リョウタとユカ

 リョウタの母親は、教育熱心な人物だった。息子が生まれてすぐに知育で有名な保育所に預け、徹底的に英才教育を進めてきた。小学生の頃は毎回テストで満点を取るリョウタのことを天才だと持ち上げていたが、中学に上がり満点を取れなくなると感情的に罵倒するようになった。


 かつての言葉で言えば教育ママ、今風に言うと教育虐待を受けたリョウタは次第に自信を無くしていく。父親は子供の教育に無関心だったが、母親の言いなりになってことあるごとに勉強しろと言ってきた。必死に勉強して阿僧祇学園高校に入学した時、親からの祝福を期待したリョウタに母親が放った言葉は「主席じゃないのね」だった。もはやこの息子には期待できないと、母親がリョウタに家での勉強を強要することもなくなった。


 自由を手にしたリョウタだったが、彼が心に抱いたのは喜びではなく悔しさだった。親の期待に応えられなかった自分の不甲斐なさに苛立ったが、ここでいい成績を取って見返してやろうと心に誓った。


「ねえねえ、リョウタくんはどこの部活に入るの?」


 隣の席に座ったユカは、同じ苗字だというだけで人懐こい笑顔を向けてきた。彼女は学年一の美少女で、入学して数日のうちに上級生からも注目されるようになる。そんな相手から親しく声をかけられれば、リョウタも気分が良くなった。


「あ、僕……俺は軽音部に入ろうかと思ってる」


「バンドとかやるの? 面白そうだね!」


 この日からリョウタの一人称は『俺』になった。可愛い女の子の前では少しでも男らしい態度を取りたくなる本能のようなものが彼を衝き動かしたのだ。軽音部に入ろうと思っていたのは本当だが、理由としては運動部だと勉強する時間が取れないという点と、小柄な自分の運動能力に自信が持てないという点から文科系の部活を選ぶことにしたためだ。英才教育の賜物でピアノは弾けるので吹奏楽部か軽音楽部を候補に挙げ、女子ばかりの吹奏楽部を避けた消去法による決定だった。


「私は運動部を見て回ろうと思ってる」


 ユカは黒髪ストレートロングの大人しそうな外見をしているわりに、運動が得意な女子だった。一緒の部になれなそうだと分かって少しがっかりしたが、可愛い子と仲良く会話できるだけで十分だとも思った。既に自分の背の低さと幼い顔立ちに劣等感を持っていたリョウタは、学校中で話題になるほどの美少女と恋仲になれるとはとても考えられなかったのだ。


 人気者は様々な噂が付きまとうものだ。入学一週間後には、ユカには付き合っている彼氏がいるという噂が流れた。相手は同じ中学のサッカー部で、今は別の高校に通っているらしい。クラスの男子たちは残念そうにしていたが、最初から期待していないリョウタは特に何とも思わなかった。授業中に居眠りをするユカを横目に見て、微笑ましく思うぐらいには心の余裕があった。なお二人は教室の最前列中央の席である。つまり教壇の目の前だ。


 しばらくして、ユカに彼氏がいるという噂はデマだったと判明する。その代わりに良くない噂が囁かれた。


「ユカって、中学時代に輪姦まわされたらしいよ」


「まあいっか、俺は処女信仰じゃないし」


 そんなことを言ってくる軽音部の男子に、リョウタは興味なさげな態度を返す。下らない噂だと思った。高校生男子の興味はそっち方面ばかりだ。そんなことより急に難しくなった授業についていくので精一杯だし、楽器ドラムの練習も忙しい。


 悪い噂が流れる中、まるで態度を変えないリョウタの姿はユカにとって救いとなっていく。噂は事実無根だ。だがそれを証明する手立てはない。表面上は噂を気にした様子もなく明るい振舞いをしていたが、心は酷く傷ついていた。噂の出所は彼女の人気に嫉妬する女子だったが、犯人を見つけることもできない。


 噂を気にした様子もなく真面目に勉強するリョウタに、ユカはたびたびちょっかいをかける。ずっと変わらぬ態度で接してくれる彼の存在が、彼女の心に安らぎを与えてくれる。


 そして一学期最初の試験。ユカは学年で二位の成績を取った。リョウタは全科目平均点よりは上といったところ。順位は貼り出されたりしないので、この程度の成績では何位か分からない。上位の数人だけが教師からのリークで噂として広まっていくのだ。


 それから、リョウタの心に闇が生まれ始めた。ひたすら真面目に勉強していた自分が、授業中に居眠りをしているようなユカに成績で負けた。それも圧倒的な差だ。どれだけ努力しても届かない才能の土台というものがあると突き付けられたように感じた。その上、試験の時期になると流れてくる上級生の噂までがリョウタの心を抉っていく。入学以来全ての試験で満点を取り続けている二人の先輩。現生徒会長の三年生ユウヤと、次期生徒会長と期待されているハヤトだ。既にこの二人に追いつくことは不可能となっている現実が、リョウタを打ちのめす。


 リョウタは落ち込んでいたが、ユカは成績など気にもしていなかった。むしろ自分が変にいい点数を取ってしまったことで、気落ちするリョウタを励ますのが難しくなったと嘆く。リョウタの成績は客観的に見てなにも悲観する必要のない水準だ。どちらかと言えば優等生の範疇に入る。ただ、それをユカが口にすることは許されない。


 ユカにとってリョウタの存在は救いなのだ。しかしリョウタにとってユカの存在は毒でしかなかったのである。




 リョウタが幾度となく光の剣を振り、ハヤトがそれを防いでいく。膠着した状態に見えたが、突如として状況に変化が訪れた。


「くっ!?」


 光の剣が消え、リョウタが膝をついた。全力で魔力を使い続けたせいで急激に体力が失われ、ついに足から力が抜けてしまったのだ。何が起こったのか分からず、ただ肩で息をしながら地面に両手をつくリョウタだった。


「魔力の使い過ぎにゃ」


 二人の攻防をドキドキしながら見ていたユカの耳に、黒猫の呟きが届いた。

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