第20話 高まる結束、誇らしき熱
「……遅いわね」
うえが呟く。
スマートグラスに表示されている時刻は6時45分。出発時刻は7時なのでまだ時間があるといえばあるが、来ていない顔ぶれを考えれば、本来ならば見えないはずはないのだが。それどころか誰よりも早く来る可能性の方が高いだろう。
「そんなに心配ですか」
「茜ちゃん。だって真宵ちゃんとリアムくんよ。何か事件でも起こったのかしら」
うえの中で軍人系ツートップといえばこの二人だ。真宵は将校系、リアムは現場隊長系と分かれてはいるが、二人とも凄まじくお堅い雰囲気が感じられる。
普段から時間には厳格な部分があり、30分前から到着していた事もあった。というかそれが二人の普通ともいえた。
そんな二人がこの時間まで来ないのは、確かに異常ではある。
「メールは送りましたか」
「返事がないのよね。リアムくんなんかはいつも返してくれるのに……」
「そう心配する必要もないと思いますよ。あの二人は無断で遅刻する人間ではありませんし。……ほら、あれじゃないですかね」
徐々に近づいてくる
うえ達の前で開いたドアからは、真宵とリアムが降りてきた。
「すまない。遅れてしまった」
「大丈夫よ真宵。まだ時間はあるわ」
「よかったわ、事件に巻き込まれたわけじゃなかったのね!」
顔を見合わす真宵とリアム。
自分達にそんな危険が迫っていたとは初耳である。
「気にしないで、うえ先生は心配性なの。貴方達が遅くてソワソワしていたのよ」
「だって心配じゃない!」
でも何もなくて良かった、と笑みを浮かべた。
「すまない。これをリアムに運んでもらっていたので遅くなった」
リアムがオートカーからケースを降ろし出す。黒に赤のラインが入ったかなり大型のもので、確かに細身の真宵では運ぶのに苦労しそうである。
「何が入ってるの?」
「さてな。これは母から送られてきたものだ。正確にはホワイトアロー・エレクトロニクスからだな。なんでも、任務の際必要となるかもしれないものらしい」
なんてことないように言った真宵に、その場にいた人間は驚きを見せた。
ホワイトアロー・エレクトロニクス。それは普通機器から解放学機器まで広い分野に精通した、世界有数の大企業。
そんな所からわざわざ送られてきたとは、一体何が入っているのか。いやそもそも、真宵とどんな繋がりがあるのか。
リアムもそんな物を背負っているとは思わなかったのか、若干驚いているような気がする。
「それは……」
「さて、感謝するリアム。君はバスに乗ってくれ」
そう言って真宵はリアムからヒョイっとケースを奪い取った。実に軽々と持っているのを見るに、負担ではないらしい。
お前持てるんかいっ!?
そう思ったのはおそらく見ていた全員である。
(みっ!? 割と重いけど……持てないほどじゃない)
【流石です】
(なんの賞賛?)
ちなみにケースの総重量は20キロを超えている。それをヒョイっとだ。
真宵は元引きこもりのくせに、何故か身体能力に衰えはなかった。そして身体能力が無駄に高い。
一言でいえば、“ゴリんぬ”だった。ついでに“ぺったんこ”の属性も所持。何処とは言わない。
「それじゃあ、出発するわよ」
全員が乗り込んだバスの中で、うえがそう言って発進命令を出した。
†††††
「えーと、真宵ちゃん?」
「なんだろうか」
異様なほどに誰も喋らないバス内で、うえは勇気を振り絞って隣の真宵に声を掛けた。声音には、困惑の色が見て取れる。
「そ、そんなに気を張らなくても良いのよ?」
真宵が出発してからずっと行っている行動に、うえは否応なしに目を引きつけられていた。
「別に気を張っているわけではない」
「そ、そうなの……」
「ああ、必要だからしているだけだ」
そう言って真宵は、また一本テーブルの上に置いた。
曇り一つない輝きを宿した金属が整然と並ぶ様子は、ある種芸術的でもある。
「私達は後方待機だから、それを使う機会はないのだけど……」
真宵は並べられた内の一本を持ち、またクリーニングクロスで磨き始めた。
「これは私の対処術だ。気にしないでくれ」
「そう……」
うえはとうとう言葉を失った。
真宵が磨いているもの、それはナイフだ。
果物ナイフと同等か少し大きいぐらいの両刃ナイフ。形状などから考えるに一般的に買えるものではなく、オーダーメイドで作られたであろうことが窺える。
真宵は指でなぞったりしてわざと汚した後、クロスで拭くを繰り返していた。
(真宵ちゃん、以前はナイフをよく使う場所にいたのかしら。きっと癖が取れないのね)
こんな子供にどんなことをさせていたのか、うえはなんともいえない感情を抱いた。
何度も行う手慣れた動作、同じような行動を何度も繰り返した人間でしかできないことだろう。ならば、ナイフを繰り返し何度も磨く癖とは、一体どんな生活を送れば身につくだろうか。
とまあ、うえがそんな思考をしているが……うーん、じゃあ覗いてみよう。
(な、なんでみんな喋らないのぉ? なんなの? 罰ゲームか何かなの?)
