地獄の公爵

 ゴモリーは妖艶な笑みを浮かべてゆっくりとハヤト達に歩み寄ってきた。ハヤトはアリサが消えたことに気が動転してどう反応したらいいかわからない。隣を見ると、マサキがその場に跪いて喜びのあまり涙を流している。いい状況ではないことは明らかだが、ハヤトには何をすべきかが全く思いつかなかった。


「……余はかつて、地獄で随一の力を持つ悪魔と共にあった」


 ゴモリーはそんなハヤトに、慈しむような眼差しを向けて語り始めた。その様子から敵意は感じられないので、大人しく耳を傾けることにする。地獄の悪魔に挑めるような力もないし、なんとかしてアリサの行方を聞きださなくてはならない。ここは様子見するべきだと、少し冷静さを取り戻した頭で考える。


「彼女は、無敵の力を神から与えられた悪魔だったのだ。その皮膚は決して傷つかず、世界が滅びるその時まで命を失うこともない。そう運命づけられた存在だった。何故なら彼女は――レヴィアタンは、世界滅亡の日に救世主へ捧げられるにえだから。その使命を全うするために、いかなる攻撃も受け付けない不滅の肉体を与えられていた」


 公爵の表情に影が差した。死ぬべき時が決められているから死なない。いや、死ねない。それは決して望ましい力ではないだろうとハヤトにも察せられる。そういえば自分が聞いた話では、レヴィアタンは地獄で命を落とし、地球に生まれ変わったという。それがアリサだったのだろうと思うが、今はそれよりも、死ねないはずの悪魔がなぜ死ねたのかという疑問で頭が一杯になった。


「不思議に思っておるな。師団長殿から聞いたか。そう、不死のはずだったレヴィアタンは一度死んでいる。彼女の望みでな」


 不死の悪魔が死んだ話にも興味は湧くが、もっと気になることがある。師団長殿という呼び名は、前にも聞いた。ゴモリーはミドリのことをそう呼ぶのだ。前回は意味がよく分からなかったが、今は違う。他にも似たような呼び名の悪魔がいることを知っているからだ。アリサの夢に現れたという『司令官』、それをキョウコはこう言った。


――軍事的な組織にはそういう立場の者がいるものだし。


 そうだ、軍事的な組織があると言っていた。アリサの夢の話題でだ。そして、アリサは悪魔の生まれ変わりだった。そこから考えれば、師団長という言葉の意味も分かってくる。悪魔達が住むという地獄には、軍事的な組織、すなわち悪魔の軍隊があり、ミドリはそこで将軍職に就く大悪魔であるということだ。


 同時に、アリサから聞いた夢の内容を思い出す。司令官を名乗る何者かはアリサに言った。彼女は彼女の大切な人と共に神の座に至る運命にあると。大切な人というのが自分だと思うのは自惚れがすぎるだろうか。たった今聞いた話からすると、もしかしたらゴモリーのことかもしれない。


「なにやら考えを巡らせておるようだの。ご自慢の頭脳で真実に近づいたかな?」


「司令官というのが誰か、ご存知ですか?」


 まるで全てを知っているかのような言葉をアリサに伝えた謎の声の主について、ゴモリーに尋ねてみる。その言葉を聞いた彼女は、意外そうな顔をした。


「ほお、その名を聞いたのか。もちろん知っておるぞ。いけすかぬ男だ。なにせ、未来を知ることができる悪魔だからの」


「未来を……ですか」


 やはりか。ハヤトはゴモリーの返事でアリサの夢がただの夢ではなく司令官からのメッセージであったと確信した。それが意味するところは、つまりアリサはミサキのような悲劇に見舞われることはないという保証が得られたということだ。安心したハヤトは、思い切ってゴモリーに質問を重ねる。


「アリサはどこへ行ったんですか?」


「ほほほ、もう分かっておるのだろう? 彼女こそがレヴィアタンの生まれ変わりであり、前世からの余の伴侶である。すなわち、そなたに渡す気はないということだ」


 余裕の笑みを浮かべるゴモリーの身体から、突如として強い圧力を感じた。地獄の公爵が一瞬凄んで見せただけで、身体が吹き飛びそうなほどの圧倒的な魔力に晒されたのだ。彼女との力量差は想像を遥かに超える絶望的なものだと悟る。


「そなたが他の女に心を向け、幼馴染の気持ちを踏みにじったからレヴィアタンが目覚めたのだ。その不実な精神には感謝しておるよ。そして同時に、そのような男に余の命よりも大切な女性を任せることはできぬ。当然のことであろう?」


「僕は……」


 ゴモリーになじられ、ハヤトは返す言葉もなかった。分かっていたことだ。アリサは自分に好意を持っており、自分はミドリに好意を持っている。彼女が嫉妬していることにも、もちろん気付いていた。


「帰るぞ、マサキ。意図しての行動ではなくとも、そなたの今回の働きは素晴らしいものだった。最上級の褒美を取らせよう。これからも余の傍に仕えるがいい」


「身に余る光栄です!」


 もはやゴモリーに立ち向かう気力すら失ったハヤトを無視し、公爵とその下僕はこの場を離れようとしていた。


「待ちなさい。アリサさんの友達はハヤト君だけじゃないのよ」


 そこに、ハヤトのよく知る女性の声が響き渡った。

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