第20話 好奇の目線と大抜擢

「…………マジか」

 

 教室に向かう途中の廊下に貼ってあった成績表で上位は容易いだろうと予想していたテストの結果を見て、結人は深いため息をついた。


 別に出来が悪かったわけではない。むしろ良すぎたのでため息をつくようなことになっていた。


 成績表に載っている順位の一位は満点の涼音だ。そして二位に結人と続いていて且つ、合計点で涼音と結人には一桁の点差しかないが、二位の結人とそれ以降の点差はかなり大きい。

 

 涼音が満点をとっているのは流石という他ない。如何にも完璧な彼女らしい、という感想が先行して驚くこともない。


 ただ、その涼音に僅差でつけていて一、二位だけが他の追随を許さないほど高得点であれば少なからず結人の名前も目立つ。


(うわあ……教室入りたくねえ……)


 きっと教室に入ればクラス中から好奇の目を向けられたり、ひそひそ話をされるに違いない。

 たとえそれが良い意味の目線であったり内輪話だったとしても、とにかく目立ちたくないこちらとしてはそんな事態になるのは気分のいいことではなかった。

 

 そんな想像ができても教室に入らないという選択肢は取れないので結人は渋々回れ右をする。

 歩き出そうと一歩踏み出したところで後ろから「結人ー!」と自身を呼ぶ声と駆け足気味な足音が近づいてくるのが聞こえた。

 

「おっす、おはよ!」


「……おはよう」


「ん、なに朝から渋い顔してんだよ。もしかして成績があんまよくなかったとか?」


 表情にまで出ていたらしい結人の不機嫌さを瞬時に読み取った康介は、真横にある成績表に目を向ける

 順位を上から流し見しようとしたからか、康介はすぐに自身の推測が間違っていることに気付いたようだ。


「お前成績めっちゃいいじゃん。ってことはあれか、二位で小鳥遊さんにギリギリ負けたのが悔しいんだ?」


「違う」


 涼音は以前互いの健闘を祈って戦友になっていたので、そもそも悔しがるような対象ではない。


「……じゃあそうだな、クラスで騒がれるのがダルいとか?」


「まあ、そんなもん」


「あーね。それなら任せな。話してりゃ周りなんか気にならないもんよ」


「助かる。ありがとう」


 ちょうど声を掛けられた辺りで結人も自然を装って康介を利用できないか考えていたので、康介の方からそう気遣ってくれるのはありがたかった。


 

 そういうわけで康介が振ってくれたゲームの話をしながら二人で教室に入ったのだが、やはり無数の視線が結人に刺さってきた。

 もちろん話し声や音に反応してなんとなく視線を向けてきた生徒もいただろうが、それだけでないとわかるのはじっと見続けているような視線を感じたからだ。


 自分の席に向かって歩いている時には「あ、学年二位の人だ」「え、どっち?」「眼鏡かけてる勉強できそうな方」「へえ。くるす? だっけ」「そうそう」など、隠れて話しているつもりの女子二人組の会話が聞こえてきたりした。


 隣同士の結人と康介はほぼ同時に椅子を引いて席に着く。視線の嵐を実感したらしく、康介は少し辟易とした様子を見せつつ憐みの視線をこちらに向けてきた。


「お前の隣にいるだけで視線の流れ弾がすごいんだけど」


「それを俺に言われても困る」


 いい成績を取ろうとした結果こうなっているので、正直この事態は避けようがなかった。それに目立ちたくないので今後勉学を疎かにする、というつもりも全くない。


 不本意だという意味合いを込めて反論すると、机に頬杖をついた康介は結人の方を見ながら下から上へと視線を動かした。


「まあ見た目が地味でも勉強できるのは魅力になり得るからなあ」


「見た目が地味で悪かったな」


「事実そうなんだから仕方ねえだろ。ま、それで言うとうちには魅力の集合体みたいなのがいるわけで。……けどあの人はあの人で大変そうだ」


 いつぞやと同じように康介が中央列最後尾を見遣るので結人も目で追うと、そこには小規模な人集りができていた。

 主に女子で形成されたそれは、その中心にいる人物のテストの成績を受けてのものだろう。実際、人集りに意識を集中すると「小鳥遊さん、全教科満点って本当?」「え、すご!? 最強じゃん」「勉強の仕方教えてほしい!」という声が立て続けに聞こえてくる。


