裏に潜むは高慢なる罪人

 窓のない部屋に、男は身を置いていた。

 部屋の光源は間接照明のみであり、部屋の全貌を見るのはなかなかに苦労するだろう。事実、男は何を見るでもなく瞼を下ろしてしまっている。

 しかし、男の上部は比較的光が当たり、その姿を浮かび上がらせている。

 端正な顔立ちだった。

 暖色の淡い光が浮かび上がらせる、彫りの深い玉のようなかんばせ。滑らかな肌は大理石すら連想させ、パーツの一つ一つが名高き美景を連想させる。

 髭はなく、まつ毛は長い。それでいて輪郭は鋭く、唇は薄い。

 女性的な柔らかさと、男性的鋭さ。

 かつて街中を歩いていた時には、そのユニセックスな魅力に振り向く人間は多かった。今一度姿を晒せば、ちょっと見ないくらいの話題にさえなるかもしれない。

 それでも、男は“男”であると瞬時に理解させられるはずだ。女性に間違えられることはあまり考えられない。

 鍛えられ引き締まった体躯、柔軟ながらも秘められた力を連想させる体運び、自信に満ち溢れた仕草。

 それぞれが大きな流れとなって、男の印象を意識に叩き込む。

 だが多くの人間は『美しい男』の印象の後、大抵同じ考えを抱くことだろう。


“あれは、本当に人間か?”


 あまりの美しさ故だろうか。

 否である。確かに現実離れした美しさではあるが、それはあまり関係ない。

 “美的”ではなく、言うなれば“異質”。

 形が決まっている世界に、突如として侵略してきた異常存在であるかのような。そんな世界の根幹が揺さぶられる感覚を覚えざるを得ない、そんな異質さだ

 死を忘れた聖人のような、何千年も生きた仙人のような、死後の世界を知る船頭人のような。

 あまりにも常人とは隔絶された空気が、男には纏わりついていた。

 よほど只人から外れすぎた考えを持つ者でもない限り、初見で異物感を感じないなど考えられないことだろう。

 男は何処までも超然としている。

 男は自身こそが現時点で最高に近しいと本気で思っている、だから超然たるが正しい道なのだ。そしてそれは間違いではない。その知性は世界最高峰であり、その肉体は人間の理想値にも届き得る。それは純然たる事実であり、論理的に下された結論に過ぎない。


