第43話 真宵からは望まぬ者さえ逃げられない
二段重ねのパンケーキを先に切り分け、上からとろりと蜂蜜をかける。彼女は生地の熱でバターが崩れ切る前に、フォークで一欠片を捉えた。
さあもう逃げられない。甘い香りを吸い込みながら、形ある至福を頬張る。
「いいにゃ〜」
秋フロライアはとろけた生地と声を感じながら、頬に手を当てて目を細めた。
複合商業施設内のフードコート、その窓側端の一人用という特等席。日替わり蜂蜜パンケーキに舌鼓を打つフロライアは、今この瞬間を全力で楽しむ。最近あったストレスの解消の為、最近彼女は二日に一度はこうして街に降りてきているのだ。なんなら今日まで二日連続でパンケーキを食べている。
(真面目な人達はこうもいかないにゃー)
本来ならば解放力者にはそこまでの自由はない。訓練に任務、その他教育に加え、そもそも常人に勝る能力を持ちながらアラヤに所属しているのだ。まああとは、誘拐されてバラバラにされる危険性もなくはない。多少の管理は受けることになるのは当然のこと。
アラヤの基準における最低評価であるEランクでも、毎日毎日街へと来るようなことはほとんどできないだろう。
「ま、私は不良だからにぇー」
好きなことを満喫できている理由は、この一言に集約される。
大体最近こそ真宵のせいで任務に出ていたが、フロライアは基本訓練も任務もサボることが多い。やるとしても街の巡回がせいぜいのもの。
勿論のこと、そんな任務だけでは給料もなければ指導室に放り込まれる。フロライアは一定の成績を出して、Eランク中位の地位を維持しているのだ。
それが、大型訓練での無傷生還。実は、真宵にめちゃくちゃにされた
Aランクが混じっての訓練でも無傷。Eランク担当の職員の中では『
「ん〜! 今だけは自由だにゃ〜!」
嫌なことは忘れる! と、あむあむパンケーキを口に入れるフロライア。
そんな彼女の耳に、フードコートに生まれたざわめきが届く。まるで、モデルが現れたかのような空気だった。
とはいえ、フロライアは自分には関係のないことと、パンケーキ最後の一切れをじっくりと味わう。濃厚なバターと蜂蜜の風味が鼻を抜け、生地と共に喉に完成度を叩きつける。今日は蕎麦の蜂蜜だったはず。物珍しいが素晴らしいと、彼女は蕎麦の蜂蜜を買うことを決意する。幸いにも合同任務でお金はあった。
カトラリーを皿の端に寄せ、ナプキンの最後の形に気を配りながら口周りを叩く。フロライアは意外にも、礼儀作法が叩き込まれていたようである。今のフロライアでは考えもしないだろうが、もし礼儀作法など持たない彼女なら皿を舐めかねなかったかもしれない。
「うにゃー、もうなくなったにぇー。それにしても、なんの騒ぎだにゃー?」
先ほどより大きくなったざわめきが気になり、フロライアは何気なく背後を振り返り——
「…………ッ!!」
——凄まじい速さで首を戻した。
背中を流れる凄まじい量の冷や汗。心臓が早鐘を打ち、目がぐるぐると回る。
(なんで!? なんであの人達がいるんだにゃー!! 特にあんたは出てきちゃダメだろうがにぇー!?)
パッと見ただけでも、フロライアにとってヤバい奴らが見えた。
いやそれより、あのSランクだ。何ナチュラルに街に来てんだ、世界も国内も穏健も過激もあんた狙ってんだぞ。下手したらこの場の人口四割がスパイになりかねない。多少大袈裟だが、八割本気の認識であった。
いつものように軍服ではない。だが見間違えるはずもない。
軍服の時とは違う短めの細身パンツに、ニット生地に見える上着。
細く長い脚のシルエットが晒されているだけなのに、つい輪郭を目で追ってしまいそうな魅力。反面シルエットを隠す大きめの上着は、チラリと見える鎖骨から細い首までの色気を強めている。頭には黒のハンチング帽らしきものが見えたが、それが素の黒髪が隠されているという無念ささえ湧いた。ただ簡易的な服装を着ているだけなのに、恐ろしく煽情的、にもかかわらず声を掛けずらいほどの高潔さが滲む。
フロライアがチラリと目を動かせば、真宵のいた方向を見て顔を赤くする老若男女。なんなら10才前半らしき子も、顔を赤くしていた。
まさに魔性。冷たい表情ですら、内なるナニカが刺激される。
(国家バランスの次は性癖破壊にゃー!? いいかげんにするにぇー!! 絶対私に気付かないでにゃー!!)
三日月真宵。
フロライアの安寧をぶち壊す、破壊者のような女だ。
ただでさえ色々と抱えているフロライアにとって、知名度爆上がり中の真宵など疫病神に等しい。これで僅かばかりの興味しかないのならば、まだ良かったのだ。
真宵がフロライアの正体と能力を知っている、そんな事実がなければ。
『ニーアの姫君』『ルビー』『予言に名高き三つの滅び、その一つ』
真宵に言われた確信を突く言葉達が、脳裏に蘇る。
(あ〜! 気付かないでくれにゃ〜!)
