第21話 話し合いとは名ばかりの

「あれ、そのまま来たんだ?」


 玄関先で迎え入れた涼音の格好は最近学校で見たばかりの制服で、学校指定の鞄を右肩に掛けている。


「そのまま来ちゃいました」


 涼音の首から下、もとい制服に目を向けて珍しがると、彼女としても思い切った行動だったのか涼音は少し恥ずかしそうに微笑んだ。



 学校にいる間に少しずつ連絡を取り合った結果、結人と涼音は話し合いをすることにした。

 無論、話し合いの主題は学級委員周りのことで、話し合い自体は放課後に結人宅で行うと決めていた。

 そのため結人は普段より急いで帰ったのだが、涼音は思っていたよりも早く来た。やけに早いなと思っていたら涼音の格好が学校の時のままだったのである。


 とりあえず涼音をリビングに通してソファかカウンター席のどちらかに座るよう勧めれば、涼音はカウンター席に腰掛けて鞄を椅子の横に立て掛けた。


「飲み物入れるけど、なんか飲みたいものとかある? といってもお茶かオレンジジュースかコーヒー関連の物しかないけど」


「では前に飲んだカフェラテをお願いします。美味しかったので」


「オーケー、リピートどうもありがとう。こちら一から作りますので少々お時間いただきますね」


「承知してます。お手数おかけしてすみません」


「いいえー、お構いなく。気に入ってくれて嬉しいよ」


 キッチンに立った結人は早速カフェラテと自分のコーヒーを入れる用途でお湯を沸かし始める。

 作業を効率化するために二人分のマグカップとカフェラテの材料を用意してしまえばお湯が沸くまでしばらく暇になるので、結人はちらっと涼音の様子を覗いてみた。


 まず結人に見えたのは、真剣な表情を浮かべた涼音の横顔だ。涼音をその表情にさせているのはテーブルの上にある問題集だろう。どうやら待ち時間に課題を解いているらしく、涼音は広げられたノートと問題集を交互に見てはシャーペンを走らせている。

 解き方に引っかかる様子も全く見せず、流れるようにシャーペンの芯の摩擦音が聞こえてくるのは流石成績優秀者といったところか。


 集中している人の邪魔をするわけにもいかないので、結人はスマホを弄りながら静かにお湯が沸くのを待つことにした。


---


 音を立てないようにそっとカフェオレの入ったマグカップをカウンターテーブルの端の方に置くと、気づいた涼音が顔を上げた。


「……ああ。ありがとうございます」


「ごめん、邪魔した?」


「いえ、待ち時間を有効活用していただけなので。……それより本題に入りましょう。よければ来栖さんも座ってください」


 そう言いながら涼音は速やかに筆記用具と教材をまとめて鞄に仕舞う。それから自身の座っている椅子を横にずらしてスペースを空ける気遣いを見せたので、無下にしないよう結人はコーヒーを持ってきて涼音の隣の椅子に座った。


 座ったはいいものの、結人はなんとも言えない居心地の悪さを感じていた。原因は隣の涼音が制服姿でいることだった。

 制服姿の涼音というと、どうも学校での高嶺の花で簡単にはお近づきになれない印象が拭えない。それでいてこの空間ではこの距離感なのだから、その差異で結人はなんとも言えない感覚に陥っていた。


 率先して話の口火を切れず、テーブルと体の隙間に視線を落とすと視界の端にタイツを纏った涼音の両足が見えた。

 

(そういえば小鳥遊ってあまり肌が出るような服装しないよな)


 視線を上げて涼音の膝に添えられている腕を盗み見ても、やはり袖の長いセーターの上にブレザーを重ね着していて肌色は手首から指先までしかない。と、突然その腕が伸びてきて、細い人差し指の先が結人の脇腹をつんと突いた。


「うっ」


 痛みはないが、不意をつかれた分微かな衝撃に対して反射で呻くような声が出る。  

 急な接触にどうしたのだろうと顔色を窺えば、反対側に逃げられた。


「……あの、来栖さん」


「はい」


「制服でここにいる私を物珍しく感じるのはわかりますが……その、さっきからじっと見過ぎです」


 顔を向こう側に背けたままの涼音から発された声音は怒っているように聞こえた。

 悪意はなかったとはいえ、体をじろじろ見られるのは少なくとも気分がいいことではないだろう。涼音においてはなおさら普段からそういう意図の視線に晒されていそうだし、視線に対して敏感になってもいそうだ。

