マサキ

 ハヤトが登校すると、もう部活の朝練をしている生徒達から、熱い視線を投げかけられた。ユカと共に登校したときとはまた違う、何かに期待するような視線。さっそくキョウコの作戦が動いているのだろうと思い、重い瞼をこすりながら自分のクラスに向かった。


 引き戸の入口を開け、自分の席まで歩き、荷物を置いたところで軽い違和感に襲われる。


 アリサがいない。今は噂を広めるために奔走しているのだろうが、入室してすぐにアリサが話しかけてこないとなんだか落ち着かなかった。


 やはりもの問いたげな視線を向けてくるクラスメイト達を見回し、一輪の花が供えられた机に視線を向けた。


 ミサキの生前の顔を思い出そうとすると、あの怪物の姿が脳裏に浮かんで邪魔をする。違う。そっちじゃない。彼女がいつも見せていた笑顔を思い出したいのに、悲惨な最期の姿しか頭に浮かんでこない。


「僕は薄情なんだろうか」


 自分のせいで哀れな死を迎えたクラスメイトを悼む心も、なんだか自己満足に浸りたいだけの薄っぺらな感情に思える。心に残るのは、恐怖や嫌悪の記憶ばかりだ。


 なにより、自分の周りにいる女の子達が自分に向ける感情については別に鈍感だったわけではない。アリサも、他の多くの女子達も、自分に好意を向けているのは知っている。


 それなのに、今のハヤトの心に住み着いているのはその誰でもない。アリサに対して抱いていた仄かな恋慕の情は、魔女と出会ったあの日から何処かへと旅立ってしまったようだ。


 アリサは大切な幼馴染だ。決して疎ましく思うこともないし、好意を持っていることも変わらない。ただ、夜を徹して好きな話を続けるミドリの、眼鏡の奥で輝く眼を見つめているときの気持ちは、まるで別なのだった。


 ミドリはきっと地獄の悪魔なのだろう。これまでに見聞きしてきた情報を総合的に分析すれば、そう考えるのが妥当だ。理屈で考えれば、自分はアリサに気持ちを向けるべきなのだとわかっている。でも、理屈では解決できないことが世の中には沢山あるということを、実感を持って知ってしまった。


 そんなことを連連つらつらと考えていると、急にクラスのドアが開き、血相を変えたクラスメイトの女子が駆け込んできた。


「ハヤト君、大変! アリサが金髪の先輩に連れていかれた!」


「なんだって!?」


 金髪の先輩といえば、ハヤトは一人しか知らない。〝選民ペキュリアーピープル〟の一人、マサキだ。かつて対峙したときの印象を思えば、アリサの身に危険が迫っているに違いない。


「どこに行ったかわかる?」


「たぶん、体育館の……」


 そこまで聞いて、前に遭遇したあの場所を思い浮かべたハヤトはすぐに駆け出すのだった。


◇◆◇


 数分前、高校の廊下にて。


 アリサが正義の味方の噂を広める活動をしているところに、マサキが声をかけてきたのだ。


「おう、ちょっとツラ貸せよ」


 今時こんなセリフを口にする生徒が存在するとは、と少しズレた驚き方をしたアリサだったが、この男が以前魔法でキョウコを攻撃していたのを目撃している。相手の気分を害するような反応をしてはいけないと、大人しく従うことにした。


「わかりました」


「心配すんな、別に乱暴するつもりはねえよ。ちょっと聞きたいことがあるだけだ」


 そうして、アリサはマサキに連れられて例の体育館裏へと向かったのだった。緊張したが、マサキは本当に話をしたいだけだったらしい。背中を向けたまま、アリサに質問をしてきた。


「お前、何の力もないのにネフィリムに協力してるんだってな。何のためだ?」


 また寒気がする。マサキの態度からは危害を加える様子は見られないのだが、心の奥からよくわからない危険信号が発せられているのを感じた。一体何の警鐘だろうか、このままマサキの話を聞いていてはいけないような気がする。


「友達だからです」


「友達だから、選ばれてもいねえのに魔の世界に足を突っ込んでんのか。選ばれなかったクラスメイトの末路は知ってんだろ。やめとけや」


 どうやら、本当にアリサの身を案じて警告しているらしい。だが、アリサはミサキのことを馬鹿にされたと感じた。寒気が強くなる。もう夏だというのに、震えがくるようだ。


「でも、何もしないでただ流されているだけなんて嫌なんです! 私にできることがあれば、なんだってしたいんです!」


「アホな噂を流すのが『できること』なのか? はっ、健気だねえ。そんなことをしたって、ハヤトはお前に目を向けたりしねえよ」


「なっ!?」


 振り返り、哀れみを込めた目でアリサを見るマサキが、さらに言葉を続ける。


「命をかけて一緒にバケモノと戦ってくれる可愛い後輩に勝てる要素があるのかい? 幼馴染だっけ、そんなのはモテる男相手じゃ何のアドバンテージにもなりゃしねえよ」


「やめて!」


 わかっている。ハヤトの目が自分を向いていないことぐらい、すぐに気付いていた。幼馴染だからこそ、相手の細かな変化にも気付いてしまうのだ。


――ハヤトは私をミテイナイ。


 心の奥底から、自分じゃない誰かの声が聞こえる。さっきまでの寒気は消え去り、今度は腹の底からマグマのような何かが湧き上がってくるのを感じた。


「ネフィリムは引っ掻き回してるだけだ。あいつの言うことを聞いていても、何もできねえぞ」


「ウル、サイ!」


 自分の身体から、何かかマサキに向かって飛んでいくのがわかる。アリサは、心の奥底から呼びかける何者かの声に耳を傾けた。


――ミテ。ワタシヲ、ミテ!

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