第31話 賢者の石覚醒

「こちらの書架でございます」

「はい。わたくしの記憶通りです。確か、この本が『錬金術大全』であったはず」

「仰る通りです。今では背表紙の題字すら読める者がおりません」


 マシューの案内で、ミレイユは書架から問題の本を手に取った。ずしりと重いその本は途方もない年月を経ているにもかかわらず、まったく棄損の兆しを見せていなかった。


「古代の秘伝書という言い伝えが真であれば、1000年の時を経ているはず。それなのに表紙も中身も傷みが見られぬとは」

「秘伝書自体が錬金術の産物と言われております。自己保存の術が掛けられているのでしょう」


 ミレイユは書架の知覚にある小机に秘伝書を置き、静かにページを開いた。

 そこに書かれていたのは、見たこともない文字の羅列であった。


「これが古代文字か」

「はい。幾人もの学者が解読に挑みましたが、1人として成功した者はおりません」


「それは『人間』の話ですね。私が読んでみましょう」


 そう言うと、アンジェリカはミレイユの体の制御権を一時的に奪った。

 読んでいるとは思えぬ速度で、ミレイユの細い指が秘伝書のページをめくっていく。


 すべてのページを送り切るのに5分しか掛からなかった。


「王女様。一体それは?」

「私ではありません。大精霊アンジェリカ様がなさったことです」


 すべてのページを記録したアンジェリカは、WO-2とWO-9の人工頭脳ABを利用して膨大なデータの中にパターンを見出す作業を進めた。

 鍵のない暗号を解くのに等しい作業であり、人間では何万年掛かろうと実現不可能な演算であった。


「アンジェリカ様が解読をされています。ワタシが良いというまで声を掛けぬように」


 ミレイユはそう言うと端然と座ったまま、目を閉じた。


 そのまま5時間。ついにミレイユが目を開けた。


「解けました。錬金術の秘儀はすべてわが手にあり」

「おお、まことですか?」

「この部屋での用は終わりました。聖廟に戻りましょう」


 3人が戻ると、サイボーグたちは祭壇に横たわっていた。脳波通信でアンジェリカが指示したことである。


 ミレイユは祭壇の前に進み出ると、床に跪き、女神イルミナに祈りをささげた。


「イルミナ様、大精霊アンジェリカ様のお力により錬金術の封印は解かれました。どうか我らに『賢者の石』をお授けください」

「賢者の石?」


 マシューはそのような物の存在について知らなかった。それは秘伝書の奥深く封じられてきた秘密であったのだ。


 その時女神像が眩く光り輝き、聖廟の壁を震わせて女神イルミナのお告げが聞こえた。


『錬金術の封印が解かれたことを認めましょう。封印を解きしアンジェリカを当代の「賢者」と認め、「賢者の石」を授けます』


 そう聞こえたと思うと、女神像の額に埋め込まれた緑の宝玉が目が眩むほどの閃光を放ちながら浮かび上がった。

 そのままゆっくりミレイユの元へと降りてくる。


 ミレイユはその石を両手で恭しく受け取った。


「賢者の石、確かにお預かりいたしました」


 拳ほどの大きさの宝玉は不思議なことにほんのりと温かかった。


「ごめんなさい。また体を借りるわね」


 そう言ったのはミレイユの中のアンジェリカであった。


「さあ、忙しくなるわ。アナタたちは全員ここから出ていて頂戴」


 自分以外の全員を聖廟から追い出すと、ミレイユこと、アンジェリカは祭壇に向き直った。


「前代未聞の『魔改造』を始めるわ。2人とも『まな板の上の鯉』になる覚悟は良いわね」

「もちろんだぜ。『ハート』がない胸ってのは寂しくって穴が開いたみたいだぜ」

「ボクの方も願ったりかなったりだ。何しろもう体の自由が利かないんでね」


「ふふふ。大賢者アンジェリカ様の力を見て驚かないでね? まずはWO-9から改造よ」


 アンジェリカはWO-9のこめかみに手を触れ、セキュリティコードを入力してサイバネティック・ボディーの胸を開いた。ミレイユの繊細な指があちこちに触れるたびに、パイプやラインが接続を変える。まるで意思ある物のようにWO-9のサイバネティック器官は自ら構成を変えて行った。


