鬼夜叉

白兎

第一幕 鈴の篇

第1話

「鬼だ! 鬼が出たぞー!」

 里の女がさらわれた。その家の者たちが飛び出てきて、鬼の行く先を追った。


「鬼夜叉様じゃ!」

 誰かがそう叫んだ。振り仰ぐと、屋根の上に白い装束を着た男が立っている。鬼退治の頭領、岡田源之助だ。源之助は鬼の姿を捉えるや否や、すっと姿を消すような素早い動きで後を追った。鬼は金の髪をなびかせ、女を肩に担いでいるというのに、逃げ足の速さは、人であらぬ者らしく尋常ではなかった。屋根から屋根へと飛ぶさまはサルのようでもあり、ムササビのようにも見える。それを追う源之助もまた、里の者が言うようにまるで鬼のよう、夜叉のように身が軽く、人とは思えぬ動きを見せた。そこが鬼夜叉と呼ばれる所以ゆえんであった。

ちち様!」


 源之助より少し遅れてついて来る、長い髪を束ねた少女は、凛々しい父の背を見ていた。必死で追いつこうと、屋根を飛んでは落ち、地面を走り、また屋根へ飛び乗った。山へ向かう鬼に追いつかないだろうと感じた源之助は、弦を引き絞り、矢を放った。シュンッ。それは小気味よく風を切り、鬼めがけてまっすぐ飛んだ。鬼はそれに気付き、身をかわそうとくねらせた。運悪くその拍子に、担いでいた女が落ちそうになり、体制を整えようとした瞬間、矢は心臓を貫いた。しかし、鬼はそのまま山へと姿を消した。頭に生やした角が二本であったことを、少女はしっかりとその目で見た。

「化け物め」

 源之助はそう言葉を吐いて。しばらく山を見つめた。そこへようやく追いついた少女は、父を見て奇妙な心持を覚えた。源之助は鬼を逃したというのに、口元に笑みを浮かべている。

「父様?」


りん、お前……」

 源之助は鈴の気配に気づかなかったことに戸惑った。

「先ほどの鬼。心の臓に矢が刺さりました。なぜ、倒れぬのです?」

 鈴はこの日が初めての仕事であった。

「あの鬼の心の臓は二つあるのだ」

 そう言うと、源之助は身を翻し屋根から飛び降りた。鈴もそれに続いた。

「あのような化け物を、父様はどのように討つのです?」

 鈴の質問に、源之助は答えた。

「あの鬼は、金の鬼はもう数百年は生きているだろう。人の手であれの命を取ることなど、そもそも出来ぬのだ」

「なんとおっしゃられました?」

 鈴は父に聞き返した。

「命は取れぬ」

 父言葉に鈴は思わず、

「では、父様。なぜ鬼を追うのです!」

 と言葉を返した。


「人を攫うことが許せぬからじゃ。金の鬼、あ奴は女子おなごが好きなのだ」

 源之助はまた意味の分からぬ笑みを浮かべていた。真夜中ではあったが、この騒ぎで、幾人かの男たちが出ていて、源之助の勇姿を憧れの眼差しで見ていた。

「さすが鬼夜叉様だ。心の臓を打ち抜かれなさった」

 駆け寄った一人の男がそう言って源之助を称えると、周りを遠巻いていた者たちが歓声を上げた。

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