第2話 二重窓
講義を終え、空腹を覚えた僕は真理を誘って、学生食堂へと向かう。
節電の為、なんて名目のもと、電灯は申し訳程度に所々しか灯っていない。
そんな廊下は、外からの光がぼんやりと差し込んではいるが薄暗く、ひんやりとしている。
教室から漏れ出てくる暖気のおかげで、なんとかコート無しでも歩けるくらいの寒さではあるが、僕達はコートを羽織りふ、並んで歩いている。
それは、バックを片手に、その上厚手のコートなんて持ち歩いていたら……
真理と手を繋げないから。
そんな僕の我が儘に、真理が付き合ってくれている。
教室から学生食堂までの短い時間ではあるけれど、真理と手を繋げてご満悦の僕は、知らず知らずのうちに顔をほころばせる。
僕の右側を歩く真理の左手を、僕のコートのポケットへと忍ばせ、小さな密室で指を絡ませる。
そうして触れる真理の手は、少しひんやりとしていた。
僕は、自分の体温を分け与えるかのように、真理の手を包み込み、優しく握りしめる。
すると真理が、僕に視線を送り微笑みかけてくる。
言葉を交わさなくても通じあっているようで、僕の心は舞い上がる。
そんな幸せな時の中で、真理の小指に嵌まるリングを確認する。
僕は、まだ彼女に指輪をプレゼントしていない。
左手の小指は絆を深め、信頼関係を結ぶ……なんて言われているらしいけど、真理が自分で買ったのかな……。
僕は真理の横顔を見つめ、1月の真理の誕生日には僕から指輪をプレゼントしたいな……なんて事を思いながら歩みを進める。
講義後と言うこともあるのだろう、真理の髪は一つに結ばれていて、凛とした雰囲気を醸し出している。
一歩、一歩、歩みを進める毎に揺れる髪から漂うシャンプーの香りが鼻を擽る。
真理に見とれる僕の視線に気が付いたのか、真理が僕の顔を見上げ、
「さっきから何?」
少し不機嫌そうに僕に声をかけてくる真理。
そんな表情に少し気押されながら
「いや…、可愛いな…と。」
正直に白状した僕に、真理は呆れたようにため息をひとつつくと、
「はい、はい。そう言うのは良いから。それで?今日は何にするの?」
真理がムートンコートを脱ぎながら僕に問いかける。
いつの間にか、学生食堂の前まで来ていた事に真理の問いかけで気が付くと、慌ててコートを脱ぎながら、今日の昼飯に思いを巡らせるがなかなかメニューが決まらない僕は、
「そうだなぁ…あっ、考えながら席取って来るからコート頂戴。」
そう言って、真理のコートを受けとると、足早に席を取りに歩く。
「うん、よろしくね。じゃあ先に並んでるよ。」
真理の声を背に受けながら、僕は窓側の席にあたりをつけて歩きだしながら返事を返した。
「分かった。荷物置いたらすぐに行くよ。」
真理と合流して列に並び、僕はカレーを注文する。
「伸一、またカレー?飽きないの?」
呆れ顔で僕のトレーに視線を向ける真理のトレーには鯖の味噌煮が、のっている。
「まぁ、好きなのもあるけど、貧乏学生には強い味方って事で……。」
定食はカレーより百五十円高い…
バランスのとれた食事としてはそっちの方が理想だろう……
僕は少し劣等感を感じ、下を向く。
そんな僕に真理は何も気にしてない様子で返事を返してくる。
「まぁ、良いけどね。」
そんな事を話ながら席に着き、真理と二人で食事はじめる。
カレーを口に頬張り、ふと窓に目をやると北国特有の二重窓が目にとまる。
サッシが二つ並んで、外側の窓と内側の窓の間に空間を作ることで、断熱効果と結露を防ぐ為らしいけど……曇ってるな…
結露で曇った内窓に指で文字を書く。
『真理大好き』
周りには他の生徒やがいる学生食堂で人の目がある事など頭に無かった僕は、その時の素直な気持ちが指先から溢れだしていた。
真理はそんな僕の行動に大声で、
「ば!伸一!消して!」
顔を紅潮させた真理が、大声を出したので、学生食堂中から注目を浴びてしまう。
僕は真理の声と、みんなの視線を受けて、慌てて窓ガラスに書いた僕の気持ちを消す……
掌を通して伝わる冷たさが、僕の心に冷たい風を吹かせたよう感じる。
すると、外窓に、僕の筆跡で書かれた真理、伸一と書かれた相合傘がうっすらと浮かび上がっているのが目に止まる。
真理に告白する少し前に、何かの本で見た『おまじない』。
人の目に触れそうで触れない所に密かに『相合傘』を書いて告白を…
どうしても想いを成就させたい僕の必死な気持ち、神様でも何でも良いからお願いいたします!
そんな僕の気持ちの隠った『相合傘』だ。
想いを告げたら消す…
だったな。
僕は真理に『OK』を貰えたことが嬉しくて、おまじないの事がすっかり頭から抜け落ちていたんだ。
それはそうか、人目に触れたら相手に迷惑だもんな。
迂闊だった……
「伸一、それって……」
真理も『おまじない』の事を知ってるみたい。
だよな、女の子はそういうことに長けている。
僕は懇願するような視線を真理に向け、真理に問う。
「あ…消さないとダメ?」
真理は呆れたようにひとつ溜め息をつくと、
「だって、そういう『おまじない』……でしょ?」
真理の言葉に僕は肩を落とし、内窓の鍵に手をのばし、ボソッと独り言を呟く
「でも、よく2ヶ月もの間消えなかったな……僕の想いが強かった?」
そんな僕の独り言が耳に入ったのか、真理はもう一度溜め息をつき、
「伸一、そんなの指で書いたから手の脂が付いたんでしょ?」
眼鏡の奥の真理の瞳が呆れたように僕を見つめる。
「そっか…ですよね……。」
肩を落としてがっかりする僕を見て、真理は優しい口調で、
「でも、食べ終わるまでは許してあげる。」
そう言って微笑む。
僕の必死な想い、あの時も今も伝わってる。
僕は、いつもはあっという間に平らげてしまうカレーライスを、ゆっくり食べることにした。
僕の掌で、透明になった内窓が再び雲り、願いをかなえてくれた『おまじない』が再び人目から隠れるのを確かめながら………。
冬曇り 業 藍衣 @karumaaoi
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