第30話 ホットな話題
週明けの月曜日。
この日は朝から気温が高く、カーテンを開けて差し込んできた朝日に思わず目を細めて「……もう夏か」と呟くほどだった。
先週まで空を覆っていた曇天は週末を挟んで一掃され、それまでの湿潤な空気が嘘だったかのような渇いた季節が訪れようとしている。
天気予報によれば『もうしばらくは梅雨が続くが、今日から段々夏らしくなっていく』とのこと。
(汗かくの嫌だなあ……)
そう思いつつマンションのエントランスを出ると、早速照ってきた日差しに体が溶かされそうになった。
やはりというか、日射の字の通り太陽の光が雲一つない青天井から容赦なく降り注いでくるので避けようがない。
汗で衣服がべたついたりするのは出来るだけ避けたかったが、早々に諦めるしかないことを結人は悟った。
冷房の効いたバスに揺られ、バスを降りてから寒暖差に感覚を狂わされそうになっていると学校に着いた。
暑さに嘆く生徒たちの会話を聞き流しながら、結人は昇降口で靴を履き替えて教室に向かう。
(廊下にたむろしている生徒が少ないのは日差しが当たって暑いからだろうな)
そんなことを考えながら教室の前までやってきてドアを開くと、年季を感じさせる音と共に涼しい空気が全身に当たってきた。
「わ、すずしっ」
どうやら冷房が効いているらしく、教室に入った結人は冷たい空気を逃がさないようすぐにドアを閉め、隙間が空いていないか確認した。
「お、結人じゃん。おはよー」
「……おはよう」
席へ向かうと先に来ていた康介がこちらに気づく。
元気よく挨拶してくるので、暑さに疲れ切った身体でなんとか返した。
結人は机の上に鞄を倒して置き、引いた椅子に脱力気味に腰掛ける。
眼鏡を外して倒した鞄を枕代わりに伏せれば、隣からは苦笑とも取れる笑い声が聞こえてきた。
首だけ捻って恨みがましく隣を見ると、康介がにやっとした笑みを浮かべながらこちらを見下ろしていた。
「だいぶ溶けてるな」
「……だって暑いんだもん」
「急に暑くなったよなあ。夏が来たって感じだ」
そう言って窓の外を眺める康介は冷房のせいか涼しげで、結人と違って夏という季節を楽しみにしているようにも見える。
「……夏なんて暑いだけだろ」
「そうか? 海行ったり祭り行ったりイベント行事の宝庫だと俺は思うけどな。なんたって夏休みがあるんだぞ?」
「……イベント行事には疎いもんでね」
生憎と遊びに行く程の友人がいなかった結人にとって、大抵のイベント行事は無縁のものだった。
幼少期は両親に連れられて夏祭りに行ったこともあったが、それも今では霞むくらいの記憶なので無縁と言っていいだろう。
そもそもがインドア派な結人は今年の夏も冷房と共に耐え忍ぶんだろうな、と目を細める。
しかし、それを何かと勘違いした康介が手をぱん、と叩いてこちらを指さした。
「じゃあ夏休みに俺とどっか行くか?」
「え、やだ」
「即答かよ」
「だってお前暑苦しいし。そもそも野郎二人でなにすんだっての」
「結人くんは異性をご所望ですかい」
「違う。やることねえだろって意味な」
「へへっ、冗談だって。まあ確かに男二人で出かけてすることってあんまないよな。……飯食いに行くとか?」
康介が捻り出した提案に結人は難色を示す。
食事は何かイベント事の前後に摂るものであって、それ自体をメインにするのは違う気がしたのだ。
というか放課後とかならまだしも、ただご飯だけ食べて解散なんてあまりにも味気なさすぎる。
「ご飯だけ食べに行ってもなあ」
「まあそれもそうか。うーん……」
首を傾げる康介を傍目に、元々あまり出かけることに乗り気でなかった結人は机の木目に視線を落とす。
そうしてぼんやりしていると、そう遠くないところで話していた女子グループの会話が耳に流れ込んできた。
「そういえば土曜日に本屋行ったんだけど、その帰りに小鳥遊さん見かけたんだよね。で、小鳥遊さん、男の人と一緒だった」
「えっ!?」
「小鳥遊さん、彼氏いたんだ」
「や、彼氏かどうかはわかんない。道路挟んで向こう側だったから声とか聞いたわけじゃないし。けど、めっちゃ笑ってて楽しそうだったよ」
「そんなのほぼ確定じゃん」
「え、男の人はどんな人だったの?」
「んー、少なくとも年上っぽかったかなあ。大人びた服装にピアス開けてたのは覚えてる」
目撃者であろう女子の説明に、聞いていた残りの二人が唸る。
一体どれだけの人間がこの話を聞いているのだろうか。
【彼氏】というワードが聞こえたあたりから明らかに教室の喧騒は止んできていた。
ちなみに涼音はまだ学校に来ていない。
結人が教室に入った時点で涼音の席には何も置かれていなかったし、本人も見かけていないのでまだ来ていないようだった。
「へえ、まさにこの季節の始まりに相応しいホットな話題じゃんか」
「……うわ」
同じく聞いていたらしい康介が突然横から囁いてきたので結人は怪訝な顔で返す。
上手い言い回しをしたとでも言わんばかりに得意げな顔でこちらを見てくるのがうざったかった。
「うわ、ってなんだよ。……まあいいや。俺が予想するにこれは『実は兄でした』ってオチだな」
「ほう。なるほど? ……あ」
噂をすればなんとやら。
教室前方のドアを開けて入ってきた少女に教室中の視線が向く。
普段であればその涼音に向く視線は「今日も美しい」といったような羨望や好意的なものが多いのだが、今日は噂や疑惑のせいか追及するものが混じっているようだった。
涼音がその視線の差異に気づいたかどうかはわからない。
ただ、席に向って歩いている間も多くの視線が涼音を追っていたので、涼音自身何かしらの違和感は感じ取れただろう。
涼音はいつも通りの様子で席に着いて、膝に乗せた鞄から筆記用具や教材やらを取り出し始めた。……と、そこに先程噂話をしていた女子三人組がやってくる。
「涼音を見かけた」と話していた女子を先頭にあとの二人が追随する形で来ているあたり、聞きたいことがあってきた人とそれに付いてきた野次馬だろう、と窺えた。
「小鳥遊さんおはよ!」
「おはようございます」
「いきなりでごめんけど、小鳥遊さんって年上の彼氏いたりする?」
本当にいきなりだな、と内心で突っ込みながらも、結人は涼音の対応に注視する。
すると涼音は何か察したらしく、得心のいった表情を浮かべた。
「彼氏はいませんけど、心当たりはありますね。一応聞きますが、なぜ彼氏がいると思ったのですか?」
「土曜日に小鳥遊さんが男の人と歩いてるのを見たからそうなのかなって。そっか、あの人彼氏じゃないんだ」
「土曜日に一緒に歩いていたのは兄ですね。面倒見が良くて頼れる人ですよ」
「お兄さんだったんだ。……てか、小鳥遊さん兄妹いたんだね。ごめん、それが気になってたってだけ。ありがと!」
「いいえ、こちらこそ」
ひらひらと手を振って去っていく女子生徒三人組に応じて手を振って見送る涼音。
その後は何事もなかったのように授業の準備に取り掛かっていた。
「ほら。言った通りだったろ?」
「はいはい、すごいすごい」
肘で肩を突いてくる康介の暑苦しさに結人は雑な褒賞を送って済ます。
『その兄、実は俺なんだよね』なんて、口が裂けても言えるはずがなかった。
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