絶対。ぜーたい、見つかったら逃げられない。とりあえずフードコートから脱出せねば。
そんなわけでそろりと、フロライアは背後を盗み見る。
「あっ」
フロライアの口から零れた、無意識の声。
視線がバッチリのカチ合った、フロライアと真宵。
(……これは逃げられないにぇー)
深淵の如き碧眼でフロライアを捉え、長い脚で真宵は二人の距離を詰める。
秋フロライアは、考えるのをやめた。
†††††
顰めっ面をした少女が、解体予定の建造物に手を向ける。四階建ての壁はほとんどが取り除かれており、黒く少しゴツゴツとした骨組みが晒されていた。
遠巻きに少女を見る解体業者は、期待と不安、少女に対する畏怖を瞳に宿す。“本当にアレを解体するのか?”と。骨組みの黒いゴツゴツ。それは建築材として、否、物質として優れすぎている代物なのだから。
『
戦車の砲撃では歯も立たない耐久性。短時間ならば6万℃の超高温にも耐える耐火性能。物質的に安定している為に半永久的に維持される構造。いわば、建造物を半永久的に使えるようにできる夢のような物質だ。
ただし、一度建材として使ってしまえば、後始末は非常に困難。そもそも破壊が非常に困難なことに加え、自然に分解されないのであまりにも環境に悪い。毒性はないが、反応性が乏過ぎて再利用もまともにできなことも問題だ。都市部などで使ってしまったのならば、悲惨としか言えないだろう。
そして、ここは都市部だ。
(都市計画くらいしっかり作ってればいいのに……)
元は大規模サーバーを備えた都市管理の設備が国指導のもと入るはずだったが、アラヤ傘下企業『サテライトオーダー』が予定していたスペックを上回るシステムを郊外に構築。何故か責任者の不祥事や技術的欠陥が表沙汰になり、建物の残骸だけが残された。
そこに一帯の建造物を繋げる計画持ち上がり、地下も地上も空中も『
都市部で始末しようとすれば、騒音問題やらなんやらで確実に時間がかかる。しかし、もう工事の一部は始まってしまっていた。
国やら企業やらがすったもんだした末、彼女へと声がかかることとなる。
「
少女が呟くと同時に、『
最初は四階部分。表面がザワリと蠢いたかと思えば、スライムのようにゆっくりと溶け落ちていく。それは骨組み全体へと伝播していき、地上へと黒いスライムが集まる。それは地上だけにとどまらず、地下からもドロドロの『
周囲から上がる驚きの声に、少女は険しい顔をさらに顰める。
(流動性を持たせて磁性流体みたいにしただけ。私がしたのはそれだけなのに)
少女は周囲を見渡し、設置されている磁場発生装置を視界に収めた。
自分にできることの限界が示されているようで、少女は手を強く握る。
もう自分にできることはないと、小さな体が磁場で操られる巨大な塊に背を向ける。姿を見せるのもパフォーマンスだと理解しているが、少女としてはあまり歓迎したくない仕事だ。
さっさと帰ろうとした少女の端末から、呼び出し音が鳴った。
発信者を見て凄まじく嫌な顔をした少女は、十コール目で通話を開く。
『すまない、みと君。至急依頼したいことがある』
みとと呼ばれた少女の上司とも言える、アラヤ日本支部統括長の岡弓鳳の声だ。
フリック入力を素早く行い、みとは文章を完成させる。
『“要件はなに”』
機械音声となった文章は、鳳にも伝わった。みとの事情を知る鳳が相手なので、両者に戸惑いや遠慮はない。
『三区の大型商業施設があるだろう。そこに三日月真宵という子がいるのだが、見つけて僕に場所を教えて欲しい』
『“そんなの私じゃなくてもいい。じゃあ”』
『ま、待ってくれ……! みと君でなければダメなんだ……! 真宵君は
通話を切ろうとしたみとの手が止まった。
茜、東堂茜。日本ナンバーズ7にして、史上最も『解放戦力変換型身体強化外装・アーツ』に適合した“アーツマスター”。中近距離戦闘における世界最高峰。
同じナンバーズとして、みとも茜の能力は知っている。条件次第ではみとも勝てない可能性がある。つまりは天災の類いだ。そういうものである茜に、勝った者がいるらしい。しかもSランク。
確かに、周辺でみとくらいしか頼める人間はいないだろう。
ため息を吐き、みとは文字を打ち込む。
『“厄介事? 危険性は”』
『厄介事かもしれない。危険性はないはずだが……ないとは言えない』
『“なにそれ”』
『真宵君は安全なはずなんだ。だけどそれが揺らいできている。……とにかく! 僕が来るまで見失わないでくれればいいんだ!』
色々と気になることはある。ただの厄介事に収まらない気配も感じる。
だけどまあ……みとは真面目だった。
少し迷ったみとは、指を動かす。
『“いいよ。ただし危険なら逃げる”』
『勿論さ! ありがとう! 僕が着くまでもう少しかかりそうだから、頼んだよ』
通話が消えると同時に送られてくる、位置情報と人物資料。
みとは今一度、ため息を吐く。
「はぁ…………がんばりますよ。どうせ私にできるのはそのくらいだし。お魚食べたい」
かなり自虐的なことを言って背中を丸めるみとは、近くに停めてある車へと歩を進めた。
156センチの身長と童顔に反し、みとは20代であったのだ。
運転席でシステムを起動させたみとが、顰めっ面で車を発進させる。
「……深く眠りたいなぁ」
ノロノロと車を走らせる彼女こそ、日本の誇るナンバーズにして世界ランキング10位タイ。
凄まじい範囲の力場を操作し、対象物体の性質を自在に変える解放力を操る。有害性や放射能さえ操れるというのだから、その有用性は語るまでもない。尤も、力場操作自体は珍しくもないのだが。
だが、半径250キロメートルの射程を誇るソレは、文字通り規格外。まさに神の御業。
『
それを操る者こそ、日本ナンバーズきっての社畜。日本ナンバーズ5。
ふふっ、役者二名様、ご案内〜。
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