 そこへミレイユは手に持つ宝玉「賢者の石」を埋め込んで行く。


「今度は宝玉を埋め込むのかい? オレの時は魔核だったが、最近のインプラント手術ってのは進歩が速いんだな」

「そうね。5時間で1000年分ほど進歩したかしら」


 WO-2の皮肉なツッコミに、アンジェリカはひるまない。一切手元を狂わせることなく、賢者の石をWO-9の体内に接続して行った。


「これで良いわ。古の錬金術はあなたと共にある。WO-9、唱えなさい。『ジェネシス』と!」


 いまだ腕は千切れ、体はボロボロであったが、WO-9は不思議な平穏を感じていた。

 それは閉じられてもいない胸の中心から湧き上がる。体温とは違う温かさ。真理の力。


「ジェネシス!」


 その瞬間、聖廟は穢れなき緑の光に包まれた。太古の大地に初めて芽生えた草の芽。その双葉が広がるように、WO-9の体を緑の輝きがゆっくりと覆って行く。


 胸の開口部がふさがり、骨が、筋肉が本来の機能と強さを取り戻していく。まるで、映像を巻き戻すように。

 千切れて飛んだ右腕さえ、肘につながって行く。


 傷痕すら残らず、生まれたばかりの赤子のように無垢な肌がよみがえった。

 防護服さえも傷ひとつない状態に巻き戻された。


 緑の光が消え去った時、そこには全きサイボーグ戦士がいた。


「スバル! 動けるか?」

「うん。残念な記憶だけど、改造手術を受けた直後みたいに機能が万全だよ」

「止せやい。変な比較をするなよ。とにかく、どこにも故障は残ってないんだな?」


「ああ、万全だ。僕はまた戦える!」


 WO-9は身を起し、祭壇から滑り降りた。


「今度はアナタの番よ、ブラスト」


 アンジェリカが祭壇に横たわるWO-2に語り掛けた。


「俺にも『賢者の石』とやらを埋め込むのかい? 胸の隙間は満員なんだがね」

「いいえ。賢者の石はもうないわ。アナタには必要ないし」

「ほう? じゃあ、どうする気だ?」


「こうよ!」


 アンジェリカはWO-9の人工頭脳ABを活性化させた。


「スバル、わかるわね? ブラストに『ジェネシス』を使って」


 錬金術ジェネシスとは、破壊された物質を全き状態に復活する秘術であった。それを為すための術式とエネルギーは「賢者の石」に納められているのだ。


 WO-9大空スバルは、胸に埋め込まれた賢者の石と、人工頭脳に棲み付いたAIアンジェリカの力により、「賢者」として錬金術の秘奥を行使することができる。


 WO-2の胸に手をかざしながら、WO-9は唱えた。


「ジェネシス!」


 再びあふれる緑の光が今度はWO-2の体を包み込む。見る間に胸の穴はふさがり、魔人の攻撃で損傷を受けたボディーも新品のように復旧していく。


「はははは。こいつは便利だ。おいおい、こっちの世界で悩みの種だったメンテナンスの手段ができたじゃないか? スバル、お前をオレの専属サービスマンに任命するぜ!」


 機能を完全に取り戻したWO-2も跳びはねるように祭壇から降りた。


「メンテナンスだけじゃないわ。わかってるかしら? 賢者の石がある限り、高速機動装置ODを制限なく使用できるということよ」

「そうか! ダメージは発生する瞬間に直せるんだ。バッタごっこともお別れだ!」


「これでめでたく、空と地上の『スピードスター』コンビが復活したわけだな」


「装備のダメージが直せるなら……」


 WO-9は右手を上げ、WO-2のレイガンの上にかざした。OD2の使用によってレーザー発生回路を焼き切られ、使い物にならなくなったはずであったが……。


「ジェネシス」


 緑の光に包まれた銃は、焼け焦げの後も消え新品同様の姿に戻った。


「これならお前サンが即死しない限り、オレ達は戦い続けられるってことだな。もっともオレちゃんには魔法があるから、この銃は飾りになっちまうかもしれないが」

「レイガンが直せるなら、OD2を使って威力を増幅できる!」


 WO-9は自分の右手をかざして、握り締めた。


「そうか! 1発限りの消耗品じゃなく、何度でも撃てるようになるのか!」

「さあ、害虫駆除の続きに出掛けよう」

「待て、スバル。ここにはもう1つ用事がある」


 そう言うと、WO-2はミレイユ王女の前に歩み寄った。

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