【罰ゲームではありません】
(しかも服に入ってるとか気付かなかったし。刺さったら危ないじゃん!)
【説明書データに記載されていました。そして刺さる確率は極めて低いかと】
(法律とか大丈夫なのぉ)
【貴方の権限を鑑みるに、全く問題ないと思われます】
(ウガーっ、誰か喋ってよぉ)
【
(何語やねん!? って、それはともかくこの空気感がキツイよぉ)
うん、ぼっちのくせに全員が黙っているのが苦手なタイプか。いますね、重い空気が苦手な人。そういう人は優しく包み込んであげると、なんだか良い空気になりますよね。
それと、自分がシリアスクラッシャーだってことわかってるのかコイツ。自覚してるわけないよなぁ。
(あー、こんなことになるなら猫ちゃん達を連れてくれば良かったなぁ)
無論、本物の猫ではない。真宵は毎夜睡眠薬を飲む前に、猫の置き物を磨く癖があるのだ。
どうせ磨くならナイフじゃなくて猫が良い。こう、没頭感と手のキレが違うんだよなぁ、と思いながら真宵はナイフを磨く。
なら何故こんなことをしているのか。やることがなくなったら、重い空気感に押しつぶされそうだからだよ。小心者かつ空気の読める(マジで?)ぼっちは繊細なのである。
ちなみに真宵がそんなことをしているので、他のオペレーターも武装の確認や資料の読み込みに精を出している。当然口を開くことはない。
だんだん空気が重くなる〜……普通に悪循環では?
「はあ……」
漏れ出すため息でナイフを曇らし、憂鬱な気分でナイフを磨く。
その見た目は何処までも鋭利。鋭い視線、結ばれた口元、淀みなく動く指の一本にさえ芯が入っている。鏡面に映った顔など、もはや万の命を重みとする指揮官そのもの。
戦線から離れた兵士でさえ、この姿を見れば気を引き締めるだろう。
(お願い……誰か……明るい空気を……ぐふっ)
お前が諸悪の根源だからな? なんて言う人間は存在しなかった。みんな優しいなぁ。
まあ、そんなこと言おうものならば撃ち抜かれそうな空気を、真宵は纏っているわけだが。何をせずとも恐怖支配とは、独裁者もびっくりである。
セルフ反願望行為をしている真宵だが、そんな姿を哀れに思ったか、ルヴィが助け舟を出す。
【貴方から会話を盛り上げてはいかがでしょうか】
(できるかぁぁあっ!!)
おおう。この脳内AI、ぼっちに向かってめっちゃ過酷なこと言い出したぞ。コミュ障にそれを勧めるのは、『ボールがないからお前がボールになってよ?』と言っているのと変わらない。
そもそも自発的に動けないからぼっちなのであって、積極的に動けるのならコミュ障していないだ。
しかしそこは世界最高の知性、そこん所も織り込み済みである。
【まずは意識する人数を減らしましょう。残すのは隣の樽井うえだけで構いません】
(む、こうか)
視線は手元に向けながら、意識を向ける方向を減らす。
自分を中心に広がるキャンパスにある多くの色を、白に変えていく感覚だ。そうすれば気を引かれる対象は自ずと減り、イメージの中にはうえが取り残される。
真宵が行なっているこのような技術は、本来ならば相当の修練の果てに習得されるものだ。真宵の才能を以てしても、そう易々と行える類のものではない。訓練などしたことのないのだから、尚更のことだ。
一度認識したものから意識して認識を外すというのは、それほどまでに難しい。
(んー、あと少し。残りの意識は全部他の所に移すか)
本来の“認識しない”という手法とは異なる、真宵なりのアレンジ。
まず“認識はする”、だか必要な意識以外を他の思考に押し付ける。
どういうことか説明しよう。
前提として真宵は並列思考を行える、そしてそれぞれ思考法に違いがあるのだ。真宵はそれを上手く使っている。
まず汎用的思考で全体を把握、そこから徐々に周りへの意識を思考法に分けて分配していく。思考法が違うということは、処理の仕方も違ってくるわけで、それぞれが独立すると言っても良い。分配された意識は消えることはないが、同時に混ざることもないというわけだ。そうして残るのは、主要な思考の中の意識だけである。
認識はしている。意識もしている。だが主観的の残るのは必要なものだけ。
わかりやすいイメージとしては、キャンパスから色を一つずつティッシュで抜いていく、といったところか。
まあ、わかりにくければこの認識で構わない。
“とりあえずなんかヤベェ!!”
