夢
『アリサ……アリサ……』
誰かの声が聞こえる。聞いたことのない大人の男性の声だ。閉じていた目を開けると、どういうことだろうか、何もない空間に一人で立っていた。いや、立っているのかもよく分からない。地面も何もない、薄い紫色の靄がかかった場所だ。
『私の声が聞こえるな? おめでとう、君は〝選ばれた〟』
今のアリサにとって、選ばれたという言葉には不吉な印象しかない。どういうことか問おうとしたが、口が動かなかった。そのまま謎の声に耳を傾けるしかないようだ。と、目の前にぼんやりと何者かのシルエットが浮かんだ。これが声の主なのだろうと思うが、顔がわからない。
『君は偉大な力に目覚め、君の大切な人と共に神の座まで至る運命にある。何も心配することはない』
大切な人という言葉で頭に浮かんだのは、見慣れた顔。ついさっきまで自分の心を惑わせていた幼馴染だ。しかし、神の座に至ると言われても一体どういうことなのかまるで理解が及ばない。それに偉大な力とは? 友人のミサキが破滅した経緯を思い、底知れぬ恐怖が湧き上がってきた。抗おうとし、身体に力を入れるがまるで動く様子がない。
『恐れるな。力には善も悪もない。君はその気になれば世界を滅ぼすこともできるだろう。だがそれは、君の大切な世界を恐ろしい災いから守ることができるという意味でもある。全ては、使い方次第だ』
恐れるなと言われても無理な話だ。世界を滅ぼすことができる? 一体自分はどうなってしまうのか。それに、この声の主はいったい何者なのだろう。可愛い女の子に囲まれているハヤトの姿に暗い感情を抱いたせいで悪魔を呼び出してしまったのだろうか。ミサキのように。
――嫌だ。そんなのは嫌!
力を振り絞り、この場から逃げ出そうとする。動かない身体を叱咤し、動け、動けと念じるが手も足も微動だにしない。そもそも手足は残っているのか? 恐ろしい発想に至ってしまった。遠目に見たミサキの変わり果てた姿を思い出す。
『そう遠くない未来に、また君と会うだろう。我は司令官ア……』
「イヤああああ!」
絶叫と共に身体を起こす。気がつくと、そこは自分の部屋だった。自分の机に突っ伏したまま居眠りしてしまったらしい。
「どうしたのアリサ?」
「なんでもない! ちょっと椅子から落ちそうになっただけ」
部屋の外から呼びかけてきた母親に返事をして無事であることを伝える。どうやらただの夢だったようだ。異常な事件に遭遇して心が滅入っているのだろう。仲良くしていたクラスメイトがあんなことになってしまったのだ。その上悪魔とか魔法とかいう話にずっと接してきた。悪夢を見てしまうのも仕方のないことだ。
「何が〝選ばれた〟よ。何も変わってないじゃない」
鏡を見ながら、先ほどの声に対して悪態をつく。魔法が使えるようになったかもと、ちょっと念じてみたが何も起こらない。イメージしやすい映像として手のひらから火が出る魔法を選んだが、そんなことを試してしまったことが馬鹿馬鹿しい。
「なんだっけ、シレーカンとか言ってたよね。どうせ夢なんだったらちゃんと聞いておけばよかった」
必死の絶叫で遮った、謎の人物の名乗り。終わってみれば、聞き逃したことを残念に思う自分がいた。
「はあ、あんなことがあったから心が落ち着かないのよ……当たり前よね、ミサキ」
壮絶な死を遂げた友人の名を口に出すと、涙がにじんできた。昨日まで元気に話していたのだ。そう簡単に気持ちを切り替えられるわけがない。このままでは理不尽にユカを恨んでしまいそうだ。本当にミサキと同じ運命を辿ってしまいかねない。一度強く頭を振って、心を落ち着けるためにシャワーを浴びることにした。湯船に浸かるのはもうちょっと後の方がいい。何度も風呂場を使ってタオルを濡らしても、母親は何も言わない。黙って洗濯し、新しいタオルを用意してくれる。そんな母親に短く感謝の言葉を述べると、自分は恵まれているのだと感じて少し心が安らぐのだった。
◇◆◇
「司令官?」
次の日、マスコミを追い出して授業を再開した高校に行くと、ハヤトに夢の話をした。もちろん自分がハヤトに抱いた気持ちなんかには触れず、謎の声が語った内容のみを伝えている。話を聞いたハヤトは、アリサが魔法を覚えたがっていたことを思い出し、また昨日の出来事を踏まえて彼女にはどうにか諦めてもらいたいと考えていた。しかし、話の最後に出てきた司令官という言葉が妙にひっかかる。どこかで似た言葉を聞いたような気がするが、それがなんだったのか思い出せない。
「後でキョウコにも聞いてみよう。何か知っているかもしれない」
天使や悪魔のことについて、ハヤトはあまりにも無知だ。関係者であるキョウコならと思うが、アリサはどことなく不満そうだ。
「昨日もハヤトは魔女の家に行ったの?」
「ああ、新しい魔法を教えてもらったよ。光の盾より防御力は落ちるけど、広い範囲をカバーできるバリアを出せるようになった。状況に応じて使い分けだね」
ハヤトはとことんまで守りに徹するつもりのようだ。昨日の話を聞く限りでは、その路線は危ない気がする。心の優しいハヤトには誰かを傷つけることができないのなら、代わりに誰か攻撃を担当する仲間が必要だろう。リョウタとはそういう関係になれそうもないし、本当に自分が魔法を使えたらガンガン攻撃するのに。そう考えた時、昨日の夢で聞いた言葉が脳裏によみがえる。
――君はその気になれば世界を滅ぼすこともできるだろう。
そろそろ夏だというのに、妙な寒気がした。
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