第10話

 映画を見てから、1週間後の金曜日。

 あれから、僕と五百木さんは桜井さんについてよく話すようになった。彼女は本当に桜井さんが好きなようで、僕の何倍も桜井さんに詳しい。だから僕も負けじと桜井さんを応援する時間が増える。

 今日も五百木さんから、桜井さんは小学生の頃、校長先生が宇宙人だという友達の嘘を信じていたという話を教えてもらった。そんな話、どこでしていたのかと思う。

 僕は制服を脱ぎ、自分の部屋に上がって通学用のカバンを放り投げるとそのままベッドに倒れ込んだ。

 それと同時にスマホを開く。そして導かれるようにyoutubeのアプリをタップした。

 暖房をつけたばかりで、まだ部屋の中は寒い。だが、それだけではなかった。ふと、第六感が背筋に冷たい汗を流す。

 youtubeは過去見た動画の履歴から、興味がありそうな動画を割り出し、おすすめしてくれる。もちろん、僕のおすすめの欄は桜井さんに関わる動画ばかりだ。

 そして今、衝撃的な動画が一番上に構えていた。

「桜井光、卒業‼︎」

 サムネイルに赤い文字でそう映し出されている。しかも、スクロールすれば同じような動画が何個もあった。

 全身からスーッと熱がフェードアウトしてくのが分かる。

 僕は動画の一つを再生した。

「本日、15時に国民的アイドルである桜井光さんが、芸能界を引退することを発表しました。彼女は17歳の時にオーディションに合格し、次世代を担うアイドルとして注目を浴び……」

 機械的な音声が淡々と事実を並べる。僕は感情が追いつかなかった。何が起こっているのか。何を言っているのか。僕はまだ、これがタチの悪いネタ動画であると信じたかった。

 小刻みに震える手でyoutubeを閉じ、桜井さんの公式サイトにとぶ。僕は生唾を飲み込むが、飲み込みきれず、嫌な感覚が喉に引っかかる。

 そして僕は、ついに絶望した。

 公式サイトにも、さっきのyoutubeと同じような内容が書かれていたのだ。それに加えて、引退理由については後日発表であること、すでに卒業コンサートの開催が決定されており、そのうちチケット販売が行われることなどが述べられていた。

 僕は何度も何度も文章を読み返し、なんとか情報を拾う。そして、スマホを閉じた。

「カチッ」

 という音と共に画面が暗転し、その瞬間なにかが僕の心へなだれ込んできた。スマホを投げ出し、膝を抱え込むように座る。そして顔を膝の間に埋めた。

 桜井さんは僕の光だ。希望なのだ。なのに、どうして。もう彼女が笑顔で踊って歌っている姿を見ることはできないのだろうか。

 分かっていた。いつかはこの時が来てしまうことを。でもこんなに早いとは思わなかった。彼女は今21歳だ。まだアイドルとしてもやっていける、むしろ全盛期なくらいではないのか。なのにどうして。

 いろいろなことが頭を駆け巡る。僕はこの先何を楽しみに生きていけばいいのだろうか。他に推しを作ればいいのか。いや、そんなことできるはずがない。僕は、常に笑顔でどんな暗闇の底にいても、僕らを照らしてくれる桜井さんだから、推すことができるのだ。

 もし、彼女がいなくなれば、光が絶えれば、僕はどうなってしまうのだろうか。それこそ電池の切れたスマホのように、ただ黒い世界だけを眺めていけばいいのか。

 分からない。何もかも。

 気がついたら、太ももの内側を一雫の涙が流れていった。

 そのとき暖房の暖かい風が、体を撫でる。まるで、励ましてくれるかのように。

 そこで顔を上げると、ぼやけた視界の中、さっき投げ出した通学カバンが目に入った。雑に放り投げたせいで、中身が覗いている。そして、そこに1枚の紙切れが混ざっていることに気づいた。

 それは映画のチケットだった。『光とは……』、五百木さんと二人で見に行ったときのものだ。

 そこで僕はふと疑問に感じた。五百木さんはこの卒業発表をどう感じたのだろうか。そして、僕はこの気持ちを強烈に共有したくなった。まるで、力加減のできない子供が強く紐をむすぶように、心臓が締め付けられる。

 でも今日は金曜日だった。2日間学校はないし、もちろん連絡先は知らない。

 僕はこの瞬間ほど金曜日を憎んだことはなかった。

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