【では、樽井うえの顔を見てください】
隣に視線を向けた真宵の目に、思い詰めたかのようなうえの顔が映った。こちらに向いたうえと、視線が合うのがわかる。
ハッとする真宵。
【何を言うべきか、貴方ならばわかるはずです】
(うん、ここからは、私じゃなきゃならないね)
ナイフとクロスを置き、真宵はうえに声をかける。
「……すまない」
「え?」
唐突な謝罪に驚いたうえだが、続く言葉に表情を強張らせた。
「私が(ナイフをいじるので)恐ろしいと思ったのではないか。当然のことだ、私は
「っ!」
「君が私について何処まで知っているのかはわからない。だが、少しは
「それは……」
悲哀か罪悪感か、うえが苦々しい色を浮かべる。
真宵から読み取れるのは深い謝罪。そして表情の僅かな動きを見ていたからこそわかった、底の無い自己嫌悪。
まるで人生を苦痛の海としたかのような“闇”が、なぜ15年しか生きていない少女が……そうだ、この子はまだ15歳なんだ。そんな子供がこれほどの“闇”を内に秘めるなど、一体何があれば起こりうるだろうか。
いや、うえには少しだけわかる。カウンセラーとしての経験が教えてくれる。この眼は、周囲が輝かしく見えてしまうからこそ、自分が忌まわしく思えてしまう人間の、自戒を込めたものだと。
「この身は度し難い。あまりにも(対人関係が)弱く、守りたい(社会的尊厳)という思いもいつしか潰えた。結果が“
「そんなことはっ……!」
反論しようとするうえの言葉を、真宵は首を振って止めた。
「これはただの事実だ。ただ普段通りにするだけで(ナイフを)見せつける事となり、(コミュ障で)他者とわかりあう事すらできない。私は自分が見えない所で、どれだけ君に負担をかけた? 意識しない場所で、どれだけ君の悩みを増やした? 十か百か、あるいは千か。私が
「違うっ! 真宵ちゃんは何も悪くない! 私達は勝手に……」
過去を調べていることが知られているのもどうでもよかった。ただ真宵が自分を否定している姿が、ただただ悼ましく悲しい。その原因となったのが自分達であることが、たまらなく腹立たしい。
うえはコマンドティーチャー、つまりは上位教師だ。言葉一つで生死すら決まる立場である以上、常に大局を見ることが求められる。利益と損失を、冷静に秤ることが求められる。物事の損益を客観的に見ることは、最も初めに教えられることだ。
私心は余計なものだ。それで損失を出すのは、愚かな人間のすることなのだから。
だけど——
「……真宵ちゃんは、ずっと苦しんだんじゃないの?」
「確かに苦しんだ」
「……ずっと悩んだのは貴方じゃないの?」
「ああ、悩んだ」
「それなのになんで自分を責めるの?」
「私が君達の大き過ぎる負担になっているからだ」
——こんな子供にそこまでの重荷を背負わせる社会が、人間が、どうしても許せそうがなかった。
「そんなことっ……!」
そしてその重荷を背負わせている一人は、うえ自身だ。
自分ならば何かできると、自惚れていた。どんな敵が真宵を狙おうとも彼女を守れると、傲慢にも胸を張っていた。
「真宵ちゃんが負担だなんて思ったことはないわ! むしろ、甘えていたのは私よ……私、だったの」
違うだろう。自分の為すべきだったのは、そんなことじゃないだろう。
真宵は強かった。あまりにも強靭で、一人で全てを背負えるだけの力があった。だからこそ、うえは……いやミアも誰もかもが、見誤ってしまった。
真宵ならば自分の事は自身でどうとでもできると、そう思い込んでしまった。
「“守る”だなんて、どれだけ自分勝手だったんだろう。私が名乗る役職の本質を、履き違えてまで……」
何故アラヤに『ティーチャー』という役職があるのか、カウンセラーと任務補助が仕事であるのに、どうして『ティーチャー』という名であるのか。
寄り添う為だ。
向き合い、共に考え、言葉を交わし、信頼を築き、たとえ最後の時であろうとも寄り添う。それがアラヤで生まれたティーチャーという名に込められた、“祈り”だったはずなのに。
「ごめんなさい。私が、私が最初に謝るべきだったのに。気付くべきだったのに。……真宵ちゃんに、謝らせてしまった。……ごめんなさい」
滲む涙をそのままに、視線を下げる。
