第19話 初の試みと親のお節介
「お待たせしました。こちら御注文のカフェオレとブラックコーヒー、サービスのクッキーでございます」
女性二名をカウンター席に案内した結人は早速出来上がった飲み物を提供する。ついでに冷蔵庫に寝かせていたアイスボックスクッキーも焼いて出してみた。
「お疲れ様。んー、いい香り。いただきます」
「小鳥遊さんもどうぞ」
「ありがとうございます」
紬が遠慮なくカップを傾ける傍ら、涼音の動きはぎこちない。ワークトップから声をかけて勧めると涼音はおずおずといった挙動でカップに口をつけた。
「どうかな。結構甘さとか調整したつもりなんだけど、まだ苦かったらごめん」
口に合うか不安で一言付け足すとカフェオレを一口飲んだ涼音は小さく首を振る。
「ちょうど良い甘さで美味しいですよ」
「そう? ならよかった。クッキーも是非どうぞ」
「いただきます」
クッキーはプレーンとチョコレート、さらには抹茶の三種類を用意した。涼音はそのうちのプレーンを摘んで口に運ぶ。
サクッと軽快な音が鳴り、ゆっくりとした咀嚼音がほんの数秒聞こえて止んだ。
「美味しいです」
「そう言ってもらえて嬉しいよ」
感想を告げた涼音は手元に残っているもう半分の欠片も口に運ぶ。
一口サイズで食べ切ることを想定にして作ったクッキーだが、口の小さい涼音は二口に分けて食べていた。両手を添えてクッキーを口に運ぶ様子はリスのような可愛らしい小動物を彷彿とさせている。
「ねえ結人」
「はい、なんでしょう?」
ワークトップからぼーっと涼音の様子を眺めていた時に紬に声をかけられたので、結人は少しびっくりする。
用事を聞けば紬はとんとん、とカウンターに置いてある右手の人差し指で音を立てた。
「写真撮らないでいいのかしら?」
「え、なんで?」
「ほら、今なら『集まってコーヒーブレイクなう』みたいな投稿ができるかもしれないわよ」
「あー、なるほど」
言われてみれば、確かに今までで誰かと一緒にいる時にそういう写真を撮ったことは無かった。
それは単純にそういう機会に恵まれなかったというのもあるが、そもそも他人に隠してるSNSのアカウントでバレるような投稿をする必要がなかった、というのもある。
「……撮ってもいいな。そうしよう」
ここにいる二人からSNSのことが漏れることはないだろうし、この偶然の集いを記念して、というだけで理由は十分だった。
ワークトップに置いてあった自身のマグカップを持って結人はカウンター側に回る。
カウンターでは紬が今から行われることを涼音に既に説明していたらしく、クッキーのお皿の周りに二人のマグカップが寄せられていた。結人も自身のマグカップを並べて、ポケットからスマホを取り出す。
「冷まさないようすぐ済ませるね」
カメラを起動してスマホを横に持つ。
焦点距離や画角、日差しの方向などを考えながら素体を細かく動かして、とりあえず一枚撮ってみた。
「どう?」
「うーん……写し方はいいけど、カップを並べただけじゃ集まってるって感じがしないわね」
撮った写真を見せたところ、紬は物足りなさを感じたようだ。
「そうね、ピースとか写してみるのはどうかしら?」
「ピースって、手元を写すってこと?」
「そういうこと」
「……ふむ」
言わんとすることは結人も分かる。SNSを見ているとそういう投稿を目にすることも多い。ただ、いかんせんそのような投稿は女子がするイメージがあった。
(まあ、手元だけなら特定しようがないか)
男でそういうことをするのはどうかと思ったが、手元だけなら性別の特定はできないだろうし世間体を気にする必要はないのかもしれない。
というか、手元ピースの発想が出てくる紬の精神的若さに結人は少し引いていた。
「面白そうだしやってみるか。小鳥遊さん、話の流れは理解できてる?」
「ええ、まあ。写真を撮る時に手元でピースを作れば良いんですよね?」
「そうそう。じゃあよろしく」
結人がスマホを構えると紬がカウンター上に右手を沿わせてピースを作る。それを見て涼音も画角に入るよう結人の右側からぐっと身を乗り出して右手でピースを作った。
「これでいいですか?」
「いいんじゃないかしら」
最後に二人の席の間から結人が自身の手を画角に収めてシャッターを切る。
「おー」
「いい出来ね」
撮った写真を見返せば、結人が普段なんとはなしに目にするものと似通った出来になっていて、意外と映えるもんだなと感嘆の声が出た。
写っている手は三つとも右手なので少なくとも三人以上いることが確定情報としてわかるようになっている。
「お二人ともご協力ありがとう。あとはこっちで投稿するだけなんで、ごゆっくりどうぞ」
キッチンに戻った結人は早速バックカウンターに寄りかかりながら投稿する写真に付随させるための短文を考え始めた。
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カロリーを気遣って少なめに用意したクッキーは綺麗にお皿から無くなり、空のマグカップと一緒にお皿を回収した結人はそれらを流しで洗っていた。
カウンターでは紬と涼音が何やら話しているようだが、食器を洗う水音で遮られて聞こえそうで聞こえない。気にはなるが、洗い物を中断してまで聞くつもりも結人にはなかった。
お皿とマグカップ三つだけの洗い物はすぐ終わって、食器の水分まで拭き取った結人はそれらを片付けようとバックカウンター上部の吊り棚を開く。その時、何やら怪しげな会話がカウンターから聞こえてきた。
「……で、どう? 涼音ちゃん」
「何がですか?」
「何って、家事全般できて身だしなみにも気を遣えて趣味でお菓子作れる男の子って魅力的じゃない?」
食器を片付ける背中に妙な視線を感じる。
(…………ん? それって、俺?)
