第2話 道は拓けているだろうに(キメ顔)
手が届くほどに接近したテロリストが、無造作に手を伸ばす。
掴もうとしたのは襟か、肩か、それとも髪か。胸より上であったことは間違いない。ルヴィの言った通りだ。
その手が届く前にテロリストの目の前に手のひらを突き出し、それを極力動かさないように体を低くしながら、捻るようにしてテロリストの横を通り抜ける。
「なっ!?」
動くはずがないという意識の隙をついた行動、圧倒的な優位性に慢心した人間が反応できるものではない。
真宵の行動にテロリストは慌てて振り返り、そして目を疑った。
否、その場にいた誰もが驚愕していた。
真宵の手に収まっている黒塗りの金属塊。それは紛れもない拳銃だ。
テロリストは自分の腰を見て、何が起こったのかを理解した。自分のホルスターに収まっていたはずの拳銃が、目の前に少女に奪われたという事実を。
(次は!? 撃ち方とかわかんないよ!)
【後ろに五歩下がってください。撃たれません】
(わけわかんないよぉ)
銃を奪われた、それは圧倒的優位性の破綻。
多くの人間がこのような状況においては、すぐに自らの優位性を取り戻そうとする。突発的状況で冷静に物事をみるには、天性の才能か、長く苦しい訓練が必要だ。
故に、あまりにも乏しい経験を埋めるために、短い訓練期間で教えられる基本は決まっている。
『
戦闘機などで言われるこれらの要素は、素人同然の人間を兵士にする際にも有効だ。
経験のないテロリストもそれに従うしかない。
すぐさまライフルの銃口を真宵に向けたテロリストは、だが即座に撃つ選択肢を奪われる。
真宵が銃口を向けていなかったことで、余計なことを考える余裕ができたのがいけなかった。彼女が下がったことで見えてしまったのだ。ちらりと見えた、自分と同じ格好をした仲間が。
「くっ!」
射線上に遮るものなどなかった。距離から考えても連射すれば当たらないはずがない。引き金さえ引けば、脅威は消える。
しかし銃口と少女を結んだその先、少女を貫いて銃弾が飛ぶであろう軌道には、もう一人のテロリストが立っている。
顔も知らない誰かならば条件反射的に撃てただろう。だが、戦争を体験したわけでもないテロリストには、仲間を犠牲にする覚悟がなかった。
(本当に撃たれない?)
【左に半歩動いてください。その後、セーフティを外して天井に向けて発砲します】
射線にいることを理解した一人が横に避けると、真宵も合わせるように半歩動いた。
見えているはずがない。彼女は自分と対面している。だが、もしかしたら……いや確実に……
((コイツ、解放力者かよッ!?))
テロリスト達は同じ結論へと辿り着き、下手な動きを封じられた。
相手は化け物じみた能力を持った超人。自分達が動けば自滅しかねない。
犠牲覚悟ならば殺せるか? いや、解放力保持者は身体能力を向上させる武装がある。タイミングを見失えば仲間が死ぬだけだ。
人質を使うか? 何の能力かもわからない化け物相手にそんなことできるか。それも想定されているに決まっている。
(セーフティってどれ?)
【親指を伸ばした先にある……違います。それは動きません】
(カションッって引くんじゃないの?)
【今時そんなものはありません。それです。それを動かしてください】
見せつけるようにゆっくり銃を操作する行動からも、目を外すことはできなかった。
何故銃口を向けてこないのかわからない。テロリストを制圧しに来ていることは間違いない。殺すつもりはないということか?
それならば好都合だ、そうテロリストは心の中で勝利を確信した。
(さっさと押し潰せ……!)
抑えきれない興奮に、テロリストは口角を歪め、首元に汗が伝った。
(天井の何処を撃つの? あの四角とかなら迷惑にならないかな?)
【ノリノリですね】
(うっ……だって、初めてだし。これで戦意を喪失させるんでしょ?)
