第4話

「今日の夕食はカレーよ」 

 母が僕の前に丸いお皿を置く。匂いから予想はしていたが、五百木さんのパンのせいか、またかと思ってしまう。しかし母親は、そんなことは知るはずもない。母はやがて僕の向かいの席にもお皿を置き、そこに腰掛けて言う。

「今夜はお父さん遅いみたいだから、先いただきましょう」

 二人で手を合わせた。そして僕はすぐに携帯を取り出し、桜井さんが出ているバラエティを見る。

 桜井さんと、若手実力派芸人とのかけあいに頬がゆるんだ。桜井さんは当然お笑いに関して素人だが、持ち前の明るいキャラでいじられ役に徹し、番組を盛り上げていた。

 僕はときどきむせかえるほど笑いながら、スプーンを進める。

 最後のじゃがいもを口に運んだところで、母親が言った。

「あんた、アイドルも良いけど、たまにはリアルで恋愛してみたら?」

 余計なお世話だと思う。いちいちそんなことを言わなくてもいい。

 せっかく、桜井さんのおかげで楽しい気分だったのに、冷めてしまった。

 そっとしておいて欲しい。恋愛は僕の理想とする平らな人生の真逆にある。誰かを想うとは痛みを伴うものなのだ。親友でさえそうだったのに、ましてや恋人なんて……。

 僕は眉をひそめ、危うく舌打ちをしそうになったがなんとか堪える。当然母親の言葉に返事はしない。二人の食卓に沈黙が生まれるが、母は気にしていないようだ。

 画面の中で、桜井さんがピアノに挑戦している。楽器は未経験らしく、歌もダンスもキレキレな彼女が、辿々しい指でなんとか鍵盤を押さえているのが新鮮に思えた。そして2曲目に、自身の楽曲を弾き始める。

 さらに彼女は自分の伴奏に合わせて歌っていた。弾き語りというやつだ。これは番組の企画で、1ヶ月でレギュラー陣がそれぞれ何か特技を作ろうと挑戦するものである。ただでさえ多忙を極める桜井さんが、ここまで頑張っている姿を見ると、僕も何かせずにはいられないような気がして、また胸の中が明るくなっていく。

 透き通るような伸びやかな歌声が、スマホから響いてきた。

「この子、アイドルなのに歌上手いねー」

(なんだよアイドルなのにって)

 と思ったが口には出さず、また無視する。本当に、口を挟んできて欲しくなかった。

 沈黙が落ちる。

 僕は母の存在を意識の外へ追い出し、桜井さんに集中する。

 桜井さんは最後までピアノを弾き切った。途中ミスもあったようだが、彼女の表情は達成感に満ちている。僕も釣られて、笑顔になった。

 最後に、桜井さんが映画の告知をし始める。

 僕は大きなスクリーンに映る桜井さんを想像した。公開日が楽しみだ。

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