私ですが
私は、今日から長い出張が始まる。出張の始まりは長い飛行機移動から始まる。飛行機の中で食べるアイスがとても楽しみである。それが、出張という長い苦行の唯一の楽しみであった。私の席は前方の左側の窓際の席であった。隣の席には、ブラウンのスーツを着た初老の紳士が座っていた。
飛び立ってからしばらくして、客室乗務がやってきて問いかけ始めた。「お客様の中に、お手洗いの近くで時計をお忘れの方いらっしゃいますか?」
私は、中学生時代修学旅行でお風呂場に下着を忘れて朝の集会で晒し者にされたことを思い出した。こういうのって名乗りでにくいんだよなと思ていた時、隣の初老の男性が立ち上がり言った。
「私ですが」
その言葉を受けて、客室乗務員が時計を男性に渡そうとしていると後ろから違う乗務員が小走りで入ってきて少し慌てた声で問いかけ始めた。
「お客様の中に、お医者様はいらっしゃいませんか?」
こういう場面って本当にあるんだと少し驚いていると、また隣の男性が口を開いた。
「私ですが」
客室乗務員が少し安堵して、「こちらへ」と初老の男性を案内しようとした時、また新しい客室乗務員が入ってきた。
「お客様の中に、血液型がA型のRh(ー)の方はいらっしゃいませんか?」
どうやら、流血を伴うケガを負った人がいたようだRh(-)といえば珍しい血液として聞いたことがある。これは一大事だと感じていた時に、また初老男性が口を開いた。
「私ですが」
その言葉を受けて周囲からは感嘆の声が漏れたのを感じた。すると、急に制服に身を纏った男性が飛び込んできた。おそらく副機長であろう。
副機長は少し慌てた声で話し始めた。
「この飛行機内部に爆弾が仕掛けられたらしい」
その声を聞き乗客がざわざわとし始めた。こんなパニックを引き起こすようなことを言うなよと私が思っていると、また初老の男性が口を開いた。
「私ですが」
初老の男性の声は、今までの落ち着きのある声から一変、ドスの効いた
深みのある声であった。初老の男性の右手には黒く光る拳銃が握られ前方の客室乗務員と副機長に向けられていた。初老の男は唯一背後にいた私を睨んだ。私は両手を広げフルフルと首を横に振り無抵抗の意思を見せた。
「貴様、もしかして空港近くの病院で起こった爆破テロの犯人だな?」
副機長は、初老の男に問いかけた。確かに、先週そのようなニュースがあったことを思い出した。その問いかけに初老の男はこう答えた。
「私ですが」
私は、いろんな考えが巡った。こんな自白めいたことを言うわけだおそらくこの機内から生きて出られることは出来ないかもしれない。周囲が不気味な静けさに包まれる、するとまた新たな客室乗務員が入ってきた。
「ご注文のアイスにございます。」
客室乗務員は男の手に握られた拳銃に気づいておらず、右手にはアイスとスプーンが握られていた。
「それは、私じゃないです。」
初老の男性がそう答えると、周囲が一斉に思わずツッコんだ。
「「「「「「それは、あんたじゃないんかい!!!」」」」
機内がまた静けさに包まれた。その不気味な、静けさを最初に
破いたのは私であった。
「そっそれは、わ、わ、私のアイスです。」
飛行機は、暗闇の中を静かに飛んでいる。
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