噂の出所

 ハヤトの問いに、ゴモリーははっきりと首を横に振った。


「いいや、それも違う。噂を流しているのは別の勢力でな。そもそも悪魔ではないのだ」


「えっ?」


 ここに来て新たな勢力が登場するとは思っていなかったハヤトは、虚を突かれた気分で気の抜けた声を上げる。見ると、ミドリも困惑した様子だ。


「ふーむ、天使……がそんなことするはずはないにゃ。となると、ネフィリムかにゃ」


 ミウがまた新しい言葉を口にする。ハヤトはミドリに視線を向けるが、彼女も知らないようで首を振る。


「ほほう、よくご存知だ。そう、かつて堕天使と人間の間に生まれた巨人族ネフィリムは全て神によって滅ぼされたと思われていた。だが生き残りがおったのだよ。魔術で身体を小さくし、人間に紛れてな」


 魔術で身体を小さく、のところでミドリが勢いよくゴモリーに顔を向ける。筋金入りだな、とハヤトは内心で呆れかえった。短い付き合いだが、彼女の性格はだいぶ把握できてきたように思う。


「ネフィリムは神を恨んでいるのかにゃ?」


「恨まない道理があるかの?」


 なるほど、神によって滅ぼされた種族の生き残りが人間の中に紛れ込んでいるのならば、そいつが神を恨んでいることは想像に難くない。〝まーちゃん〟の噂は、〝習得者〟の存在を隠したい天使にとっては迷惑なものだし、彼等が探している〝扇動者〟と誤認させて混乱を引き起こす効果もある。


「……でも、なんで急に具体的な場所と時間を教えてきたんだろう?」


 ハヤトが誰にともなく言う。ゴモリーが自分の居場所を伝えてきたのではないのなら、ネフィリムには何らかの目的があるはずだ。そんな彼に、ゴモリーはまた楽しそうな笑みを浮かべて声をかけた。


「それは、お主が知りたがっておったからであろう」


「えっ?」


 再び気の抜けた声を上げるハヤト。ゴモリーの言っている意味が分からない――いや、分かりたくない気持ちから出た声である。


「ほほほ、察したようだの。ならば余は帰るぞ。いつまでも姿を現していると鬱陶しい天使どもがやってくるでの」


 そう言ってゴモリーはまた地面に沈んでいった。後に残されたハヤトとミドリ達は、それぞれに別のことを考え、しばらく無言でその場にとどまる。結局ゴモリーがなぜ、どうやって人間に魔法を教えてのかは分からないままだ。


 しばらくして、ミウが元気よく声を上げた。


「こんなところで突っ立ってても仕方ないにゃ。拠点に戻って情報の整理にゃ! ほら、さっさと歩くにゃ」


 夜の闇に紛れながら走り回る黒猫に急かされ、ハヤトとミドリは来た道を戻っていくのだった。




「つまり、噂を流すネフィリムはハヤトさんのクラスメイトである可能性が高いってことですね」


 拠点に戻り、ゴモリーから得た情報をまとめていく。ハヤトが「せめて場所か時間の情報が噂の中にあれば」と言ったのは自分のクラスでアリサと話している時だ。


「そのアリサって子がネフィリムなんじゃないかにゃ?」


 ミウの言葉はもっともだ。毎回どこからともなく噂を持ち込むのもアリサだし、あの時に話していた相手もアリサなのだから、状況的に最も怪しいのは彼女である。だが、ハヤトにはそれがどうにも信じられなかった。


「でもアリサとは幼馴染だし、小さい頃から知ってるよ。ネフィリムって遥か昔からいるんだろ?」


 幼い頃から一緒に成長してきたのだ。それが何千年も前から生き続ける巨人族だったとは、にわかに信じ難い。すると、ミドリが前に見せたような妖艶な笑みを浮かべてハヤトに言う。


「誰よりもよく知っている。幼馴染で、ずっとそばにいるから。……本当にそうでしょうか? ハヤトさんはそのアリサさんのことをどれだけ理解していますか? なぜいつも噂話を持ち掛けてくるのか? 他に仲の良い友達は? 一緒にいない時に彼女が何をしているのか、把握してますか?」


 ミドリの急な指摘に、ハヤトは冷水をかけられたような気持ちにさせられた。特に「なぜいつも噂話を持ち掛けてくるのか?」ということを深く考えたことがなかった自分の無頓着さに気付いたのだ。


「……単にアリサが噂好きなだけじゃないの?」


「違いますよ。そういうところが本当に、男の人は察しが悪いんですよね。ハヤトさんのように頭のいい人でも気付かないんだから」


 呆れたような口調で言いながら、その顔はむしろ嬉しそうに笑っている。ミドリの態度から言いたいことが想像できないハヤトはただ困惑するばかりだ。


「陛下も鈍かったからにゃ。デキる男だって何もかも分かるわけじゃないにゃ」


 ミウもまた天使に見せたようなニヤニヤ笑いをしている。この場でアリサの意図が分からないのは自分だけらしいという状況に、どうしようもない居心地の悪さを感じる。直接会ったこともないのにハヤトの話だけで本当に二人は彼女の気持ちが分かるのだろうか。ただ分かった気になっているだけではないか。そう考えた時に、まさに自分もアリサのことを分かった気になっていただけなのだという事実を思い出させられる。


 だがこのやり取りでむしろ救われた気持ちになった部分もある。ミドリ達の態度から考えて、やはりアリサがネフィリムであるという可能性は高くないのだろうと察せられたからだ。となると、誰があの話を聞いていたのか。あるいはアリサが誰かにそれを伝えたのか。


「……よし、明日アリサに僕が言った言葉を誰かに伝えたか聞いてみよう」


 恐らくそれが一番有効な手段だろうと判断した。ハヤトが口にした言葉を聞いたミドリとミウも、すぐにからかうような笑みを消して頷いてみせた。


「そうですね、それがいいです。私達はゴモリーのことを調べようと思います。話をそらされてしまいましたし」


「あいつ絶対なにかたくらんでるにゃ」


 明日の方針も決まったので、ハヤトは家に帰ることにした。ミウは「ちゃんと寝ないと身体を壊すにゃ」と言っていたが、彼女達は寝ているのだろうかと気になって仕方ない。それを聞いたところで満足いく回答を得られないだろうということは理解しているので、黙って帰るしかないのだが。

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