第34話 偽りの中でしか生きられない

 不快。

 絶望的に不快。

 呆れるほどに不快で、信じられないほどに不快。

 ああ物凄く……ふざけるなよ“持つ者”風情がッ!!


「ッ————……ふう」


 美咲リコは苛立ちに狂いそうになる心を押さえつけ、いつも通りの笑みを貼り付ける。

 表の表情はどうあれ、内心は人を吹き飛ばす嵐もかくやといった有様。到底平穏とは言えぬ状態であると自覚しながらも、リコはできる限り冷静に振る舞わなければならなかった。この場にいるのはリコだけではないのだから。


「それじゃあ、交渉権を貰ってくるから少し待ってて」

「わかったにぇー」

「大人しく待ってまーす」


 うえがフランス支部の拠点へと入り、リコとフロライアだけが残された。本当ならリコは衝動的に地団駄でも踏みたいが、フロライアがいてはそれもできない。

 口の内側を噛むことで、なんとか平静を保つ。痛みと共に血の味がしても、止めない。

 他者を欺き、自分を偽る。それが得意だったはずのリコは、今だけは仮面を成り立たせるので精一杯だった。


「リコ、そんなに怒ってるなら文句でも言えばよかったにゃー」


 心臓が一際大きく跳ね、リコは悟らせまいと必死に小さな呼吸を繰り返した。

 フロライアの顔に視線を向けたリコの姿からは、いつも以上に作られた笑み以外に読み取れることはなかった。


「なんのことかなー? 私にはなーんにも心当たりないんだけどなー?」

「んー、それなら別に良いんだにぇー」


 以外にも、フロライアは簡単に引き下がった。


「だけど嫌なことは嫌って言わないと、疲れるにぇー」


 忠告めいた言葉に、リコは自分でも不思議なほどに苛立った。


「だーかーらー、なーんにも心当たりないんだよー」


 リコの言葉は、少しだけ刺々しい気配があったかもしれない。


「いつかあったら思い出してくれれば良いにぇー。それにこれは自分への言葉だにゃー」

 

 フロライアはするりと躱す。


「いつか、ね。りょーかい。でも自分にそんなこと言う人なんだ。知らなかったよ」

「私も無茶振りされたから、仲間がいないといいなーと思っただけだにぇー」

「へえ、どんな無茶振りされたのかな?」


 ふと湧いた興味。あの真宵ティーチャーのことを考えるよりよほど良い。


「いざという時に働けって言われたんだにゃー」

「いざという時?」

「これ以上なく追い詰められたら、馬車馬の如く働かされるにぇー。そんなのごめんなんだけど……」

「だけど?」


 リコはフロライアが切った言葉の続きを求める。


「それを言うってことは、大体察せるってことだにゃー」


 諦め半分なフロライアの言葉に、リコは自然と頷く。

 三日月真宵。あの正体不明のティーチャーが命令したことで、無駄なことなど何一つとしてあったことがない。どんなに奇怪な命令でも、どんなに些細な命令でさえ、そこには未来を見ていたかのようなふざけた最善手と結果だけが齎される。

 となれば、フロライアに下された命令は遅かれ早かれ実行されることとなるだろう。

 本当に何者なのだろうか。アラヤ統括局の秘蔵っ子というのも相当面倒な予想だが、真宵を見ているとそれ以上の何かがある気がしてならない。リコでさえ理解できない人間など、でさえそうそういなかったというのに。


(ッ……!!)


 結局真宵へと思考が傾いている。

 これはダメだ。苛立ちが加速するだけではないか。


「またかにゃー? そっちも重症の用だにぇー。私も人のことは言えないけど、吐き出さないと自分ばっかり辛くないかにゃー」

「……できてたら、私は嫌われてないよー」


 普段より幾分か低い声。リコの隠していた心が、少しだけ覗いている。


「やーっと少し見せてくれたにゃー。そうやって混ぜれば“ミステリアスにゃー”で通せるにぇー。リコは可愛いからにゃー」

「……そうなんだ。キャラチェンジは、考えてみようかな〜」

「キャラと言えば、さっきのは真宵の本心だったのかにゃー? あんな叫びができるなんて、あの人も人間だったんだにゃー」


 先ほど突然流れた、真宵の慟哭。

 血を吐くような声に、絶望を煮詰めた音、ありったけの呪いを込めた響き。

 真宵が責めていたのは神様でも世界でもなく、紛れもない真宵自身だった。

 あまりにも人間離れした完璧さを見せつけていた真宵が、あの時だけは人間だった。


(だからこそだよ。人の心があって、私を知っていて、それでもを口にするなんて……傲慢者がッ!!)


