第39話 英雄を捧げる場所(次話、ギャグがくる
薄暗くなった空の下、魔獣の津波が押し寄せる。
小型だからと侮れない。真宵が言うには、その一匹一匹が巨大だった本獣の性質を継いでいるからだ。
凄まじい耐久力と衝撃波、純粋な運動能力。何よりもその圧倒的な“数”。
ともすれば、本獣一匹よりも脅威度は高いかもしれない。
「ようやく俺向きの仕事が回ってきたな。リベンジマッチといこうか」
この男は気押されない。
不敵な笑みを浮かべるステイツの栄光。神の守護ありと叫ぶ黄金の城壁。
数千の魔獣、それも平均を大きく超えた能力を持っている大群。
それがどうした。
ステイツを救った男が、その程度で恐怖するはずがない。仲間と守るべき人ある限り、その城壁が自ら崩れることなどありはしない。
エイブラハム・グローリー・ミッチェル。
彼に恐れを与えたいならば、世界ランキングでも持って来い。
「メリュ。準備はできたか?」
「……うぅ」
エイブの言葉に、メリュは唸り声を返した。
「おいおい、そんなに硬くなるな。シンプルに考えろ。俺は魔獣の足を止め、お前が根こそぎ殲滅する。これでシンプルだ」
「そんなシンプルいくかわからないんですよ!?」
「まあそうシンプルにはいかないだろうさ」
「それがわかっててなんで言ったんです!?」
ハハハっと笑うエイブに、メリュは頭を抱える。
それを横目に見ながら、エイブは笑い声を止めた。
空気が変わった。メリュはエイブの横顔を見て、その儚さに驚く。
あのエイブだ。世界に轟くアメリカの英雄で、防衛という一点において一つの頂点である解放力者。恐れるものなき城壁にして、仲間を鼓舞する栄光の旗。
それが、こうも儚い笑みを浮かべるものなのか。
「なあ、俺がなんて持て囃されてるか知ってるな。ステイツの栄光。神の国の城壁。主の祝福の証なんて言われてる」
メリュも当然知っている。数えきれない異名の輝かしさを。
「俺は自分がその賞賛に相応しいなんて、ただの一度も思ったことはない」
輝きを、当人が誤解の余地なく否定する。
「世界ランキングという絶対。55年前の神と異能者。今尚人が信じる奇跡……それに比べ俺じゃあ取りこぼすものが多すぎる」
普段の快活な様子から忘れそうになるが、エイブだって一人の人間だ。物語の英雄じゃない、ちょっと実績と力のある現実の存在に過ぎないのだ。
苦悩もする、後悔もある、挫折なんて数えきれない。
目を閉じれば犠牲にしてしまった顔が浮かぶ。
耳を澄ませば悲痛な怨嗟の声が鳴り止まない。
唾を飲み込めば亡き仲間の血の味が舌を苛む。
涙を流し懺悔し続け、壁に頭を叩きつけた。それで許されるなんて思ってはいない、ただ罰が欲しかっただけだ。
エイブは完璧な存在ではない。不条理を嘆き悲しむ、そこらのチンピラと変わらない。少なくとも本人はそう思っている。
ああだが……
「それでも俺は栄光だ。俺が必要だと言われる限り、俺は決して色褪せることのない栄光だ」
祖父がくれた“グローリー”の名を背負う限り、ステイツという国がお前は
それが、たった一人を守れなかったとき誓った約束だ。
「……すごい。それが英雄」
呆然と呟くメリュに、エイブは苦笑した。
「すまない、“英雄”と呼ぶのだけはやめてくれ。……その称号は、たった一人に捧げた後なんだ」
あるいは、エイブが英雄という称号をたった一人に捧げたからこそ、エイブは“英雄”というシステムに成り果てずに済んだのかもしれない。理想と現実の差異に擦り潰されず生きれたのは、きっと彼女の——
「さて! そしてお前だ」
思考を断ち切り、エイブはニカっと笑う。
「お前は誰の笑顔が見たい?」
「え?」
「お前の性格なら、誰かを守る為にその地位についてるんだろ」
「それは……」
エイブもメリュみたいな性格は見たことがある。
自分の力も知らなかった、“栄光”を背負う前の子供なんかだ。
「自分を決められる
「私は……」
メリュは考える。心に浮かぶ笑顔は誰のものだろう?
