力《Force》
――いつからだろう、自分が天才などではないと理解したのは。
幼い子供の夢は、いつだって希望にあふれているものだ。だが大半の人間は成長と共に夢を追いかけることを止め、自分の身の丈にあった未来を探し始める。子供から大人へと変わっていく過渡期に現れる心の成長痛。自分が特別な人間ではないことに対する絶望と反抗。
思春期を生きる若者の多くが経験する苦しみは、彼等から正常な判断力を奪う。この時期の少年少女は、幼い子供の頃よりもずっと騙されやすく、簡単に人生の道を踏み外してしまうのだ。
――いつからだろう、他人の才能を憎むようになったのは。
ある時から、この町に不思議な力を持つ者が現れ始めた。
そして、悪魔が囁くのだ。
『お前は、神に選ばれたのだ』
「はぁっ……はぁっ……」
暗い路地を少女が走っている。何かから逃げているようで、恐怖を顔に貼りつかせながら何度も後ろを振り返り、また前を向いて走り続ける。時々身を隠せそうな物陰を見つけると足を止めるが、すぐに首を振ってまた走っていく。
「ククク……無様だなあ優等生!」
その様子を建物の屋上から眺めながら、ひどく下卑た笑いを浮かべる少年がいた。背が低く童顔の彼は、一見すると中学生のように見えるが、阿僧祇学園高校の制服を着ている。眼下の少女も同じ制服に身を包んでいるが、ブレザータイプの上着は至る所が破れ、もはやボロ布を纏っているのと変わらない。
「お前が悪いんだ、いつもいつも俺のことを馬鹿にしやがって」
彼と少女は同じクラスの生徒で、席も隣同士。少女は整った顔立ちをした人気者で、その上に成績優秀だった。勉強だけでなく運動神経もよく、上級生の間でも噂になっている将来有望な一年生だ。その隣に座る彼は、落ちこぼれというわけではないがとびぬけて優秀というわけでもない成績で、自分の背の低さにコンプレックスを持つ卑屈な少年だった。彼にとって、隣の優等生が彼にも分け隔てなく笑顔を向け、親し気に話しかけてくるのが不愉快極まりない。あんな人気者の美少女が、何の取り柄もない凡人の自分に優しくするなんて裏があるとしか思えなかった。
間違いない、この女は自分を聖女のように見せかけるために自分を利用しているのだ。俺に優し気な笑顔を向けながら、心の中で見下し嘲笑っているのだ。惨めなチビに優しくする自分という、善人プロモーションで評判を上げる活動に違いない。この女が本当に興味を持っているのは二年のハヤトとか、三年のユウヤといった背が高くて美形で頭がいい天才達だ。俺のことなんか眼中にないからこそ、そうやって嫌悪の色ひとつ見せずに接してくるのだ。それがたまらなく惨めで、憎たらしい。
――どうして、こんなことになったのだろう。
今日は朝から奇妙な空気を感じていた。隣の
放課後になったら、有名な先輩達が体育館の方に集まっていると誰かが言って、多くの生徒達が様子を見に行った。ユカも興味はあったが、リョウタが思いつめたような表情で別の方向に歩いて行ったのが気になって、後をつけてしまった。
おそらく、それが間違いだったのだろう。リョウタが部活棟のある一室に入っていくのを見て、ついその部屋の中を覗いてしまった。
ユカは見てしまったのだ。ヨーロッパの貴族が着るようなドレスに身を包んだ女性がラクダの背に乗って、何人もの生徒達を跪かせている様子を。この現代日本においては、明らかに異常な光景だった。美しいが不気味なラクダ女に跪く生徒達の中には、リョウタもいる。思わず声を上げそうになったユカだったが、気付かれてはいけないと必死に口を閉じて耐えた。そのまま音を立てないように逃げ帰ってきたのだが、気付かれてしまったのだろう。突然空中に現れた一振りの剣に斬りつけられた。
空を飛ぶ剣は逃げまどうユカを執拗に追いかけ、何度も斬りつけてくる。死の恐怖を感じながら走り回っているうちに、辺りはすっかり暗くなってきた。この季節で暗く感じるということは、もう夜と呼ぶべき時間帯になっているのだと考えた。夜になれば当然外を歩く人も減る。どこから襲ってくるのかも分からない剣に追われ続けて、自分は人知れず死んでいくのだろうと半ば諦めの気持ちになっている。
ただ一つだけ、心残りがあった。リョウタがあの不気味な集団に加わっていたことだ。過去の事件として知るカルト教団の話を思い出し、友人がそれに関わってしまったのに誰かに知らせることもできずに死んでしまうと、彼が救われる機会も無くなってしまう。
自分を殺そうとしているのがその友人だなどとは露ほども思わず、荒い息を整える暇もなく夜の街を逃げ回るユカだった。
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