第7話 魔物は裂け目を通り、世界という贄を見つけた。

「裂け目」はある日前触れもなく出現した。


 たまたま起こった新星の爆発。偶然にも近くで同時に起こったブラックホールの発生。

 宇宙最大規模の現象が重なった結果、近傍の時空間にひずみが生じた。時間の連続性が崩れ、空間が引き裂かれた。


「裂け目」のできる場所に必然など無かった。「宇宙」という無限大のジグソーパズルが波打った際にはじけ飛んだ一片のピース。

 たまたまそこにあったという惑星。たまたまそこにあった大陸。


 たまたまそこにあった山中の洞窟同士が「裂け目」によってつながった。


 1つの洞窟は空虚であった。


 もう1つの洞窟には魔物が棲んでいた。


 魔物は裂け目から流れ込む空気を吸い込んで、生き物の甘い香りに体を震わせた。

 そこには「生きるための糧」があった。


 魔物には知性があった。

 知性のレベルはランクによって変わる。共通していたのは――。


 獲って、殺して、食らう。

 その生存本能であった。


 裂け目を抜けると有機物の腐敗臭が魔物の鼻を衝いた。魔物は顔を思い切りしかめた。

 喜びに。


 雨水が運んで来た有機物が堆積し、洞窟内部で腐敗していた。

 そこには微生物がはびこり、微生物を虫や小動物が食らう食物連鎖が存在した。


 温かい血の生き物がいる。

 その喜びに魔物は震えた。しかし、声を上げてはならない。まだ早い。


 獲物を逃がしてはならない。


 初めての獲物はネズミだった。口中を満たす血の味に、魔物は酔った。

 足りない。飢えを満たすには到底足りない。


 もっと大きな獲物が必要だった。


 魔物は獲物を求めて洞窟をさまよった。いつしか斜面を登り、周りが明るくなってきた。

 森の中に口を開けた横穴。その出口に魔物はたどり着いた。


 森は深かった。木々はうっそうと上空を覆っていたが、洞窟に慣れた目には十分に明るかった。

 魔物には闇を見通す目があった。


 外の空気は澄んでいた。腐敗臭はほとんどなく、代わりに木々が放つ芳香が鼻を衝く。

 魔物にとっては邪魔な臭いでしかない。獲物の匂いを邪魔する物でしかなかった。


 魔物は苛立った。思わず口から出そうになった唸り声を、慌てて抑え込む。


 土の上、木の幹、獣が通った痕跡を求めて魔物は鼻を近づけた。どうやらこの近くにはいないらしい。


「Gmrrrrr」


 抑える必要もないと知り、魔物は喉の奥から失意の唸り声を漏らした。

 獲物を求めて歩き出した先に、やがて清流が流れる渓谷があった。


 魔物は肉を欲していたが、それはこの世の理とは異なる欲望に駆られてのことだった。

 食わなくとも死なない。飲む必要もない。


 ただ血に飢え、肉を欲するのは存在の奥深くに住まう本質であった。

 その生は渇望であり、活動とは殺戮に他ならなかった。


 それは「そういう物」であり、意志ある災厄に過ぎない。


 「生」に終わりをもたらすもの。魔物は「そうであれ」と作られた。

 魔物を作り出した者は既に滅びて久しい。魔物に滅ぼされるべき者も既に滅びた。


 滅ぼす者も、滅ぼされる者もいなくなった星の上で魔物は常に飢えていたのだ。

 洞窟の先にあったこの世界は、「飢え」を満たしてくれるのだろうか?


 魔物は鼻を空に向け、胸一杯に大気を吸い込む。

 鼻腔をくすぐる空気には、「生命」の残滓ざんしが満ちていた。


「HwoOOOOOAH!」


 殺戮と破壊の期待に、口からよだれを滴らせながら、魔物は走り出した。

「生命」の匂いが濃くなる方向に向けて。歓びの期待に胸を躍らせて。


 木々が薄くなり、やがて開けた土地に出た。


 湿った草の匂いが、乾いた土と知恵を持たぬ獣の臭いに置き換わった頃、魔物は知恵ある命を見つけた。

 にえにふさわしい生命。消し去るごとに祝福をもたらすうごめき。


 それが、ああこんなにもたくさん。


 魔物は歓びに震えた。

 