「ふむ」


 そんな男が珍しくも、組んだ指で忙しなくリズムをとっている。

 安楽椅子に身を任せ、柔らかな光に包まれる。リラックスで雑念を払えるはずなのに、男には小骨が引っ掛かったような違和感が振り払えない。

 それは男にとって、実に奇妙な感覚だった。


「噛み合っていない」


 焦茶の椅子は完璧だ。その形も触感も至高の出来である。

 暖色の間接照明も悪くない。目にも優しく気分を落ち着ける。

 インテリアコーディネートも瑕疵はない。男の趣味に合致する。

 全体の雰囲気も溜め息が出るほどの完成度。それは男という人間を付け足しても変わらない。むしろその耽美さを強調している。

 では何が“噛み合っていない”のか。

 見えるものではない。

 聞こえるものではない。

 触れるものでもない。

 もっと大きく、もっと遠く、もっと無明瞭なものだ。


「私の“予知”と未来が乖離したのか?」


 しっくりとくる。

 男は確信した。世界最高峰と自負する頭脳が弾き出した未来が、これから起こる未来と差異を持っている。

 男を知る者からすればあり得ないとすら言える現実を、男は粛々と受け入れた。それもまた、男の器の大きさを示すものだろう。

 そもそも見てすらいない領域の違和感を察知できる時点で、男の規格外さがわかるというものだ。


「であれば、何処の話か」


 アメリカでの勢力拡大————違う。

 アフリカにおける資源争い————違う。

 ヨーロッパの技術ファイト————違う。

 もっと狭い範囲か。

 オークニーで生まれる予定のハイ————違う。

 オハイオの集団失踪————違う。

 シルバーアローの新金属開発————違う。

 違う違う違う————…………見つけた。


「日本での合同任務。これはすでに要素が出揃っていたはずだが」


 いや、一つだけ見えていなかったものがある。

 新しくティーチャーとなったらしい、真宵なる“大数”だ。

 任務が始まる前の日本支部の動きから、その能力はある程度算出してはいた。しかし、ズレがある以上は真宵に関して見えていないものがあるのだろう。


「ふむ、照明をつけよコールライト


 男の声を拾った音声センサーが信号を発し、AIが即座に部屋の直接照明を起動させる。

 明るくなった部屋で、ゆっくりと瞼を上げられた。

 見惚れるほどの無駄のなさで立ち上がると、男は壁面モニターの前に移動し情報を精査していく。

 見るも不可思議な幾何学模様と、数万にも及ぶ数字の舞踏。大抵の人間ではまともなデータを取ることすら困難なカオスから、世界最高の知性は必要な要素を組み立てていく。


「新たな前線の構築」


 読めていた。


「自衛隊の兵器を要請・使用」


 これも単純な答え。


「フランス支部の解放学兵器を使用」


 これも間違いはない。


我が同類メイガス、オリヴィエ・パラメデス・ローズブレイドによる決着……」


 ここだ。ここに違和感を覚える。

 オリヴィエ意外に決着をつけられそうな実力者はいないはず。

 時間をかければ変わるかもしれないが、そのような事態になれば日本ナンバーズ6以上が派遣されるだろう。各国のメンツもある以上、オリヴィエとて非難されることは避けるはず。

 加えて、魔獣の体内にひしめく余獣を最速で排除できるのもオリヴィエだ。次点で和秀リアムデミ・ナンバーか。

 しかし、あの自己中心的な演出家が未だに控えているという事実そのものが不可解。その気になれば即座に終わらせられるというにも関わらずだ。

 誰かに状況を預けているとしか思えない動き。

 万能者が誰に預ける?


「三日月真宵……」


 男の口元が緩やかな弧を描く。

 その瞳には言語化し難い光が宿っていた。あえて言うならば、ユキヒョウを見つけた研究者、もしくはアロサウルスに羽毛があった証拠を見つけた古生物学者か。

 計り知れない知性が見初めた、可能性の具現。

 定義がズレるという、超越的能力には考えられない異常。

 

「これが我が同族たる世界を見定める者ミスティナ・ラングレーの干渉ならばまだ良い」


 アラヤを作り上げ未だに最高指揮権を握る女傑、それがミスティナ。解放戦力と魔獣による混乱期カオスエイジを瞬く間に治めてみせた、時代を切り開いた英雄だ。そして、男と対等に渡り合えると証明されている、数少ない敵対者ライバルでもある。

 彼女が盤面に干渉したのならば、男の読みと駒が違う動きをするのはまだ想定の範囲内だ。

 だがもし、小さな盤面とはいえ男の読みを超える指し手プレイヤーが存在しているのならば——


「……これは、最後まで見守る必要がありそうだ」


 ああもしそんな存在が隠れていたならば、引き摺り出さねば。

 現状を考えれば、男にとってこの状況は渡り船にも等しい。


「三日月真宵。あるいはその背後にいる者。君は果たして、運命を超える器かね」


 世界最高の知性、地球盤を操る指し手プレイヤー絶対悪イヴィル・ワン、愚者の盟主……

 彼の者こそは、神に弓引く大罪人なり。



     †††



 叶える者よ 叶える者よ

 哀れなる迷い子に慈悲をくださいな

 箱庭遊びに飽きたりしないで

 中に降りて下さいな

 一緒にいれば箱庭は安泰

 つまらないなんて忘れて

 ずっと一緒に遊びましょ

 もう一つの箱庭なんて

 すとんと落として忘れておしまい

 願う者も叶える者も

 楽園で悠久遊びましょうね


 ああでもできないならば——



 ——新しい神様を作ってしまいましょうね

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る