ネフィリム

 次の日、ハヤトはいつものように登校した。相変わらずあちこちから生徒達が話す〝まーちゃん〟の噂が聞こえてきた。ゴモリーはあの後誰かに魔法を教えたのだろうかと気になるが、その疑問を口に出すわけにはいかない。人に言えない秘密が増えれば増えるほど、誰かに言いたくて仕方なくなる。なるほど、地面に穴を掘って王様の耳はと叫んだ人の気持ちがよく分かったと思うハヤトだった。


「おはよう、ハヤト!」


 さっそくアリサが話しかけてきた。いつもと変わらぬ笑顔だ。この幼馴染が数千年を生きる巨人族だなんて、とても考えられない。饒舌な彼女が真犯人にハヤトの言葉を伝えたと考える方がよほどしっくりくる。


「おはようアリサ。少し聞きたいことがあるんだけど、いいかな?」


 ハヤトがアリサとの話を望むことはあまりない。それが昨日は話に食いついてきたし、今日は話すことを求めてきたのでアリサは嬉しそうに頷いた。一瞬どこか場所を移そうかと考えたハヤトだったが、コソコソする必要はないだろうと思い直した。


「この前、噂について時間か場所が分かればって言っただろ、あれ誰かに話した?」


 質問されたアリサは視線を上に向けて考える仕草をする。真剣に記憶を探っていると視線は上に向きがちだが、あまりにも広く知られているので演技で誤魔化すことも比較的容易だ。アリサを疑うつもりはないが、ミドリが語った言葉が頭から離れないハヤトは彼女の仕草を注意深く観察してしまった。


「いつも噂を持ってきてくれるキョウコちゃんには時間と場所を聞いたけど、他の子に話した覚えはないなー」


「それだ!」


 考えてみれば、いや考えるまでもなく当然のことだが、アリサはいつも他の友人から噂を仕入れている。その相手がキョウコというわけだ。もちろんハヤトもその相手のことは知っている。隣のクラスにいる八重樫やえがし響子きょうこという女子で、アリサとは高校に入学してから知り合ったらしい。以前ハヤトが噂の真相を突き止めた時にアリサを介して知り合った相手だ。


「キョウコちゃんから噂の出所を聞くの?」


「ああ、そうやって元を辿れば、必然的に噂を流している犯人に突き当たるだろ?」


 ハヤトの中ではキョウコがネフィリムだという、不思議な確信があった。証拠もなく決めつけるなんて、以前の彼には考えられない行為だ。だが魔女や悪魔と行動を共にしているうちに、理屈じゃないという感覚が強くなってきた。


 すぐにでも問い詰めに行きたいが、さすがに授業開始前のこの時間に隣のクラスへ行くのも、そこでネフィリムの話をするのも無茶が過ぎる。ソワソワしながら席に座るハヤトを見て、アリサは不満気な顔をして自分の席についた。ハヤトはすっかりアリサの気持ちについて考えることを忘れてしまっていたのだ。




 休み時間に隣のクラスへ行くと、何故かキョウコが入り口の前で仁王立ちしていた。アリサとは違って背が高く、スレンダーな彼女は清楚といった印象を与える少女なのだが、今日のこの態度にはむしろ滑稽というか、お茶目な印象を受ける。少なくとも、敵意は感じられない。


「いらっしゃいハヤト君。そろそろ来ると思っていたわ」


「……なんでそんなポーズで待ってたの?」


 やや芝居がかった口調で言うキョウコに、ハヤトは真顔で質問をした。すると彼女は少し恥ずかしそうに頬を染めながら、話しやすい空気を作ろうと思ってと言う。思っていたのとだいぶ違う相手の態度に困惑するハヤトだったが、すぐにキョウコが近づいてきて耳元で囁く。


「放課後、体育館の裏で」


 いかにも人のいなそうな場所を指定され、ハヤトの胸がにわかに早鐘を打つ。恋の告白などではないことは考えるまでもない。相手は正体を隠して人間社会に潜伏する危険な生物、何をされるか分からない。思わず腕時計に手を当てた。キョウコはそれだけ言うと自分のクラスに入っていき、ハヤトも後を追うことはせずに帰っていった。


 その後の授業はまたもや上の空で過ごすハヤト。アリサはそんなハヤトに疑わし気な視線を送っていたのだが、それに気づくこともない。


 放課後になり、ハヤトは指定された場所へ向かう。ミドリに伝えるべきか迷ったが、明るい時間に魔女ルックの彼女が現れたら余計に面倒なことになりかねない。ミドリ達も夜の間しか外に出るつもりはないと言っていたし、連絡を取る手段もない。細かい時間を指定されたわけではないが、すぐ行かなくてはならないだろうと感じていた。


 果たして、キョウコは体育館の裏に立っていた。またもや仁王立ちのポーズである。襲い掛かるつもりはないと伝えているようにも見えた。


「ちゃんと来たわね。それじゃあさっそく本題に入りましょうか」


「君はネフィリムなの?」


 キョウコの本題に入るという言葉を受けて、すかさず質問をするハヤト。会話の主導権を握りたいという意識の表れだ。それに対してキョウコは口角を上げて応えた。


「そう呼ばれたこともあったわ。でも今は一人の人間として地球の未来を守ろうとしているのよ」


「天使の邪魔をして?」


 ますますキョウコは笑みを深める。ハヤトの問いは想定通りだと言わんばかりに。


「あいつらが何を企んでいるか知ってる? サタンをこの世界に呼び出して、戦争を始めようとしている」


「それって天使が?」


 ハヤトの聞いた話とは真逆だ。悪魔がこの世界にやってこようとしていて、天使はそれを防いでいると認識していた。


「ええ、よく思い返してみて。天使は目の前にいる悪魔になんて声をかけた?」


 天使が悪魔に、と言われればあのライオネルとミウの対話のことしか考えられない。ハヤトは記憶を探り……ふと違和感に気付いた。


「そういえば、空に向かうと聞いて『今は荒立てない』って言ってた」


 考えてみればおかしな言い分だ。空とは、おそらくは天使達の住む世界のことだろう。そこを目指す悪魔など、むしろ最優先で倒すべき敵なのではないか。その後の会話ではミウが話を煙に巻いて誤魔化したと言っていたが、それ以前の問題だ。


「そうよ、天使と悪魔はこっちの世界で戦争をすることで話をつけている。それに巻き込まれるこの世界の住人のことなんて、これっぽっちも気にしていない。いえむしろ、天使達にとっては悪魔が人間に危害を加えてくれた方が都合がいいのよ。自分達が正義でいられるからね」


 キョウコの言葉には、不思議な説得力がある。ハヤトはすっかり彼女の話に引き込まれていた。

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