とぐろを巻くもの

 校内を全力疾走するハヤトの姿は、非常に目立った。ただでさえ噂の中心になっている人物だ、好奇の目が集まるのも当然である。


「ハヤト君、何をそんなに急いでいるの!?」


 廊下を走るような生徒には、必ず声をかける者がいる。風紀委員長のチヒロだ。だが今回は彼の行動を咎めるというより、何か異変が起こったのではないかと質問してきた。それも一緒に走って着いてきながら。風紀委員にあるまじき行いだが、それらも全て周りの生徒達に誤解を伴って受け入れられるのだった。〝正義の味方〟の噂話を補強する形で。


「すいません!」


 悠長に事情を説明している余裕もないので、ただ謝罪の言葉だけを口にして走り続ける。その様子にただならぬものを感じたチヒロは、ハヤトの後を追いながらスマホを取り出した。


◇◆◇


「なんだこりゃ、水か?」


 アリサの身体から放たれた攻撃をサイドステップで避けたマサキは、それが一筋の水流であったことに気付く。よく水道に接続されたホースの口から出る姿を見ている、誰もが知る光景だった。とても人間を傷つけられそうな攻撃ではなかったが、マサキの顔に焦りの表情が浮かぶ。


「お前も目覚めたか。青色の光ではなく、水そのものを生み出すとは、よほど嫉妬深いみたいだなぁ」


 物質を作り出す魔法は、魔力の光で攻撃する魔法よりずっと応用が利く。外見上は弱い水流でも、触れたら何が起こるか分からないのだ。猛毒で人を死に至らしめる可能性もある。


「……だが、お前が神に選ばれたかはまだわからねえ。試してやるぜ」


 マサキはその場で軽く腰を落とすと、何かを肩で担ぐような体勢を取る。


「ゴチャゴチャうるさいのよ!」


 アリサはそんなマサキに向かって右手を突き出し、手のひらを相手に向けた。心の声が指示するままに。


――コイツ キライ。


 アリサの手のひらから大量の水が生まれる。それは先程のようにマサキに向かって放たれるのではなく、前面に広がって水の壁を作り出した。防御行動ではない。点の攻撃は避けられると学んだ彼女は、面の攻撃で相手を押しつぶすことにしたのだ。


「へっ、そんなもの吹き飛ばしてやらあ!」


 マサキの肩に、筒状の物体が現れる。それは、一般的に『バズーカ砲』と呼ばれる武器の形をしていた。現実に存在する具体的な対戦車砲バズーカを模したものではなく、兵器に疎い人間が思い描く架空のバズーカだ。マサキは武器マニアなわけではなく、個人的に「カッコいい」と思う武器を魔法で生み出していたのだ。


 アリサの水壁が襲いかかり、それに向けてマサキがバズーカを発射する。二つの魔力がぶつかり合い、轟音が空気を揺るがす。お互いの攻撃は相殺され二人とも無傷だったが、この音は学園中に響き渡った。


「アリサ!」


 そこにハヤトが到着した。アリサが無事なことに一瞬安堵しかけるが、たった今耳に届いた轟音と二人の様子から何が起こったのかを理解したハヤトは、とてつもない恐怖にかられる。


「アリサ……魔法を使ったのか?」


「ハヤト……」


 魔法の力に目覚め、怪物と化してしまったミサキの姿が頭によぎる。恐ろしい力を持つアマテラスが去り際に残した言葉が蘇る。アリサを失う恐怖で鈍る思考を取り戻すために深呼吸をすると、急に潮の香りが鼻腔を満たした。


「海の匂い? この濡れているのは……海水?」


 ミドリとミウから教わった知識が思い起こされる。海の様相を呈する魔力の持ち主は――


「私、私は……」


 アリサが自分の肩を抱いて身を縮める。心の内から湧き上がる激情に駆られてわけも分からずに魔法を使ってしまった。だが、はっきりと分かることがある。あの声の主は、他の誰でもないなのだ。


「アリサ、僕と一緒に帰ろう。ミドリならその力を制御する方法を教えてくれるはずだ。マサキ先輩もそれでいいですよね?」


 ハヤトはアリサをなだめ、この場を収めようとした。間違いなく、彼はこの状況において最善の策を提示している。だが、それはアリサの心に寄り添った言葉ではなかった。


「ミドリ……ですって!?」


「おいおい、ここで他の女の名前を出す奴があるかよ。優等生でも女心は分からねえんだな」


 マサキはバズーカをしまい、呆れた様子で言う。元々戦うつもりで来たわけではないのだ、この厄介な女の矛先が別の者に向かったことを把握した彼は、傍観に徹する姿勢となった。


 アリサの身体から、さらなる魔力が放出される。それは海水だが、蛇のような形をして伸びる。どんどんと大きくなっていくそれは、竜のような顔を形作り、胴体に背びれがついた。それはまさに、空想上の巨大な海蛇、あるいは海竜とでも表現すべき姿だ。ハヤトはこの姿に心当たりがある。


「レヴィアタン……」


 アリサを中心にとぐろを巻くレヴィアタンは、どんどんと大きくなっていく。比較的広い場所だった体育館裏のスペースは完全に海蛇で埋め尽くされ、ハヤト達も走って距離を取らなくてはならなかった。


「とんでもねえバケモンが出てきたもんだな、お前あれのこと知ってるのか?」


「この前知り合いの悪魔から聞いたんです」


 復活すれば、この地球が海に沈むと聞いた。どうすればいいのかと悩むうちに、海蛇は学園の建物を押し潰さんばかりの大きさとなっている。


『よくやったぞ、二人とも』


 そこに聞き覚えのある声がかかった。


「ゴモリー様!」


 マサキが歓喜の声を上げる。次の瞬間、巨大なレヴィアタンを円形に囲んで、紫色の光が地面から立ち昇る。


「アリサ!」


 不思議なことに、あれほど巨大な海蛇の姿が消えていく。魔法が解除されたというより、どこかへ転送されたように見えた。


 光が消えるとそこにアリサの姿はなく、代わりにラクダに乗った美女か現れたのだった。

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