【失敗したら、人質が死にます】
(うぐっ……わ、わかった。正直吐きそうだけど、ガンバルマス)
現実逃避をルヴィに辞めさせられたことで、真宵は再び極度のストレスに襲われた。体が変に緊張した、と言ってもいい。
そして彼女の表情筋が軽く緊張した状態は、周りから見れば、思わず零れた微笑に見えていた。何もかもが思い通りに動いたと示すような、下位の者を憐れむような、自らを誇るような、冷たくも美しい彫刻のような微笑に。
「……っ!」
その微笑を真正面から見たテロリストは、感じていた興奮が急激に冷めていくのを感じた。
テロリストは確信した。この少女は、自分達の切り札すら見抜いている!
真宵がゆっくりと銃口を上げる姿を、誰もが固唾を呑んで見守った。
そして、ついに拳銃が火を噴く。
天井向かって放たれた4発の弾丸は、複合素材ではなく金属に穴を開ける音を響かせながら、天井に張り付いていた2メートルほどの物体を撃ち抜いた。
先ほどまで見えなかった物体は、滅茶苦茶になった迷彩を戻すことすらできず、真宵とテロリストの間に派手な音を立てて墜落する。
「「なっ!!」」
驚愕の声は誰のものだっただろうか。全員のものだったかもしれない。
突如として現れた蜘蛛のような機械、それはテロリスト達の切り札。『アラヤ』や警察が来ようとも対応できるように用意されていた、『ドール』と呼ばれる戦闘用の機械兵器だ。まあ、最早動かなくなった金属塊に過ぎないが。
【左の階段に向かって撃ってください】
(なんでぇ)
真宵が誰もいない方向に狙いを定める。
誰もが意味を測り切れない内に、発砲音が響き渡り————対面していたテロリストの胸に収まっていたナイフを弾き飛ばし、同時に手元のライフルを破壊した。
「がッ!?」
何が起こったのかすらわからず尻餅をつき、自らの武器が何も残っていない現実を認識する。
浮かんだのは絶望。
自分がこの後何をしても、次の一手で殺される。そんな思いに支配されたテロリストは、もう指の一本すら動かすことはできなかった。
【さあ、次は後ろの方を制圧しましょう】
(……なんか、ノリノリじゃない?)
【気のせいです】
(なんか釈然としない)
【その前に、あの機械を破壊しときましょう】
(え、まだ壊れてないの)
【まずは残ったテロさんに向かって二歩です】
(テロさん……だs)
【爪ならまた生えてくるでしょう】
(ごめんなさい! 従います!)
残ったテロリストは恐怖に体を震わせながら、自分を向いた真宵にライフルを向けた。だが、手に持ったライフルが水鉄砲にでもなったかのような無力感が、テロリストの全身を支配する。
解放力者の中には化け物がいるとは聞いていた。中には戦車が十台あろうとも敵わない規格外の怪物がいることも、基本情報として知っていた。だから奇襲型のドールを用意したのだ。どんな奴だって油断したところを襲えば、後はドールの戦闘力で殺せる……はずだった。
結果を見れば、勝負すらさせてもらえなかった。こちらの手の内は全て暴かれ、あちらの手札はまだわからない。
こんな、こんな化け物がいるなんて聞いてない!
そんなテロリストの心をさらに掻き乱すように、真宵は薄い笑みを消して歩を進める。
「く、くるなぁッ!」
真宵の足が止まる。
一瞬安堵したテロリストは、しかしその奇妙な点に気が付く。
(何で、足が浮いて……)
いや違う、少女の足は浮いているのではない。何かの歪みを踏みつけている。小さめのボーリングの球ぐらいの高さの——……
「……ま、まさか」
そうだ、いつの間にか忘れていた。
自分達は三人でここに乗り込んだ。そう、もう一人ドールを操作する仲間がいたのだ。
真宵は銃口をドールの残骸に向けて発砲する。
瞬間、彼女が踏みつけていた歪みは、テロリストの一人へと姿を変えた。
完全に気を失っているテロリストを踏み越え、真宵はテロリストの前に立つ。人質は自由な足を必死に動かして、部屋の隅へと移動していた。彼女とテロリストを遮るものは何もない。
「ひっ」
ガタガタと震える銃口を何とか真宵に向けながら、テロリストの頭の中は、“何故こんなことになった”という言葉がぐるぐると回っていた。
極限の緊張の中、人間ができることなどそう多くはない。動かないというのも選択の一つだ。“動けない”と言った方が的確かもしれないが。それは本能にまで刻まれた行動である。
しかし、テロリストはそうではなかった。
『自分の手には状況を打破できるかもしれない武器があり、相手は何故か動こうとしない。もし、万が一があれば、自分はこの苦境から解放される』
そんな考えができる程度には、テロリストもイカれていたからだ。
そこに“仲間の仇”や“コイツさえいなければ”といった考えが重なり、テロリストはほんの少し、人差し指一つ分の動きを可能にした。
真宵の方もテンパっていて動けない、などという考えに至らない程度には、彼女の仮面が完璧であったことの実証でもあろう。
【そこで決め台詞です】
(何でぇ!?)
