第16話 予想外の事態と身勝手な決定

 一緒に昼食を取る、というのが今日久しぶりに母親と会っての予定で、昼食は結人が作るということで互いに合意を得ていた。

 ただ、元は結人と紬の二人分を用意すればよかったものの、ひょんなことでもう一人分用意しなければならなくなったのは、マンション前の通り、というよりはエントランス目前で偶然にも同級生の彼女と会ったことが原因だった。



「重要な連絡は伝え忘れてないわね?」


「全部目を通してから必要なものは写真送ってるから問題ない」


「ならよし!」


 バスから降りて自宅のマンションに向かう途中。

 バス停からマンションまでの距離は短く、背の高いマンションの影が通りに沿って歩く二人の上に覆い被さっている。


 話題は結人の高校生活に移ろい、基本的に紬に聞かれて結人が答える形になっていた。


「……あ、そういえば友達はできたの?」


 重要なことを思い出したかのように紬が聞いてくる。

 親が学生の子供に聞くであろう定番の質問だな、と結人は思った。


「ん、まあ。隣の席の男子とかなら」


「あら、どんな子なの?」


「スポーツ馬鹿、でもないか。……なんというか、運動が得意で地頭が良いのに日々しっかり勉強しないからテストの点数が七割止まりになってる勿体ない奴、かな。まあ、明るくて良い奴だよ」


「んー、七割も取れれば十分な気もするけど。ま、面白そうな子じゃない。他の子は?」


「うーん、いないわけじゃないんだけど……」


 康介以外の友達となると、あとは涼音くらいしかいない。

 涼音のことを親に説明するかどうかで結人は語尾を淀ませた。別に隠すつもりはないが、説明するためにこれまでの経緯を脳内で簡略化するのに時間が必要だったのだ。


「……ちょっと複雑な事情があって話すと長くなるんだけどさ」


「うん? 取り敢えず聞くわね」


「ありがとう。……で、もう一人の友達が女子なんだけど、実は同じマンションに住んでるんだよ」


「あらまあ、偶然ね」


「そう、それはもうすごい偶然だったんだ」


 結人は『スーパーで偶然彼女に会ったこと』や、『流れで夕食をご馳走になったこと』を辿々しく紬に説明した。


「……まさか私の知らない間にそんなことがあっただなんて」


 一通り話して紬の顔を伺うと紬は得心のいった表情をしていたが、結人の視線に気づくとにやりとした笑みを浮かべて弄りモードに切り替わる。


「……ねえ、もしかすると運命の出会いだったりするんじゃない?」


「そんな訳ないし、そんな可哀想な運命に巻き込まれる相手のことも考えてくれ」


「あはは……っとごめんごめん。でも結人は勉強できるし家事一通りこなせるし、人としての性格もいいからどこに出しても恥ずかしくないのよね」


「えっと、あ、ありがとう……?」


 突然の褒めのオンパレードに結人は調子を崩されてしまう。しかもこの発言は紬の変な言動ではなく純粋な親目線の言葉なので素直に受け取るのが筋ではあるのだが、それに慣れていない結人は動揺を隠せなかった。


 まあ結人自身が自負している部分として、勉強と家事に関してはかなり自信があった。性格だけは他人の評価次第なので知らないが。


「で、その子の名前はなんていうの?」


「……一応プライバシーで伏せておく」


「えーなんで!? まさかいい感じだから私に邪魔されるのを避けたいとか?」


「違う! ……はあ、もう面倒だしなんとでも言ってくれ」


 勝手な憶測もいいところだ。それに名前に関しては康介の方も出していない。だから別に彼女を特別扱いしてる訳ではないし、変に憶測を広げるのはやめてほしい。

 プライバシーの保護はまあ冗談として、名前を知ったところで別になんもないだろ、と思ったから言わなかっただけなのに。


 しつこい母親から逃げようと、会話を断ち切るつもりで結人は少し歩調を早める。ちょうどマンション間近に差し掛かっていたのもあって、通りを左に曲がるとマンションのエントランスの入り口が見えた。そのまま歩調を緩めずエントランスの入り口を目指していたのだが、そこで予想外の出来事が起きた。


「うわっ! ……っとと」


「きゃっ! ごめんなさいっ!」


 結人の頭より少しばかり高い植え込みのせいだろう。右側の細い脇道から出てきた人影に気づかず衝突しかけたのだ。

 幸いにも反射的に衝突は免れ、避けようとバランスを崩した結人が僅かにたたらを踏む程度で済んだ。あとは互いに軽く謝る程度で事態は丸く収まる……はずだった。

 

 「「……あ」」


 幸か不幸か、この際はタイミング的に不幸の方だろう。

 体制を立て直して目線を合わせた相手が見覚えのある美少女だったのだ。そして相手も此方が誰か分かったらしく、二人揃って固まってしまう。


(マズい。ここに紬さんが居合わせたら確実に面倒なことになるぞ)


