最終戦争のこと

 クラスに戻ってきたハヤトは、アリサが正義の味方の噂をしている現場に遭遇してしまった。もちろんその正義の味方はハヤトのことである。アリサの過去の経験をもとにして作られた疑似魂は、ネフィリムの作戦もしっかりと覚えて実行していたのだった。クラスメイト達も噂の正義の味方が誰なのかを察しているので、微妙な空気が流れる。


 質問されたら雑な演技で否定しなければならない。この〝雑な演技〟という演技が上手くいくか不安だったハヤトだが、幸い誰も質問をしてこなかった。というより「言わなくても分かってる」と言わんばかりの目で見られてしまう。ちょっと効果がありすぎたようだ。これまた絶妙にバツの悪そうな顔をするアリサが、噂の説得力を増している。


「ほらほら、もう授業の時間だぞ。席につけ!」


 ちょうどいいタイミングで教師がやってきた。今日の一限目はなんの科目だったか。このところトラブル続きで予習もしていないハヤトだが、危機感を覚えることはない。微妙な空気を断ち切ってくれた男性教師に感謝し、その顔を見て数学の時間だったと思いだした。確か今日は三角関数をやる予定だ。三角関数は社会に出たら必要ないなどと言う大人もいるが、そんな意見は三角関数を使うような仕事に就けなかった人間の戯言だとハヤトは思っていた。要するにこの授業も聞くまでもなく全て把握しているということだ。


「そうだ、ハヤトは来期から生徒会副会長になるんだってな。頑張れよ」


「……選挙で選ばれないかもしれませんよ?」


「ああ、選ばれなかったらな」


 既に確定していることは分かっているが、一応生徒会役員は選挙で選出されることになっているのだ。そういう建前を教師が蔑ろにするべきではないと思い、苦言を呈するつもりで答えたが、軽口を叩いたと受け取られたようだ。実際、さっきまで生徒会長から説明を受けていたのだ。ハヤトが副会長から会長になる道筋を疑う者は誰もいない。ハヤト自身も含めて。別にそうなりたいわけではない。むしろ面倒くさいと思っているが、アリサを助けるためにも生徒会と接点を持っておくべきだと判断したのだった。


「……司令官は何をしているんだ」


「ん? 何か言ったか?」


「いえ、何でもありません」


 アリサがこんなことになっているのに、アリサに夢で語りかけたという司令官はなぜ手を出してこないのだろうと思う。いつものように授業はそっちのけだ。現状はゴモリーの思い通りになっているのだろうか。それとも、この状態も司令官の掌の上なのかもしれない。未来が見えるという話だから、その可能性は高い。自分達にはいったいどういう未来が待っているのだろうか。知りたいような、知りたくないような曖昧な気持ちを抱えて、その後も全ての授業を聞き流した。


 報道部の部室に向かうと、キョウコとユカ、それにどうやって来たのかカトリーヌが床に寝そべってくつろいでいた。アリサのことは既に知っているようで、ハヤトと共に部室に入っても軽く挨拶をしただけだ。


「それで、仲間になりそうな子はいた?」


 自然に会話を振るアリサに、一瞬頬を引きつらせるキョウコだったが、すぐにいつもの態度を見せ肩をすくめる。


「そう簡単に見つかるもんじゃないわ。一番興味を示したのがあの風紀委員長だし」


 チヒロの名前が出て、そういえばアリサのところへ向かっている時に制止を振り切ってしまったとハヤトは申し訳ない気持ちになる。彼は知らないが、あの時チヒロはスマホで生徒会長に連絡を入れていた。その結果として、生徒会がネフィリムの拳からゴモリーを救ったのだ。キョウコにとっては好ましからざる人物と言えよう。


「ダアトに行くんでしょ? だったらうちの皇帝と一緒に行けばいいじゃない。どうせ目指す先は生命の樹の根元と樹冠じゅかんの違いでしかないし」


 カトリーヌが話に入ってきた。それはつまり最終戦争アーマゲドンに向けて侵攻してくる悪魔の本隊と行動を共にするという意味である。とてもじゃないがキョウコは賛同しないだろうとハヤトは思った。同時に最終戦争アーマゲドンのことを聞いてみる機会だとも。この山羊はミウよりも立場は上らしいので、よく知っているだろう。


「悪魔の皇帝は最終戦争アーマゲドンのために生命の樹を目指してるんでしょ? 何が目的で戦争を始めようとしてるの?」


 相手は一応偉い悪魔のはずだが、あまりにも威厳が無いのでつい普通に話しかけてしまった。だがカトリーヌは特に気にした様子もない。


「アイツの目的はね、神様の顔に一発パンチをお見舞いしてやることよ」


「なによそれ!」


 キョウコが少々声を荒げて言う。人類が滅亡しかねない戦争を引き起こそうというのに、その目的の言い方がまるでその辺の不良少年みたいだったのが気に食わないようだ。言い方はどうであれ、神に背くということだからとんでもない覚悟なのだろうが。


「ふふん、巨人族ネフィリムのアンタには分からないのよ。サタンの侵攻を求めているのは、当の神様自身。最終戦争アーマゲドンを引き起こそうとしているのは悪魔ではなく、神の方なんだからね。アイツは何とかして人間の被害を最小限にとどめるために、自ら汚れ役を買って出たのよ」


「……なによそれ」


 カトリーヌは軽い口調でとんでもない秘密を暴露した。あまりにも軽く言うので、ハヤト達もいまいち話の重大性が理解できずにいる。ただ、キョウコはカトリーヌが語るサタンの意図を理解し、だからこそ受け入れられずにまたさっきと同じ言葉を繰り返した。


 人間を守ろうとしているのは、人間と共に生きてきた自分だけなのだ。地獄の皇帝なんかが人間のことを考えるわけがない。そう、強く願わずにいられなかった。


「悪魔の言葉なんて信用できるわけないでしょ。ハヤト君もユカさんも覚えておいて。悪魔は噓つきなんだって」


「アハハ、『悪魔は嘘つき』! 久しぶりに聞いちゃった」


 何が面白いのか分からないが、キョウコの言葉にカトリーヌが笑い声を上げる。事態が呑み込めずにいるユカはずっとカトリーヌとキョウコを交互に見て狼狽えてばかりだ。ハヤトは、カトリーヌが語った言葉を心の中で繰り返し、サタンの人物像について考えていた。


――なんだろう、近しい者ほど口を揃えてサタンを人格者のように語っている。悪魔のリーダーなのに。


 考えがまとまらないまま、時間だけが過ぎていくのだった。

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