第23話 ロールプレイと進展

 突然苗字を呼ばれて対応に困ったからか、涼音は眉を下げて口をつぐんでいた。

 そして声を掛けた、というよりぶつかりかけて声を掛けざるを得なかった女子の方は予想外の遭遇に慌てふためいて「あ、えっと……その……」と口籠っている。


 高めに留められた巻き髪のポニーテールと横に流した前髪が印象的な彼女は上から羽織るように着崩した薄手のパーカー、膝丈ほどのフレアスカートにハイカットのブーツという格好で、明るく活発なオーラを身に纏っている。

 パーカーの長い袖、所謂萌え袖からぶら下がっている買い物かごの中にはペットボトルのジュースとお菓子のようなカラフルなパッケージが複数入っていた。

 結人の視界の左上に天井から吊るされた【スナック・お菓子】と書かれた板が見えるので、恐らく売り場から出てきたところを偶然涼音とかち合ったのだろう。


「……えっと、小鳥遊さんで合ってる、よね?」


 否定も肯定も、そもそも一言も発していない涼音の様子に不安を抱いたようで、小柄な女子は恐る恐る涼音に聞いていた。


「まあ、合ってはいますね」


「よかったあ……。じゃ、改めまして私は二組のくすのき有希ゆうきっていいます! クラスは違うけどよろしくね!」


「……よろしくお願いします」


 調子が戻ってから距離を詰めるまでが早すぎて、勢いに押された涼音は普段学校で見せる困ったような笑みを浮かべた。

 その笑みの裏で少し離れて静観に徹している結人に目線を送ってくるのは、実際困ってるから助けてほしいという緊急要請なのだろう。


 仕方がないので結人はカートの向きを変えて二人のいるところまで引き返すことにした。


「涼音ー、昼食のメニューは思いつきましたか? ……おや、そちらの方はご学友で?」

 

 呼び方と口調を変えて涼音に話しかける傍ら、結人は近づいてから有希の存在に気づいたという体の芝居を打つ。


 結人の変わりように最初は目を瞬かせていた涼音だが、すぐこちらになんらかの意図があることを汲んで聞き言葉にわざとらしく微妙な反応を見せた。


「んー、そうですね……学友の定義で言えば今知り合ったばかりなので友人ではないですし、同級生ぐらいが妥当かと」


「同級生ですか。……ああ失礼、涼音の同級生の方。俺は涼音の兄のあおいといいます。どうぞよろしくお願いします」


「……あ、はい! よろしくお願いしま、す…………?」


 きょとんとこちらを見る視線に気付いて、結人は急遽作り上げた偽りの自己を紹介する。

 最後に恭しく頭を下げれば、有希からは明らかな動揺が垣間見えた。


 話の主導権を握ることに成功したら、後は変な追求をされないうちに会話を終わらせてしまえばいい。


「お話のところ申し訳ありませんが、涼音を連れ戻しに来ましたので。ほら、行きますよ」


 言うや否や結人はカートを押して先に進む。


「もう、兄さんてばせっかちなんですから。……あまりお話しできなくてごめんなさい。失礼しますね、楠さん」


「あー、うん。じゃあねー!」


 早すぎる展開に別れの挨拶をすることがやっとの有希を置いて、結人は涼音とその場を離れる。

 結人が先導する形でそのまま二人は乳製品コーナーに足を運んだ。

 

 特に言葉を交わさず乳製品コーナーに着いて、早速結人は牛乳をかごに入れていく。

 予定通り牛乳を三本かごに入れ終えて一息つくと涼音が隣に歩み寄ってきた。


「……あの、兄さん」

 

「あ、まだそれ続いてたんだ」


 既に終わったはずの兄妹偽装作戦の続きが始まりかけて思わずつっこむと涼音は梯子を外されたような、文字通り「え?」といった感じの表情をする。


「もういいのですか? 私はてっきり帰るまで続けるのかと思ってました」


「マジかよ……いや、どうやら慣れない口調や振る舞いをするのってかなり体力使うみたいでさ」


「ああ、それは……お疲れ様です」


 結人の疲れを目で感じ取った涼音は自身が助けを求めたからか、少し気まずそうに目を伏せる。


 葵としてあまり会話は交わさなかったが、自分が客観的にどう見えるか気にしながら振舞ったり葵の人物像を確立するために慎重に言葉を選んだことは確かに感じられる疲労となって結人に蓄積されていた。