その男の子が自分を指しているのだと結人は遅れて気付いたが、気付いた時には涼音の考え込むような唸り声が聞こえてきていたので会話に割り込むタイミングを失っていた。
仕方ないので結人は背を向けて聞こえないふりをしながら黙々と片づけを続ける。ただ、全ての食器を元の場所に片づけ終えても涼音が答えに詰まったままだったので、流石に助け舟を出してやることにした。
「……なあ紬さん、あまり小鳥遊さんを困らせないでくれるか? 小鳥遊さんもそんなの答えなくていいからね」
振り返りざまにワークトップに両手をついて言うと涼音は驚いたようで、ぱちぱちと瞳を瞬かせる。それに比べて当の標的である紬は全く効いてないどころか、にやにやと嫌な笑みを浮かべた。
「あら、そんなこと言って。聞こえてたくせにしばらく黙ってたのは涼音ちゃんの答えに結人も興味があったからじゃないの?」
「無い、と言えば嘘になるけど、それ以前に小鳥遊さんが困ってるんだから無理に答えさせなくてもいいだろ。それに紬さんは初対面の人に対して距離が近すぎるんだよ」
「……んー、嫉妬?」
「殴り飛ばすぞ」
「きゃっ、DVよー!」
わざとらしく腕を抱えて高い声を発する紬に結人は冷たい目線を送る。
曲がりなりにもこれが自分の母親で、呆れられているかと思うと恥ずかしくて結人は涼音の顔を見ることができなかった。
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当初の予定よりかなり長居した紬は「ご馳走様。楽しかったわ。涼音ちゃんにもよろしくね!」と玄関先で言い残して去っていった。
紬を見送ってリビングに戻ると涼音はソファでペティと遊んでいた。膝に横たわりながら体を伸ばしているペティを涼音は一定周期撫でている。
身を任せてくれるペティの愛らしさ故か、涼音にしては珍しくふにゃっとした笑みが表情に浮かんでいた。でも、それは結人の視線に気づくと狼狽に変わる。
「あ、えと、これはですね、私が座ってたら突然膝に乗ってきたから仕方なくお相手をしていただけで」
「まだ何も言ってないけど。いいじゃん、ペティに気に入られたみたいだね」
別に勝手に触れるなと言った覚えはないし、涼音の言い分はペティから乗って来たので不可抗力だったというものだろう。
どうしていいかわからず、ペティを膝に乗せたままあわあわとしている涼音が面白くて結人は笑いそうになった。
「どうする? 夕飯も食べてく? 俺はどちらでも構わないけど」
「いえ、流石に夕飯までお世話になるわけにはいきませんので私もここらで失礼しようかと思ってます、けど……」
末尾を歯切れ悪く言った涼音は膝に居座るペティをばつが悪そうに見る。
帰るには膝に乗っているペティをどかせばいいだけだが、すぐにそうしないのはきっと愛着があるからだろう。
「また遊びに来なよ。ペティと遊ぶためだけでもいいし、いつでも歓迎するよ」
涼音の膝からペティを抱え上げると涼音は「あっ」と口から小さく声を漏らし、一瞬おもちゃを取り上げられた子どものような、惜しいという表情を見せた。だがそれも我を出すまいとすぐに隠す。
涼音がソファから立ち上がったのを確認して、結人は玄関へ続く廊下を歩き出した。
「今日は急な誘いに乗ってくれてどうもありがとう。おかげさまで良い時間を過ごせたと思ってるよ」
「こちらこそお誘いいただきありがとうございました。とても楽しかったです。あと、ご馳走様でした」
玄関先で靴を履いた涼音はドアの取手に手を掛けて振り返る。
「お邪魔しました。お言葉に甘えてまた遊びに来ます」
「はーい。いつでもどうぞ」
抱えているペティの右前足を掴んで手を振らせると涼音は微笑ましさから笑みをこぼす。
「……そういえばさっきの答えですけど、私は魅力的だと思います。来栖さんについてもっと知りたいので、またこうして話せる機会を楽しみにしてますね」
そう言うと涼音は振り返らずに僅かに開けたドアの隙間から姿を消した。
遠退いていく早い足音はドアが閉まる重い音に消され、それ以降聞こえなくなる。
所謂言い逃げをされたわけだが、結人は涼音がなぜこの行動に及んだのかあまり深く考えるのはやめておいた。
「俺なんかより全然そっちの方が魅力的だと思うけど。なぁ、ペティ?」
一つ、逃げられたのでできなかった反論への同意を胸元のペティに求めたところ、飼い猫からは「ナー」という短い鳴き声だけが返ってきた。
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