【さあ、早く】
(撃たれる! 撃たれるって!)
【言わなければ撃たれます】
(理不尽過ぎる!)
緊張と恐怖で極限状態に陥ったテロリストは、酷い顔色のまま、引き攣った表情を浮かべた。それは見た者によっては、笑みにも見えたかもしれない。言葉にするならば、“恐怖笑い”とでも言うべきものだったが。
「お、おまえさえ……おまえさえぇぇぇえッ!!」
「残念だ」
応えるように発せられた真宵の言葉に、誰もが息を呑んだ。
冷たく、鋭く、しかし何処か悲しげな、美しく透き通った声。
「君には見えないのか」
哀れみであろう表情と共に口から零れた言葉は、その場にいた意識あるもの全ての胸に刻まれる。
「道は拓けているだろうに」
そう言って真っ直ぐに見られた一瞬が、テロリストの限界だった。
言葉にならない叫びと共に引き金を引いたテロリストは————直後、手元で銃が暴発した衝撃に気を失った。
「…………」
誰もが言葉を紡げない状況で、その中心にいた少女に視線が集中する。否、視線を奪われる。
「……ふう」
真宵は一息吐くと、始めと同じように壁の中へと消えていった。
最後には飛び出していた茜達を含め、それを止められる人間はおらず、また追いかけられる人間もしばらくは現れなかった。
†††††
ホログラムを伝っていたら運よく裏口に着いた真宵は、扉を開けて外に出ると全力で逃走を始め……ようとしたが人の多さにやられて、萎縮しながらちょこちょこと歩き始めた。
「不味いよ不味いよッ……捕まったら、なんか大変になるッ……!」
しかし気持ちは焦るもの。顔を晒さないように下を向き、見つかった時を考えてはブツブツとしては、時々周りを見渡して無表情を晒す。立派な不審者である。
【この先に公園があります。そこで休んでください】
「だめ。公園にはカメラが付いてる」
【現在街中のドローンが貴方を探しています。この先の公園は飛行禁止エリアなので、見つかる可能性は下がるかと】
「地下道は?」
【全ての通路が監視されています。建物内も同様に】
「……わかった。少し頭を落ち着ける」
辿り付いたのはそれなりに大きく、人も多い公園。
その中の大型遊具の中に陣取り、真宵は頭を抱えた。
「どうしよう……家族に……言えるわけ……捕まったら……警察……」
ルヴィに従っていたとはいえ、冷静に考えれば相当やばいことをしでかしている。何がやばいかは詳細に言えないが、とにかくやばい。
店の物をどれだけ壊しただろう。いつの間にかいた武装した三人、あれは警察だったのではないだろうか。テロリストを素人が刺激することも、怒られるのでは。
で、でも、人質に害が及ぶのは防いだのだ。それだけは誇れる……はず。
「だよね、ルヴィ」
【いえ、手を出さなくとも人質には害はありませんでした】
「……なんて?」
【人質には、害はありませんでした】
意図的に強調した言葉に、だが真宵はその意図を汲み取ることはできなかった。
「ルゥゥゥヴィィィィ!!」
【声は小さく。通報されます】
渾身の怒りを込めた叫びは、冷静な声に切り捨てられた。
そして訪れるのは、虚無感と自虐。
「何で? あんなに頑張ったのに、全部無駄? あはは、そうだよね。引きこもりボッチにはお似合いか」
【テロさん達は歓迎車に乗せられたようです】
「歓迎車? だってあの人達はテロリストで……」
そこまで考えて、真宵は重要なことに気が付いた。
「ねえ、あの人達のこと、テロリストって言ったことあった?」
【私ならば、ありません】
ガンッ! と頭を打ち付ける真宵。
「テロさんって、なんの略?」
【Terrible Teens を捻ってみました。テリさんの方がよかったでしょうか】
再び頭を打ち付ける音が響いた。
「ち、ちなみに、あの人達は何しに来てたの?」
【社会への悪戯です】
社会への悪戯。それはもしや、最初から誰も殺すつもりがなかった、ということだろうか?
