第14話

 僕は竹藪の中を青空公園の方へ右折せずに、真っ直ぐ進んだ先にある高級住宅街に来ていた。周囲には、清潔感のある広い家が並んでいる。

 太陽は月に空を譲る前に、最後の赤い輝きを放っていた。

 僕は自転車から降りて、携帯で優馬くんから教えてもらった位置を確認しながら進む。ついでに、通り過ぎる家の表札を確認していく。それはもちろん、五百木さんの家を探すためでもあるのだが、もう一つ理由があった。

 桜井さんは、地元が同じなのだ。詳しい家の位置は知らないが、昔テレビ番組で地元のおすすめ店を紹介するコーナーがあったとき、僕も何度か行ったことがあるカフェを取り上げていた。つまり、彼女の実家はこの近くだということだ。

 以前から同じ県の出身だとは知っていたけれど、さらに地元が近いと知った時は驚いた。それからというもの、もしかしたら桜井さんの実家かもしれないという淡い期待を胸に抱きながら住宅街を闊歩するようになったのである。

 とはいえ、範囲はかなり広く、本気で見つかるとは思っていなかった。そもそも実家を見つけたからどうということでもない。

 そんなこんなで歩いていると、やがて目的地にたどり着いた。

 五百木さんの家は、通りの一番端にある。周囲の家に比べると、コンパクトな二階建てだ。しかしよく見ると、真っ白な壁は太陽の光を受けて橙に輝き、駐車場に停められた車は、詳しくない僕でも分かるほど高級感を放っていた。

 僕は圧倒されつつも、敷地に足を踏み入れ玄関まで歩いていく。

 ドアの前で胸に手を当てて、心を落ち着かせるように深く息を吸い、吐いた。

 全く知らない異国の地に来たようだ。ソワソワとした胸の拍動に、失礼だったり嫌われたりするような行動を取らないかと、不安になる。

 インターフォンを押すと、すぐに返事が返ってきた。

「はい」

 凛とした声である。まるで風鈴のような爽やかさを携えた響きがあった。その爽快さが、さらに僕の心を揺さぶった。

 ガシャ、ガチャ。

 と鍵の開けられる音がして、静かにドアが開いた。

「凪沙さんのクラスメイトで、久保と言います。プリントを届けに来ました」

 僕は相手の顔を確認するより早く、頭を下げながらそう言った。

 すると、

「あら、この前の子じゃない」

 という言葉が返ってくる。予想外のことに驚いて顔をあげると、そこには映画館で会った美しい女性がいた。

「あの時はどうもありがとう」

 彼女は、抑揚に欠けた声で言う。でも感情がこもってないわけではなく、感謝の気持ちはちゃんと伝わった。

「えーっと……」

 映画館であったとき、彼女の名前が呼ばれるのを聞いた気がするが、思い出せなかった。それを察したのか、すぐ前にいる年齢を感じさせない女性が言う。

「五百木、彩花です」

 彩花さんは玄関を大きく開け、家の中を手で示し僕を促した。

 その所作の一つ一つに品がある。

 彩花さんに続いてリビングに入ると、そこは外から想像したよりも広かった。テレビの前にある白い革製のソファーに、あのおばあちゃんも座っている。

 テレビから聞こえるニュースキャスターの声が、部屋に染み込んでいた。

 おばあちゃんも僕に気づいて、挨拶を交わした後、

「この前は、助かったわ」

 と言ってくれた。

 僕は彩花さんに促されるままに、四人掛けのテーブルに腰掛ける。

「凪沙を呼んでくるわ」

 そう言って彩花さんは、二階へ上がっていった。部屋が広い分、階段は少し狭いようだ。そこを、彩花さんが背筋を真っ直ぐ伸ばした姿勢のまま登っていくのが見える。

 そして、おばあちゃんも立ち上がり、キッチンの方へ向かった。こちらは流石に老いのせいもあるのか、背中は曲がっている。でも、おばあちゃんも昔は彩花さんのような人だったのかもしれない。

 そこで僕は、部屋を見回した。

 まず目に入ったのは、窓際にある水槽だ。名前の分からない小さな魚が何種類か泳いでいるのが見える。僕はこういう動物を見ると、いつも狭い世界で窮屈ではないのだろうかと思ってしまうのだが、この家の魚たちは不思議と自由に振る舞っているように感じられた。

 さらに視線を移していくと、部屋の隅にはアップライトピアノが置かれていた。誰が弾くのだろうか。

 なんとなく、彩花さんな気がした。上品な動きで、ピアノの前に座り綺麗な姿勢でクラシックを弾く彩花さんが容易に想像できる。

 そして最後に目に入ったのは、トロフィーだった。

 世論調査で将来に不安を抱えていると答えた人の割合が7割を越えたというニュースを流している、大きくて薄いテレビの横。トロフィーはそこに、そびえ立つように置かれている。高さは僕の腰よりもありそうだった。

 あえて計算されて配置されているのか、部屋全体を見渡すと、自然とトロフィーに視線が行く。それだけが上品な部屋の中で唯一、泥臭い努力を伴った汗の輝きのようなものを放っていた。

 そこで、彩花さんが戻ってきて僕の前にある椅子を引く。

「凪沙は、ちょっと話す気分じゃないみたい」

 彩花さんはまた、抑揚のない声で告げた。それでも彼女はやはり、可憐である。

 僕は頷くと率直に質問した。

「あのトロフィーは何ですか?」

「あぁ、あれは、凪沙が小学生の頃にダンス大会で取ったものよ」

 トロフィーの台にあたる部分に、何やら文字が掘られている。遠くてよく見えないが、『2012』という数字だけは読めた。きっと五百木さんが、優勝した年なんだろう。

 そこでおばあちゃんが三人分のコップを置き、テレビを切って、彩花さんの横に腰掛けた。ニュースキャスターの声が消え、部屋が急に閑かになったようだ。

 僕たちは三人で向かい合う形になる。

「久保くんだったよね?」

 僕が頷くとすぐ彩花さんは続けた。

「凪沙と付き合ってるの?」

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