 もしかすると涼音にとってかなり嫌なことをしてしまったのかもしれない。


「……ごめん。不快だったよな、じろじろ見られて」


 自身のした行いを重く捉えて謝ると、涼音は慌てるような素振りを見せた。


「あ、いや、不快というわけではなくて、えっと……視線がその、居た堪れなかったというか……」

 

 意外な発言に涼音を見れば、その心情の表れとして耳元がほんのり赤く染まっていることに結人は気付く。

 涼音は結人に間違って伝わった不快感を訂正したかったがために本心を曝け出して、その結果二重の居た堪れなさで赤く染まった顔を手で覆っていた。


 これでは話し合いどころではない。でも場の空気が気まずくなるのもそれはそれで勘弁願いたいので、結人はいささか強引な手段をとることにした。


「今回は盗み見するような真似をした俺が悪かった。今度からは何か思ったらできる限り言うようにするよ。……で、話し合いの方はいいの?」


 こう言えば涼音は逃げられないと知っていながら疑問形で聞いたのは悪かったが、結人の狙い通り、涼音は恐る恐るこちらに向き直ってきて話し合いをしようという姿勢を見せてくれた。ただ、ちょっと不服そうな表情を顔に浮かべてはいたが。


「……ずるいです。話し合いをだしに使うなんて」


「ごめんごめん。よかった、てっきり塞ぎ込まれちゃったのかと思ったよ」

 

 軽く睨むような視線に笑って誤魔化すと、涼音は「わかっててそう言ってるのだから狡猾ですよね」と呟くように言ってため息をついた。

 

---

 

 話し合いとはいったものの、それはちょっとした意見の擦り合わせをして早々に終わった。

 いざ話してみれば二人の考えが概ね一致していたからだった。


 テーマであった今後どう互いに接していくかについては、やはり学校では学級委員としての仕事の時にのみ、必要があれば友達未満の距離感で会話を交わすという結論になった。


 話し合いが終わってしまえば、話題は今朝の件の後日談にゆるりと移り変わる。


「そういえば、私と来栖さんが学級委員になったこと、意外と騒がれませんでしたね」


「確かに。まあ、俺は騒がれなくて安心してるよ」


 騒がれることを恐れていたがどうやらテストの成績で名が売れていたようで、成績優秀者を抜擢したという理由に周りは納得しているらしい。


「学級委員やってたらそのうちこっちの距離感で話しても違和感なく受け入れられるのかな」


「どうでしょうね。でもこっちはこっちで特別感がありますから、無理に狙わなくてもいい気がしますけど」


「場合によりけり、か」


「そうですね」


 涼音の肯定で話は締めくくられる。


 一通り話すべきことは話したし、テーブル上のマグカップは二つとも飲み干されて空になっている。静かな空間はそろそろ解散する雰囲気を醸し出していた。


 涼音もその雰囲気を感じ取ったのか、ちょっと寂しそうな、儚げともとれる表情をする。それから何かを探し求めるようにリビングを見回した後、上目遣いで結人を見上げてきた。


「……あの、せっかくなので最後にペティちゃんと遊んでいってもいいですか?」


「俺は構わないけど、それはペティ次第だな。なんせ猫は気まぐれだし」


「わかりました」


 カウンター席を立った涼音はソファの縁で伸びているペティに声をかけてゆっくり近づいていく。

 じっと涼音に視線を向けつつもペティが逃げる様子はなく、涼音はペティの隣に座ることに成功した。慎重な手つきでペティの背中を撫でればペティがされるがままになってくれるので、涼音の表情は自然と緩くなる。


(本命はこっちか。随分と気に入ってくれてんだな)


 学校でのスマホ上のやりとりで食い気味に『来栖さんの部屋がいいです』と提案してきた涼音を思い出すとともにその動機を理解して結人は苦笑いを浮かべた。

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