何が『コマンドティーチャー』だ。何が上位教師だ。一人の少女の心にすら寄り添えない自分の、何処に“ティーチャー”を名乗る資格があるのか。
真宵が苦しみ悩んだ事など、とっくに想像できていたはずなのに。
「うえティーチャー……」
初めて聞く鋭さの欠けた声に、顔を上げる。
いつも冷たく鋭く、そして威厳に満ちていた表情は、今はどうすれば良いのかわからないと困惑に眉が下がっていた。
それは何処か年相応で、目の前にいるのが一人の少女だと実感させた。
「ねえ、真宵ちゃん。これからは全力で頼って。どんな小さなことでもいいわ。確かに私達は同僚でもあるけど、貴方は生徒でもあるのよ。迷惑なんていくらでもかけて良いの。それができるのは、今だけなんだから」
真宵は困り顔のまま口を開く。
「だが、恐ろしいだろう」
「もう恐ろしくなんてないわ」
「私は、空気を悪くする」
「誰だってそういう時はあるわ」
言い切るうえ。その真っ直ぐな目に、真宵は視線を外した。
「私は、
(なんなの? ここにいるの聖人なの? うぅ〜まぶちいよ〜)
なんか幼児退行してないかこいつ。
「だからって距離を置くつもり? そんなことさせないわ。嫌がっても、絶対に捕まえて助けてあげる」
「う……そうか……」
(う、うわーん。ママ〜)
本格的に幼児化してしまった。
ちなみに、真宵は自身の母に向かって“ママ”と言ったことは一度しかない。基本的には“お母さん”呼びだった……のだが、最近“
「ならば、私も君に少し甘えるとしよう」
(ママ〜ママ〜!)
こいつの脳内どうなって……いやこれ、並列思考ですわ。無駄に高度な技術を使いよってからに。
確かにうえの母性は相当なものだが、ぼっちをここまで籠絡するとは。
【……っ】
お前も軽くウケてんじゃねえ。こうなる事わかってて誘導しただろ。
「真宵ちゃん、“私”じゃないわ」
「どういうことだ?」
首を傾げる真宵に笑いかけ、うえは車内に目を向けた。
つられて視線を動かした真宵の視界に、今まで意図的に意識していなかったオペレーター達が入った。
誰も彼もが真宵達に注目し、その動向を気にしている。
共通するのは、その顔に少しだけ明るい表情が浮かんでいること。口角が僅かに上がっているだけの人間もいるが、確かにそこには暖かな感情があった。
「“私達”が、真宵ちゃんを助けるのよ」
同意の声が、ちらほらと響いた。
「そうか、そうなのか……それはまた……」
僅かに緩んだ口元と目元。ただそれだけの変化に、見ていた全員が見惚れた。
溶けかけの氷が輝くように、朝日の中ヨツバカタバミが開くように、窓から暖かな風が吹くように。
なんて繊細で、なんて美しく、なんて儚い笑みなのだろう。
この小さな笑みに、どれだけの“心”が込められているのだろうか。薄氷の如き笑みの時とは違う暖かな心を、感じてくれているのだろうか。
「ふ……では存分に頼るとしよう。途中で根を上げるなよ? そして君達も私を存分に使え。できる限り協力し、(ルヴィが)最善を与えてやろう。逃げられると思わないことだ」
「「「ハッ!」」」
その笑みを浮かべた理由が自分達であることが、何処までも誇らしい。胸が熱く頬が緩むほどに、最高に胸を張れる気持ちだ。
この強い人が迷った時、自分達が灯りと成れるのならば、全てを懸けても惜しくない。そんな思いを、誰もが抱いた。
(グハァ! 何ここの人たち良い人過ぎ……。私のぼっち引きこもりを肯定してくれるなんて、めちゃっこやばい)
【おめでとうございます】
(ルヴィィィ! ありがとー!)
【では、もう話を振れば和気藹々とするでしょう。おすすめは
(感謝いたしますルヴィ様!)
なんか生贄を与えたようにしか見えない。
「矢小木、リコ、何か面白い話はないか?」
「急に!?」
「あはは! 真宵せんせー無茶振りだ〜」
現場に着くまで、車内は笑みに満ちていた。
(う〜ん、釘を刺されちゃったかな? それとも単に性格で選んだだけ? とりあえず、注意だね〜)
一人のオペレーターが、真宵を観察していることには、誰も気付いていなかった。
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