いやいや、彼らはしっかりと銃を持っていたではないか。
【ちなみに、あの三人組は同じ劇団に所属していました】
ゲキダン? ああ、劇団か。
……あれって偽物だったのか?
つまり私は、意気揚々とちょっとした悪戯——違法だが——に割って入った勘違い少女、ということか。
ははは、何だそうか、あれは形だけだったのか。……もしや事が大きくなったのは私のせい……怒られるなぁ。
「帰ろっか」
多少落ち着いた、まあどうでもよくなったとも言えるが、とにかく真宵はフラフラと外に向かった。
「ミャア」
「わ」
顔を出した彼女の前に、1匹の猫が足を止める。
目の前に猫がいれば、撫でたくなるのが人情というもの。真宵は猫好きだったのだ。
恐る恐る手を伸ばせば、猫は真宵の手を受け入れた。その感動は押して知るべし。真宵の荒んだ心はもふもふによって立ち直りの兆しを見せていた。
「あ」
しかし猫は急に立ち上がると、トコトコと離れた、と思いきや立ち止まって真宵に目を向ける。
まるで、着いてこいと言っているようだ。
「どうしたんだろう」
【家まで案内してくれるように頼みました】
「え、ルヴィってそんなことできるの」
【私は有能ですから】
「テストで使っても満点取れないのに?」
【……一生猫に嫌われたいようですね】
「ごめんなさい!」
猫に道案内をされる。猫好きなら一度は憧れるシチュエーション。密かに小さな夢が叶ったことに感謝しながら、真宵は猫の背中を追いかけた。
「こ、こんな所通るの……?」
当然通るのは猫基準の道。舗装された道を通る三倍の時間を掛けて家に着いた頃には、真宵は本気で死ぬかと思ったそうな。
†††††
「見つかった?」
「いえ、波野公園からの足取りが完全に途絶えています」
「カメラもドローンも成果なしですね」
茜はその事実に頭を悩ませる。
ショッピングモールでテロリストを制圧した少女、その正体は一体何者だったのだろうか。
門真は訓練を受けた解放力保持者だと確信しているようだった。それに関しては、茜達も賛成せざるを得ない。あれだけの手際の良さを見せられれば、彼女が一般人でないのは明らかだ。
ならば『アラヤ』所属かといえば、答えは『わからない』だ。
アラヤの信号を使った所を見るに可能性は高いが、あんな少女は見た事がない。もしいれば、あれだけの実力だ、その存在は広まっている事だろう。ならばアラヤではない組織か? それも判断する情報がない。
先ほどティーチャーに支援はあったのかと聞けば、そんなものは要請していないし、命令も受けていない、と答えていた。
一般人かもしれない人物が事件を収め、さらには逃走したと報告したが、ティーチャーも予想外だったようだ。その慌てようは通信機越しでもはっきりとわかった。
そんなわけで追跡を命じられたのだが、収穫はなかったと言える。
まるでゴーストのように消えたと言ってもいい。
まあ、『透過』という解放力を持っていたのならば、そこまで驚くべきことではないかもしれないが。
しかし、少女のもたらした結果を見れば、それは間違った情報かもしれない。
少女が出てきた壁、それはホログラムだった。つまりは『透過』ではないかもしれない。断言できないのは、少女が実際消えてしまったからだ。
いやそれだけではない。門真の『
これらは可能性でしかない。しかしなければ話が始まらない。
『解放戦力は一人につき一つ』
それは絶対の法則、のはずなのだ。
「……わからないわね」
「そうですね。解析を待ちましょうか」
「そうね、帰投しましょうか」
結局、考えても無駄だと判断したのだろう。茜達は踵を返した。
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