高級そうな車に揺られて15分ほどした頃だった。駐車場に降りると、外はもう真っ暗である。しかし、店の明かりが漏れてきていて、足元は明るかった。

 今日は土曜日である。僕がおばあちゃんに言われた通り五百木家へ行くと、彩花さんは家の前で待ってくれていた。

「さぁ、食べに行きましょう」

 さっさと車に乗り込もうとする彩花さんに、

「申し訳ないです」

 と言うと、

「気を遣わなくていいのよ。感謝の気持ちも込めてだから」

 と言われ、僕は母親に今日の夕飯いらないとLINEを打った。

 そうしてやってきたのが、この焼肉屋である。真っ黒に塗装された外装が、雰囲気を醸し出していた。

 あのメモを読んでから僕はまだ一度も五百木さんに会っていない。本当は次の日にでも向かいたかったのだが、禿頭の数学教師に五百木さんから受け取ったファイルを渡しにいたっとき、

「溜まっている課題をテストまでに出さなかったら成績を下げるぞ」

 と脅されてしまった。なので、ここ二日は放課後になると図書館にこもって課題をこなしていたのである。だが、溜まっていた分は終わったけれど、新しく出された分までは追いつかなかったので、明日も五百木さんのところには行けなさそうだ。早く、五百木さんと話したかった。

 店に入ると予約していたようで、すぐに障子で区切られた個室に案内される。僕の向かいに彩花さんとおばあちゃんが座った。

「食べ放題だから、好きに注文して良いわよ」

 と言って、彩花さんが注文用のタブレットを渡してくる。さっき気を使うなと言われたので、お言葉に甘えて遠慮なく美味しそうな肉を頼んだ。と言っても、お肉は全く詳しくないので、直感で選んだのだった。

 そして、タブレットを彩花さんに渡すと、彼女は特に迷うことなく追加の注文をしたようだ。そして、ドリンクバーで飲み物をこしらえた所で早くも肉が来た。

 彩花さんが慣れた手つきで、それらを網の上に並べていく。肉が焼かれていく中毒的な匂いが個室の中を満たし始めた。

 そこで、彩花さんが注文したのであろうサラダが二種類やって来る。

 少しして、彩花さんは焼き終わった肉のほとんどを僕の小皿に振り分けた。自身とおばあちゃんには1、2枚取っただけである。

 さらに彼女は、肉に手をつける前にサラダを上品な所作で口に運んでいく。

 なんとなく意識の違いを見せつけられた気がした。彩花さんはかつてモデルだったとはいえ、今でもその美しさを保っているのは様々な努力の賜物であると実感する。

 そんな感じで、食事は進み、すでに残りの肉は網の上のタン一切れだけになっていた。 

 彩花さんとおばあちゃんはすでに食べ終えていて、焼き役に徹してくれていた彩花さんが、最後のタンを僕の皿へと置いてくれる。

 僕は程よい満腹感と幸福感に満たされながら、タンを甘だれにつけた。口に運ぶと、まるで溶けてしまったように、美味しさを置き土産にして喉へと去っていく。

「デザートも食べる?」

 彩花さんが言った。そう聞かれれば、食べないという選択肢はない。僕が、頷くと彩花さんはアイスクリームを3つ注文した。

「美味しかった?」

「はい。久しぶりの焼肉で、最高でした」

 僕は何だかテンションが上がってきて、親指を立てて、グッドのポーズをとる。

「本当に、ご馳走様です」

「良いのよそんなの。気にしないで。お礼だから」

「お礼?」

 それは何のことだろうか。僕はまだ、五百木さんに対して何もできていない。それを素直に口にすると、

「いえ、あなたはすでに一歩を踏み出しているわ。その分の感謝よ。でも、そうねぇ、これからの分の先払いも込めておこうかしら」

「先払い?」

「そう。実は私、希望や凪沙と仲があまり良くないの」

 彩花さんは食事中も姿勢を真っ直ぐに保ったままだったが、それがさらにシャキッと伸びたように感じる。

 その仕草一つで、部屋の空気が変わった。

「夫とも、別居中でもはや家族とは言えないし」

 彩花さんの無表情な声が、普段より冷たく聞こえた。その顔も、どことなく哀しみを含んでいる。

 彩花さんは、芯があって強い人だと思っていたけれど、やはり誰にだって悩みはあるものだと改めて認識した。

「だから、母親として情けないけれどお願いがあるの」

 そこで、一息置いて、彩香さんは言った。

「凪沙と仲良くしてあげて」

 彩花さんの目は、真っ直ぐ僕の目を捉えている。まるで幼稚園児がおもちゃをねだるような目つきだった。

「凪沙は強がっているけれど、本当は弱い子なの」

 さっきまで朗らかだった個室の空気が重くなったことを、背中からひしひしと感じた。彩花さんは藁にもすがる思いで僕を頼ってくれているのかもしれない。

 でも、頼られていなくても僕は五百木さんと仲良くなりたかった。だって、唯一の桜井さんのファン仲間なんだから……。

 そこで、小皿に丸く盛られたアイスクリームが到着した。それをきっかけに、また雰囲気が和み始める。

 おばあちゃんも、

「こんなに冷たいものは久しぶりに食べたわ」

 と言って笑っている。

 アイスクリームがとろけた後、口の中に残る甘さが僕の決意に蓋をして逃さないようにしてくれているようだった。

「最後に一つ渡したいものがあるの」

 彩花さんはそう言うと、体の後ろから茶色の紙袋をまるでマジックみたいに取り出した。そんなもの、いつから持っていたのだろうか。

 僕はそれを受け取ると、中身をのぞいた。そこにあるのはCDのようだ。

「これはなんですか?」

「ひかりの最後のCDよ。まだ発売前だけど、特別にあげるわ」

 僕は驚いて、紙袋をカサカサ言わせながら中身を取り出した。その表紙には、桜井さんの顔がどアップで写っている。が、見たことのない絵だ。裏表紙を見て、収録曲を見るが、どれもまだ発表前のもののようで知らない歌ばかりだった。彩花さんは若い頃モデルをやっていたらしい。そのときのツテを活かして、手に入れたのだろうか。

「久保くん。あまり私のことを信用しない方が良いわよ。私ってズルい女だから」

 顔を上げると、彩花さんが困ったような弱々しい顔をしていた。初めてみる表情である。

「あんな話をされた後に、こんなCDをもらったら断れないわよね。嫌なら断ってもいいの」

 申し訳なさそうな声で、そう言われた。その姿を見たら、何十歳も年上であるにも関わらず守ってあげなければならないように感じる。

「いえ。CDは嬉しいですけど、それとは関係なく僕は五百木さんと友達になりたいです」

 僕はそうやって、またちょっぴりと嘘をついた。

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