「……みんながいます。王室も市民も妖精も関係なく、顔を合わせた人達が笑ってます」
「そいつらはなんて言ってる」
メリュは耳を澄ませる。
聞こえてきた言葉に、メリュの口元が緩んだ。
「イングリッシュマフィンは焼いても焼かなくても美味しいって、言ってます」
エイブはニッカリ笑った。
「そいつは最高だな! それを忘れるなよ!」
「は、はいっ!」
「どうだ、肩の力は抜けたか?」
「え、あ、はい……」
頭が働き、やるべきことがはっきりする。
メリュはもう迷ってはいない。スッキリとした思考が、前へと続く道筋を見せてくれる。
恐怖はある。しかし恐怖に負けないほど、勝利への渇望が湧いてくる。
もう、頭を抱えて蹲る気分にはならない。
「それじゃあ頼んだぞ、イギリスナンバーズ10」
そうだ。自分はイギリスナンバーズ10、『
この小さな手に誰かを救う力があるのならば、それを振るうことに何の不安があろうものか。
(いつもオリヴィエの後ろに隠れてた……でも私がアラヤに入ったのは、みんなの笑顔を守りたいと思ったから……!)
魔獣を通せば誰かが死ぬかもしれない。悲しみが生まれ、笑顔が殺される。
それを止める手段がある。他ならぬ、メリュ自身の身体に。
さあ思い浮かべろ。
祖母の、仲間の、イギリス国民の、王室の、妖精の――
愛すべき人々の消えることのない笑顔をっ!
マフィンを頬張る幸せな世界をっ!!
「妖精さん。私弱いから、貴方達を怖がってたかもしれません。でも私やっと思い出しました。人も妖精も関係ない、みんなが笑える世界を守りたかったんだってこと。私がいくら弱くても、この願いだけは間違いじゃないはずなんです。だからお願いします……! 今ここで誰かを守れる力を貸してください! 家族みんなでマフィンを食べる為に、力を貸してくださいっ!」
メリュの身体から、極彩色の光が漏れ出す。
重さのない光の帯が、ドレスのようにメリュを飾り立てた。
その周囲に踊るは妖精。愛し子の願いを叶えられると、歓喜の踊りを踊っている。
神秘を纏うメリュは手のひらに妖精を乗せ、優しく微笑んだ。
「ありがとうございます。帰ったら、美味しいものたくさん食べさせてあげますよ」
きゃっきゃっと喜ぶ妖精達。
まさに
妖精のお姫様と、光を泳ぐ神秘の小人。その絆は、きっと只人には推し量れない。
それを見たエイブは、眩しいものを見るかのように目を眇めた。
(お前は一人の為じゃなく、多くの人の笑顔を願った。お前の方がよっぽど英雄に相応しいよ)
ああだからか。エイブは納得した。
メリュから聞いたが、真宵は彼女に『英雄に成ってもらう』と言ったらしい。だがエイブにはそれらしい発言をしなかった。
エイブはもう英雄だったからなんて理由ではないだろう。
真宵は見抜いていたのだ。エイブの英雄と呼ぶには狭過ぎる献身と、メリュの小心者と呼ぶには広過ぎる守護範囲を。
(異論はない。メリュこそ英雄に相応しいだろうさ。……そしてお前もだ真宵。お前はすでに英雄だよ)
魔獣の津波が目の前に迫る。
「行くぞメリュ!」
「は、はいっ!」
黄金の輝きが地に満ちる。
それを見た者は、人の輝きを見たと言った。
誰かが誰かを想う光が、そこに顕現したと言った。
とある少女はそれを、愚かな男の献身的優しさだと言った。
故にこそ男は高らかに唱えるだろう。ただ一人に捧げた英雄の称号が、今尚廃れてはいないと示す為に。
さあ此処に現れよ! 遥か少女に捧げる灯火よ!
願わくば主よ。優しき彼女の道筋を明るく照らしたまえ——
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