 結人はそれら黄色い声一つ一つに丁寧に対応している涼音を心の中で労った。

 

 結人ですら目線を向けられるだけで精神的に疲弊するのに、周りを囲まれて色々と捲し立てられるのはもっと擦り減るものがあるだろう。それもそのような構図が今日に限らず頻繁にできているのだから涼音の苦労は計り知れないし、本人が以前疲れると明言していたのでストレスになっていないか心配にもなった。


「とはいえ今は何もしてあげられないしなあ……」


「ん? 結人今なんか言った?」


「いや、なんも?」


「……そう? ならいいや」


---


 結局のところ、朝のHRが始まるまで涼音周辺の人集りは解消されなかった。


 教室前方のドアが開いて担任である中年の男性教師が教室に入ってくると、立ち話をしていた生徒たちは時間を察して足早に各々の席に戻っていく。


 結人のクラスの担任は物理学の教員で、普段から白衣を身に纏っている。

 真面目な顔でボケたり程々に生徒をイジったりするユニークさに加え、教室備え付けのスクリーンで実験の動画を鑑賞しながら小休憩を設ける授業スタイルは、生徒から受けやすい授業として好評を得ていた。

 

 朝のHRはまず挨拶をしてから教師のちょっとした話を挟み、出席確認や配布物の配布、そして近日行われる行事・イベントがあればその連絡をしたりして解散というのが一連の工程になっている。

 

「テストの結果見た人いるかー? いやー、うちのクラスが圧倒してたなあ」


 挨拶を終えた後、開口一番にテストの成績を話題にした担任の教師は、そこで視線を涼音に移したのだろう。そう分かったのは、その次に結人も担任の教師と目が合ったからだ。


「小鳥遊、一位おめでとう。来栖も僅差で二位、よく頑張った」


 担任の教師は「素晴らしいっ!」と声を大にして言いながら、大袈裟な身振りで拍手し始める。


 最初は大人一人が拍手をしているだけの不思議空間だったが、このノリに乗っかった誰かがぱちっと手を鳴らすとそれを皮切りに教室の各所で手を合わせる音が鳴り、次第に波紋の如く教室中に広がっていく。

 個人が特定できないくらい賑やかになってから、結人も一位の涼音に対して賞賛の拍手を送ることにした。

 

 しばらくして拍手が止んで担任の教師に話の主導権が戻ると、担任の教師は何か思い出したかのように「ああ、そうだ」とこぼす。


「そろそろ学級委員を決めようと思ってたんだが、ちょうど良く男女一人ずつ優秀な人材が揃ってるのもあってよければ小鳥遊と来栖にやってもらいたい。頼めるか?」


 こちらの顔を伺ってくる担任の教師に対して、結人は微妙な顔を作る。


 学級委員の仕事については前に説明があったので不明点もなく出来ないこともない。

 問題は人選の方で、涼音とペアで仕事をするとなると周りからの視線は間違いなく痛くなる。涼音の隣に立つには相応しくない外見をしているのも相まってやっかみを買うこともあるかもしれない。


 その一方で、涼音がやるのであれば是非受けたいと結人は思っている。ただ、涼音が承諾した後に自分が続くのは周りから見れば【人気の美女を追っかけるキモい男子生徒の図】になってしまう。

 というかそれ以前に涼音が他人の、それも目上の人の頼みを断るようには思えないし、彼女も自分と組めた方が色々と楽だろう。そうなると答えは一つしかない。

 

「……自分でよければやります」


「私も問題ありません」


 腹を括って先に宣言すれば、涼音も後から承諾する。


「二人とも快諾どうもありがとう。学級委員には急な仕事を振ることもあるかもしれないが、どうか臨機応変に対応してほしい。あと、何かわからないことがあったら私に聞くように。じゃ、出欠取るぞー」


 話が一区切りついて出席確認のフェーズに入っていく傍ら、結人は物思いに耽る。


 あまり時間を掛けずに承諾してしまったが、よく考えれば別に悪いことばかりでもないだろう。

 これをきっかけに涼音と仲良くなったことにすれば、いずれ学校で話しても不自然でなくなるという効果も期待できる。

 だが、その前に今後どうするかを涼音と話し合う必要がありそうだった。

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