第13話

 そしてやって来た月曜日。僕はいつもより早く教室に着いた。少しでも早く五百木さんと話したかったのだ。

 席の引き出しに教科書を突っ込み、鞄を机の横にあるフックにかけて、僕は教室を見渡す。すでに、クラスメイトの8割くらいは登校していて教室は喧騒に包まれていた。しかし、五百木さんの姿はない。いつも早くから学校にいるイメージがあったので、珍しいなと感じる。

 僕は、ワクワクと緊張が入り混じった気持ちでいた。やることがないので、机の上で数学の教科書を開く。特有のツルツルした質感をしたページをめくっていくが、頭には入らない。

 やがて、ホームルーム開始のチャイムが鳴った。

 五百木さんはまだ来ていない。先生の話が終わったところで、僕は隣の席の優馬くんに尋ねた。

「今日って、五百木さんは休み?」

「そうみたいだな」

 その反応を見るに、優馬くんも詳しく知らないようだ。僕は浜田さんにも聞いてみようかと思ったけど、その勇気は出なかった。

 最近、優馬くんには声をかけられるようになりつつある。優馬くんは、僕が黙っていても話しかけてくれる人だ。だから無関係を装うとかえって気まずくなってしまう。とはいえ、お互いの身の上話など、深いことについては喋らない。

 世間話をするクラスメイト。これくらいの距離感が、僕の波風たてずに生きるというモットーには丁度いい。それ以上近くなると、離れたときに傷を負うことになってしまう。

 だが、異性ということもあってか、浜田さんとはまだそれ以上に距離があった。

 そして五百木さんは、三人の中で最も距離感が近い。それは僕らの間に桜井さんがいるからだ。この近さは、僕の人生を乱しうると分かっている。でも、桜井さんに関係して僕の人生が壊れるならば悔いはない。

 そんなことを思っていると、優馬くんが僕の代わりに尋ねてくれる。

「なぁ夏希。今日って凪沙は休みか?」

「そうっぽいな。私のとこにも、連絡は来てない」

 その言葉を聞いて、僕は何か嫌な予感がした。でもその原因は分からず、もやもやした感覚だけが残り、不快だ。

 そしてその翌日も、五百木さんは登校しなかった。僕の中で、桜井さんの引退について語り合いたいという気持ちが薄れ始めている。代わりに、五百木さんはどうしたのだろうかという気持ちが強くなっていた。

 さらにその次の日。水曜日。やっぱり五百木さんは来なかった。優馬くんと夏希さんも心配なようで、LINEを送ったみたいのだが、既読はつかないらしい。

 僕は移動教室のため廊下を歩いていると、向こうの方から担任である禿頭の数学教師がやってきた。

 頭を下げて会釈し、通り過ぎようとすると、

「あっ、久保。ちょっと待て」

 と呼び止められた。こんなことは初めてで、何かいけないことをしただろうかと不安になる。そのまま職員室まで連れていかれた。しかし、中には入れてもらえず外で先生が出てくるのを待つ。

 やることがなく、壁に貼られている薬物乱用禁止のポスターを眺めた。

 そこで、職員室のドアがガラガラっと鳴る。振り返ると先生が何かを持っていた。

 それは先生の趣味なのか、僕がギリギリ名前がわかる中年お笑い芸人のファイルだ。先生はそれを、僕が抱えていた次の授業で使う教材の上に置いた。

「お前、最近五百木さんと仲良さそうだから、プリント家まで届けてやってくれ」

 先生は言い終えると、職員室に戻っていった。

 僕はもう一度ファイルを見る。なんだか胸がざわついた。

 授業を終えて教室に戻ると、隣の席で優馬くんが2段のお弁当を広げている。浜田さんは購買にパンを入手しに行ったようだ。

 僕も1段のお弁当を取り出す。

「ねぇ、五百木さんの家って分かる?」

 と僕が尋ねると、先ほど口に入れていたタコさんウインナーが喉に詰まったのか、優馬くんがむせこんだ。

 自分の胸を叩くようにして、やっと落ち着いた優馬くんが聞き返してくる。

「分かるけど、どうした急に?」

「実は、さっき先生にこのプリント五百木さんの家に届けるように言われて」

 そう言って僕は、あの芸人のファイルを見せる。優馬くんはこの芸人を知らないのか、ファイルには全く興味を示さなかった。

「家はこの辺だな」

 代わりに優馬くんはすぐにスマホで地図アプリを出して、大体の位置を教えてくれる。そこは青空公園に行くための山を越えたあたりの住宅街で何度か行ったことがあった。

「俺も凪沙のこと心配だし、ついていきたいけど、今日は部活だわ」

 そう言って、優馬くんは箸を持ったまま手を合わせてペコリと頭を下げる。

「いや、全然大丈夫」

 正直、むしろ一人で行きたいと思っていた。五百木さんの状況はわからないけれど、二人で話したいことがたくさんある。

 だが一方で、五百木さんの家に行けば平穏な日常が崩れ去る予感がしていた。はたして、どうするべきだろうか。

 キーン、コーン、カーン、コーン。

 そのとき、チャイムが鳴った。クラス中のみんなが驚いたように時計を見るが、針は中途半端な時間を指している。

 すぐに放送が入り誤作動だったと説明されたが、僕はなんだか胸が騒ぎ出すのを感じた。

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