 先程の話の流れから「この場面で涼音と紬を会わせるのは確実に良くない!」と脳が身体に働きかけ、結人は先にフリーズ状態から解放された。あとは手短に話を済ますことに尽力し、この場を離れるのみだ。


「ごめん! 怪我してない?」


 早口気味に安否を問うと涼音ははっとした表情を見せ、フリーズ状態から戻ってくる。


「私は大丈夫です。来栖さんこそ大丈夫ですか?」


「大丈夫。ごめん不注意で」


「いえ、私も気を付けてなかったのでお互い様ってことで。……ところで、後ろの方はお知り合いですか?」


「……え?」

 

 ホラーゲームのような涼音の誘導に従って後ろを振り向くと、そこには大変にこやかな笑みを静かに浮かべた、それはそれである意味ホラーな紬が立っていた。


(……頼むから、マジで余計なことは言わないでくれ)


居合わせてしまったことはもう仕方ないとして、視線を向けられた紬が口を開くと同時に、結人は心の中で母親が変なことを口にしないよう切に願った。


「お話の途中にごめんなさいね。私は結人の母親の来栖紬っていいます。気軽に紬って呼んでくれていいからね。それと息子の結人がお宅にお邪魔したり色々とお世話になってるみたいで申し訳ないわね」


「あ、お母様!? 失礼しました。私は来栖さんの同級生でクラスメイトの小鳥遊涼音といいます。こちらこそ来栖さんにはお世話になりっぱなしで……」


「あら、そうなの?」


「はい。ナンパから助けてくれたり、重い荷物を持ってくれたり、あとは学校での私の立場にまで気を配ってくれて、本当に色々と助かってます」


(最後の部分は別に言わなくていいから……!)


 本人を前に、本人がしてきた気遣いの数々を相手から本人の親に明かされる。

 もうこんなのは新手の公開処刑だ。


「良い感じじゃない、結人」


 羞恥心と混乱が入り乱れ、狼狽から目を伏せていると、隣に移動してきた紬が耳打ちで囁いてくる。もちろんそれは涼音には聞こえない。


「やめろ。他意は無いし、純粋な気遣いをしたまでだ」


 紬は「はいはい、そうですよね」と結人の弁明を聞き流す。

 耳打ちで返さなかった結人の発言は涼音にも聞こえていたが、なんのことか分かっていない涼音は愛想笑いを浮かべて話を聞き流していた。


「ところで、涼音ちゃんはお昼ご飯、もう済んでるの?」


 一段落置いてから涼音に向き直って何やら怪しげな質問をし始める紬。

 

 涼音ちゃん、と親しげに呼んでいることも多少引っ掛かりはしたが、それ以上に気になったのは母親の放った文言だ。どことなくイベント事のフラグが立ちそうな気がするのは気のせいだろうか。


「……? まだです、けど?」


 質問の意図を理解していない涼音は目尻を下げて困惑気味に答える。

 昼食がまだだということは、紬の次の発言は大体予想できたようなものだ。


「じゃあよければお昼ご飯、うちで一緒にどうかしら?」


「紬さん、突然何を言いなさる?」


 やっぱりな、と思いながらもあまりの身勝手さに静止をかけずにはいられなかった。


「いいじゃない。いろいろ聞きたいこともあるし、お二方が仲良さげだから」


「仮にそうだとしても、ちょっと身勝手すぎないか?」


「もちろん強制はしないわよ。……で、どうかしら、涼音ちゃん」


 建前と本音の両方を曝け出したほぼ強制に等しい誘い文句。

 人が良い涼音はきっと流されてしまうだろう。


 そう思ったが、何やら懸念点があるらしく涼音はじっくりと考えている。

 紬がその様子を見て「じっくり考えていいわよ」と付け足すと、涼音は「あ、大丈夫です」と軽く頭を下げた。


「……その、お誘いは嬉しいですけど、親子水入らずの場を邪魔してしまいませんか?」


「あら、美人で気遣いもできるなんて本当にいい子ね! 邪魔だなんて言わないわ。是非ご一緒してちょうだい」


「……分かりました。ではお言葉に甘えさせてもらいます」


「うんうん、そうこなくっちゃ! 結人もいいわね? といってももう決定事項なんだけど」


「……ああ、うん」


 親の資金で借りているマンションの一室とはいえ、住んでいるのは自分なのだ。その自分という住民を差し置いて勝手に話を進められたのは不本意ではあるが、別に結人は涼音を部屋に上げること自体を断りたい訳ではない。

 だから、複雑な気持ちで紬と涼音が並んで歩く後ろを黙って追うこととなった。


「涼音ちゃんは猫アレルギーとかないかしら?」


「触ったことないので分かりませんけど……えっと、猫ですか?」


「そう、猫。ま、そのうち分かるわ」


 前列の会話では、突然の猫というワードに涼音が困惑を示しているらしかった。

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