第22話 お裾分けとお買い物

 週末の日曜日、その午前中に結人は重い段ボール箱を抱えて非常用階段を上っていた。

 段ボール箱の中に入っているのは色とりどりの野菜で、それらは結人の実家から送られてきたものである。


 詳細を述べると結人の父方の祖父が趣味で農作物を栽培していて、よく結人の実家の方に採れたものを送ってくれる。その一部が紬によって結人のもとに送られてきたのだった。

 ただ、一つ問題があって、それは送られてきたのがかなりの数量・体積で、結人一人では消費し切れないということだった。

 そこで涼音の存在を思い出した結人はお裾分けをすることにした。つまり結人がしようとしているのはお裾分けのお裾分けだった。


 段ボール箱はそれなりに大きく、エレベーターで運ぶにはスペースを取りすぎるし取り回しが悪すぎる。

 結局、たった二階層上がるだけなら階段の方がいいという判断で結人は階段を上り、なんとかドアのレバーハンドルを引いてエレベーターホールに出た。


 訪問者用のインターホンに向かい、部屋番号を打ち込んで呼び出しボタンを押すと、事前に連絡していたからかすぐに通話が繋がる。


「来栖です。お届け物にまいりました」


『はい、ご苦労様です。お待ちしてます』


「はーい」


 スライドドアを抜けて廊下を回って行くと、薄暗い廊下の先で玄関から出て結人の到着を待っている涼音が見えた。

 涼音はこちらに気づくと小走りに駆け寄ってくる。


「持つの手伝いましょうか?」


「大丈夫。入るときに玄関だけ開けといてほしいかな」


「わかりました。……それにしても、本当にいただいていいのですか?」


「もちろん。むしろ多すぎて消費に困るから貰ってくれると助かる。消費が間に合わなくて鮮度落ちても困るしな」


「それならいただきますけど……」


 結人の持ち掛けたお裾分けが合理的理由に基づいているとわかっても言葉を濁すあたり、涼音は申し訳なく思っていそうだ。

 それでもそうこうしているうちに自宅の前に着いたので、流れに従って涼音がプッシュプル式の取手を手前に引く。そのままドアが閉まらないように押さえてくれた。


「どうぞ」


「どうも。これ、どこまで運ぶ? 野菜に関しては土が付いたままのやつもあるけど」


「……じゃあ玄関の隅にお願いします」


「うい。ここでいい?」


「はい。お疲れ様です」


 段ボール箱をゆっくり下ろして土間の角にきっちり合わせると、頷いた涼音が労いの言葉をかけてくれた。


「じゃ、用事済んだし帰るね。貰ってくれて助かった」


「待ってくださいっ!」


 目的を達成して帰ろうと、踵を返し鍵のかかってないドアの取っ手に手を掛けたところで結人は涼音に止められる。

 取っ手に手を掛けたままピタリと静止すると、背後から深呼吸をする音が小さく聞こえた。


「……その、貰ってばかりでは申し訳ないですし、折角ですからいただいたお野菜でお昼ご飯、ご馳走させてください」


 涼音の発言を理解して嚙み砕くまでコンマ数秒のラグがあったものの、突発的なイベントがこれまで多々あったので慣れたのか戸惑うことはない。

 今日の予定に軽く頭を巡らせ、取っ手から手を離して結人は振り返った。


「じゃあご馳走になろうかな。……多分まだメニュー決まってないよね? 箱の中の野菜、何があるか見てないだろうし」


「そうですね。これから見て考えます」


 お返しを確約できたからか安心したようにほっと息をついていた涼音は、結人に促されるまま土間にしゃがんで段ボール箱を開く。


 因みに送られてきた野菜の内容はキャベツ、玉ねぎ、じゃがいも、茄子の四種で、どれも育ち良く熟したもの、それこそスーパーに並んでいたら主婦の目利きによって真っ先に買われてしまうくらい見た目から美味しそうなものである。

 涼音もそれは感じたようで、野菜を目利きしながら「こんなにいいもの、本当に無料で貰って良いのでしょうか……」と困惑交じりにこぼしている。


「これも何かの縁ってことで。まあそれはそれとして、メニューの方は思いつきそう?」


「……まだです。今は家にあるものと相談してます」


「別に今家にあるもので済まそうとしなくてもいいんじゃない? 今から買い出しに行ってもいいと思うし、俺は俺で今日中にスーパーに行く予定があるからもし行くなら一緒に行けるよ」


 涼音の発言から数秒経って新たに買い出しに行くという選択肢を追加すると、涼音はかなりメニューに悩んでいたのか「買い出し、ご一緒してもいいですか?」と困ったように笑った。


---

 

 スーパーの入り口に差し掛かると、以前酔っ払いから涼音を助け出した場面が結人の頭の中でフラッシュバックする。涼音の腕に伸びる男の手を弾いた感覚が戻ってきた気がして、結人はぎゅっと右手を握った。

 我ながら正義感とはいえ、よくあんな行動に出れたものだと今でも思う。

 それにその対価ではないが、おかげで涼音と知り合えてこうして休日に二人でスーパーに来れるくらいまで関係が発展しているのは感慨深かった。


「……ん、何?」


 こちらを覗き込んでいる視線に気づいて視線で返せば、涼音は視線を前に戻して少し先のアスファルトに落とす。


「……初めて来栖さんと話した時のことを思い出すなあ、と。あの時割って入ってくれた来栖さん、ヒーローみたいでかっこよかったですよ」


「格好良かった?」


「はい」


「そっか……嬉しいな」


 最近、結人は涼音の褒め言葉を肯定的に受け取るようにしている。

 それは涼音の素直な人間性に慣れてきて結人自身褒めに対する耐性ができたのもあるが、そんなことないなど否定的な態度をとると微かに涼音が不満げな表情を見せるからでもあった。

 きっと涼音からすれば褒めるべき部分を褒めているのにそれを否定するのは自身を卑下しているように見えてもどかしいのだろう。


 スーパーに入って、結人はすぐそこのかごの山から一つを取り出す。次にかごの山の横に並んでいるカートを一つ引っ張ってきてその荷台にかごを載せた。


「買うものが多くなりそうだから。会計はまとめて済ませて後で精算するじゃだめかな?」


「大丈夫です」


 聞かれずとも行動の動機を述べて涼音に確認をとると円滑に許可が下りる。


「どうも。小鳥遊さんにどこのコーナーから見て回りたいとかがあれば優先するよ」


「いえ、特には。……来栖さんは買うもの決まってるんですか?」


「俺は決まってる」


「だったら来栖さんの方が先でいいです。何か気になったものがあれば途中で取りに行きますので」


「わかった。じゃあ、まずは牛乳から取りに行くよ」


 結人にとって牛乳はなにかと消費する重要商品で、常に三本は自宅の冷蔵庫にストックするようにしている。それが今は一本の中身が半分程しかないので急ぎで補充しなければならなかった。


 だが、スーパーの真ん中にある広い通路を通って乳製品コーナーに向かう途中、事件は起こった。

 結人が涼音の手助けをしようと昼食のメニューを考えながらカートを押していた時、少し離れた背後から聞き慣れない高い声が聞こえてきたのだ。


「ひゃっ、ごめんなさい! ……ん? もしかして、小鳥遊さん!?」


 嫌な予感がして振り返ると、結人と涼音に挟まれた間で涼音より少し小柄な女子が呆然と立ち尽くしてるのが見えた。

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