 その日、1つの村が魔物と出会い、そして滅びた。


 ◆◆◆


「何だよ、これはよ? どういうことだよ? 何で、こうなるんだよ?」


 音信不通となった村を調査するという依頼をこなしに来た冒険者パーティ、「熱き風」のリーダー、シブキは感情を失った声で嘆き続けた。


 ヨルンド村は彼女の生まれ故郷であった。土地鑑があるという理由で選ばれたミッションに文句はなかった。村に帰れば親戚もいれば、幼馴染もいる。昔付き合い掛けた男なんていうこそばゆい関係性さえ酒の力で塗りつぶしてしまえば、泣けるほど懐かしい時を過ごせるのだ。


 そう思ってやって来た故郷の村は、ただのがれきになっていた。あたりに漂うのは、破滅と死の匂い。

 わかりやすい腐敗臭だった。


「ここはジャンヌ……ジャンヌの家だよな? どこに行ったんだよ? 家が潰れてるじゃねえかよ!」


 家は斜めに切り裂かれ、1面の壁だけを残して粗方崩れ落ちていた。一目見れば無人であることがわかる。

 屋根の下で潰されていなければ。


「ジャンヌはどこ行ったんだよ? 村じゃ、あたしのライバルだったんだぜ? モンスターの1匹や2匹にやられる玉じゃねえ! どうしたってんだ?」


 地面には焼け焦げた跡が残っている。火炎魔法を行使した後ではないか? 何もない場所で地面を焦がした跡があれば、それは火魔法を疑うべきだ。

 だが、影を映したように地面に残る黒いイメージは何だ? これほど大きな存在は、獣はおろか魔物の中でも見たことがない。体の幅が優に2メートルはあるだろう。


 シブキは這いつくばるように地面に顔を近づけ、足跡を透かし見る。

 40センチを超える大きさであった。


 この辺り――といっても山に入ったらの話であるが――で最も大きな獣は熊だ。しかし、シブキはこんな熊の足跡など見たことがなかった。


「足の構造が違う。熊はこんな立ち方はできない。骨格はむしろ人に近いのか?」


 さらに調査範囲を広げると、食い荒らされたとみられる人の死骸に出会った。もはや肉は残っておらず、骨とわずかばかりの皮、そして脂肪が関節にへばりついているだけの残滓であった。


「くそっ。これは食い残しか。殺したのは魔物でも、食い荒らしたのはここら辺の獣ということか?」


 残された足跡に、狼や狐のものがある。


 どこに行っても、「破壊の跡」が残っていた。

 首を飛ばされた誰かが噴き出した血潮であろう、壁に黒々と広範囲な汚れが残っている。地面には骨らしい白い欠片かけらが飛び散っていた。


「こんなことってあるか? 村中皆殺しってあり得るか? 人食い熊だって、何人か殺したら死体を引き摺って山に帰るぞ? ただ、殺しまくるって何なんだ? 1人も残さないって、どういうことだああああ!」


 シブキは頭を抱えて絶叫した。


 鼻水、よだれを垂らして泣き叫んでいたが、パーティのメンバーは誰も声を掛けようとしなかった。腕を組んで、そこらに腰掛けたり寄り掛かったりして、あらぬ方を見ている。


 2、3分経った頃、泣きつかれたシブキが大きくため息を吐いた。


「はぁー、すっきりした。待たせたな」

「おう。で? どうする?」


 仲間を代表して、タンクトップ姿の男、モリヤが声を掛けた。答えは決まっていたが。


る! 糞野郎をぶっ殺さなきゃ、帰れねえ!」

「野郎とは限らねえが、まあわかった。とんでもねえ化け物だと思うが、俺たちが命を捨ててかかれば倒せない魔物はいないはずだ」

「すまない。お前たちにまで命を張らせて」


 モリヤはぱあんとシブキの肩を右手で張った。


「水臭ぇぜ。そんな他人行儀な遠慮は要らねえ。メンバーの仇はオイラの仇だ。他の連中も同じだろうぜ」

「悪かった。今更だな。御託は言わない。力を貸してくれ」


 杖を石畳に突き立てる音、盾を叩く音、刀の鍔を鳴らす音など、思い思いの音がメンバーの決意を表わして廃墟にこだました。

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