 だがその一方で、面白い体験ができたという満足感も確かにあった。


「別に気にしないでいいよ。楠さんだっけ? 彼女の反応、結構面白かったし。むしろこっちこそ勝手に兄を騙ってごめん」


「いえ、助ける口実だったのでそこまで気にしてません。……ただ、先程言おうとしたことですけど、楠さんからこの話が漏れるかどうかが少し心配です」


「あー、どうだろうな。まあ漏れたら兄がいるってことにしといてくれ」


「分かりました。聞かれたらうまく誤魔化しておきます」


「おう、頼んだ」


 もし有希がおしゃべりな性格で明日にこの出来事が漏れたとしても、なんら問題はない。

 彼女の視点ではスーパーに来ていたのは涼音と結人ではなく、涼音とその兄である葵なのだから。


 結局のところ、葵=結人だと気付かれさえしなければ、話題に上がったところで涼音の苦労が少し増えるだけで済むのだ。

 まあ、普段から大変そうな涼音にもしもの面倒ごとを押し付けることになったのは申し訳なかったが。


「来栖さんが私の兄、かあ……」


 乳製品コーナーから最も近い次の目的の食材が何か、スーパーの構造と目的の食材を頭に浮かべて照らし合わせていると涼音がぽつりと呟いた。


「そんな感慨深そうに呟かれても反応に困るんだが」 


「……ああ、いえ、なんというか普段の来栖さんの私に対する気配りや面倒見の良さがまさに兄妹における兄の行動に近かったんだと、来栖さんの兄としての振る舞いを見て腑に落ちたというか。来栖さん、何かと気にかけては助けてくれますし」


 腑に落ちた、と言われても結人自身兄として振舞ってきたつもりは全くなかったので、涼音の所感に対しては「そうなんだ」と理解を示すだけにとどまる。

 ただ、なぜそこまで気にかけてくれるのかわからない、とでも言いたげに不思議そうな顔をしている涼音に対して何か自分なりの答えが出せないか結人は考えた。


 結果、口から出たのはかねてより涼音に対して思っていたことだった。


「なんか心配になるんだよな、小鳥遊さん見てると。初めて会ったときも変な人に絡まれてたし、好きで人気者になってるわけじゃないのに人目を引くせいで不自由を強いられてるから。……まあ、確かに言われてみれば妹に過保護な兄みたいだな」


 最後の自虐気味な言葉は蛇足だったなと反省しつつ「だからもっと甘えてもいいんだぞ」と軽く笑いかけると涼音は虚を突かれたような顔をしてから次に迷うような表情になり、最後は申し訳なさそうに結人を見上げた。


「……いいんですか?」


「駄目だったらそもそもこんな恥ずかしいこと言わないんだけどな」


 自分の発言を思い返して湧いてきた羞恥心で涼音から視線を逸らすと「……そうですよね」と涼音は微笑む。


「では、これまでも多少は甘えていたつもりでしたけど、これからはちゃんと甘えさせてもらいますからね。


 突然の名前呼びに危うく心臓が飛び出しそうになったが、深呼吸をすることでなんとか平静を保つことができた。

 どうやら名前呼びはちゃんと甘えると言った彼女の最初の甘えらしい。


「…………それ、俺も名前で呼んだ方がいい?」


「それは結人くんに任せます」


「オーケー、じゃあ涼音さんで。あと、ちゃんと甘えるのは別にいいけど節度だけは守ってほしいな」


 初手で名前呼びなので、ちゃんと甘えられるのが結人は少し怖くなってきていた。


「それは……どうでしょうね?」


 間を持たせて含みのある返事をした涼音は、結人を揶揄うような悪戯な笑みを浮かべる。


(きっとこの美少女に翻弄されて甘え殺されるんだろうな……)


 涼音の眠れる一面を呼び起こしてしまった気がして、結人は今後の彼女との関係が少しばかり心配になった。

 


 後日談ではなく当日談だが、昼食はドリアとスープだった。


 お裾分けに対して涼音が宣言通りふんだんに野菜を使った料理で応えてくれたのもあって、結人は終始暖かい気持ちで箸を進めた。


 料理の味を褒めた時に「いいお野菜使ってますからね」と微笑んだ涼音の表情が印象的だった。

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