 間違いなく真宵はリコを知っていた。

 何処で情報を得たのかはわからない。何処まで把握しているのかもわからない。

 だが、リコが最も忌む過去を、真宵はするりと言い当てた。

 そのたった一言が、リコをこれ以上ないほどに荒れさせる。


「ほーらまた可愛く笑ってるにゃー。私も人でなしだから、少しぐらい見せても何も言わないにぇー」


 リコが自分の顔に触れれば、そこにはニコニコとした笑みが張り付いていた。

 幼くて、可愛くて、か弱そうで、快活で。

 人が思わず懐に入れてしまいたくなるような、作り物の仮面。

 この顔を演じる時間が長すぎたせいで、癖となってしまっているようだ。


「リコは敏感過ぎるんだにゃー。私なんて単純な生き方しかできないにゃー」

「うそ」


 リコの笑みが崩れ、20パーセントの無表情が付け足される。

 フロライアは、“墓穴を掘った”と“闇が深いなぁ”の思考を同時に抱く。

 快活なリコの声は、闇を含んだものとなっていた。


「貴方の思考は読みずらい。人間としての形も参照できない。私がいくら調べてもまったく不審な点は出てこなかった。何一つ。そんなことはあり得ないはずなのに、貴方はあり得てしまった」

「単純な生き方してたからにゃー」

「ならなんで私が、貴方を理解できないの? 


 リコの言葉から、温度が奪われていく。


「私ですら想像できない嘘の塊。貴方は私と同じ、偽りでしか生きられない。確かに、落第者人でなしに相応しいね」


 飾ることすら破棄したリコに、フロライアは苦笑を返した。

 

「嘘は吐いてないにぇー。単純に生きようと無理してるだけにぇー」

「矛盾でしかない」

「はっきり言うにゃー。……私ぐらい複雑な生い立ちだと、生き方くらいは単純になりたくなるもんだにぇー。一人の人間に過ぎた贈り物は、呪いと変わんないんだにゃー。リコも、覚えはあるにゃー?」


 覚えはあるか? あるに決まっているだろう。

 他者との差異。それが祝福と言われる類のものであっても、作用の仕方によっては強大な呪いにも転ずる。まして、制御できない幼な子の時代に発揮されたならば、排斥されるのは当然のことだろう。

 フロライアが、何処か遠くを見るように視線を上げた。


「私は逃げたにぇー。言い訳のしようもないくらい逃げてばっかだにぇー。そのくせ、猫みたく気ままに生きたいのに、自分を自分で縛ってるんだにゃー」

「どうして?」


 リコはあえて、如何ようにも取れる問いを投げかける。

 フロライアは、焦点をリコに合わせた。


「それは言えないにぇー。……でも、世界の命運を自分で握るか、世界の命運を握る人のそばにいれば、わかるかもしれないにゃー」

「……そうなんだ」


 わかるような、わからないような、曖昧な答えでしかない。

 しかし、フロライアが真面目に答えたことだけは理解できた。


「納得できないにゃー? ならこの任務が終わったら、ぶつかってみてもいいかもにゃー。自分ばっか神経尖らせるのは辛いにぇー。やられたらやり返せだにぇー」


 フロライアは「そうだよにゃー?」と笑ってみせる。

 それを見てもリコの表情は晴れない、だが自分の中の怒りが引いていくのを自覚していた。

 胸にわだかまるモヤモヤは晴れないが、頭にあった苛立ちは薄くなっている。これならば忌々しい命令を遂行するのにも苦労しないだろう。仮面もいつも通り被れそうだ。


「ごめんなさい。手間取っちゃった」


 うえが戻ってきた。

 交渉の場は用意できたらしい。さすがは上位教師といったところか。


「ぜんっぜん待ってないよー。せんせーお疲れ様」

「お疲れ様だにぇー」


 リコはうえの背中を追いながら考える。

 胸を占領するモヤモヤは真宵と対峙しなければ晴れそうもない。ならば、それまでに自分の利用価値をこれでもかと叩き込んでやる。盟主にだって媚びた、今更もう一人に媚びたところで問題はない。


(待っていろ。私の過去を犯した罪は受けてもらうから)


 笑顔の裏のリコは、冷たく固まっていた。

 それでも疑問は頭の隅に生まれ続ける。

 

『リコ、君がどう思いどう動こうとも……“それでも私はお前を愛してる”』


 三日月真宵。お前は、何処で母の言葉を知ったんだ?

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