第7話 “自称”手抜き料理と連絡先
「できましたよ。今そちらに持っていきますね」
二十分ほどしたタイミングでキッチンから涼音の声が聞こえてきて、結人はスマホから顔を上げた。
どうやら夕食を作り終えたようだが、運んでくるのを座ってただ待っているのは申し訳ないので結人も手伝おうとキッチンに赴く。
「お疲れ様。持っていくの手伝うよ」
「ではサラダと煮物をお願いします」
「了解」
全て運び終えて、結人と涼音は向かい合って席に着いた。並べられたメニューは色鮮やかで美を感じる。大根はサラダに使ったようだ。
「すげえな。栄養バランスに色合いに……」
結人の言葉に、大したことないとでも言うふうに涼音は首を振る。
「今日はほとんど手抜きですよ。サラダは切ればいいだけですし、煮物は作り置きですから」
「全然そんなことないのに。でもそう言うなら手抜きじゃない方も食べてみたくはあるな」
「それはまた今度ですね」
少し考えて冗談で言ったつもりが、次回の存在がすんなりと示唆されて結人は驚きで涼音を凝視してしまった。
「次があるんだ?」
「恩人に対するお礼が手抜きでは私の気が済まないので」
きっぱりとした態度に涼音なりの意地が伺えた。そんな大それたことをしたつもりはなかったが、どうやら涼音は義理堅いらしかった。
別に結人にとっては今回の料理も手抜きだとは思えない。目の前の料理もそれはそれで大変美味しそうだ。ただ、次回の料理がこれ以上にしっかりと手間のかけられたものだと思うと今からでも期待してしまう。
「ん、楽しみにしてるよ。それはそうと……」
結人は目の前の食べ物たちに手を合わせる。美味しそうで待ちきれそうになかった。
「はい。出来立てのうちにいただきましょう」
涼音も手を合わせたのを確認してから二人揃って「いただきます」と食材に感謝を示す。
結人は早速煮物に箸を伸ばした。煮物はにんじん、焼きちくわ、さやえんどう、干し椎茸、蓮根で構成されていたので、好物のちくわから摘むことにした。箸で挟んで口に運ぶと、ちくわに含まれた出汁の甘塩っぱい風味がじわっと口いっぱいに広がる。口がご飯を求めるのでちくわを咀嚼、嚥下した後にご飯を口に運ぶと出汁の後味と白米の甘みが調和した。すかさず今度は椎茸を口に運ぶ。これまた素材の味を殺さず、染みた出汁とのバランスが良い。噛み締めた時の歯応えもばっちりだった。
「……美味しい」
食卓に並べられた時から美味しそうで元々味を褒めるつもりではいたが、予想以上の美味しさに自然な賞賛が口から漏れた。
「そうですか。それはよかったです」
「うん。ご飯がすすむ味付けだね」
より細かく褒めると「お口に合ったようでなによりです」と涼音は微笑んだ。
次に結人味噌汁のお椀を手に取る。味噌汁は長ねぎ、豆腐、わかめと具材は簡単でシンプルなものだったが、味噌と出汁のバランスがよく後味もすっきりとしていた。
手抜きだと言っていた割にそのままでも出せる刺身にもしっかり手間がかけられていて、臭みがないどころか旨味が引き立った上品な味に仕上がっていた。気になって涼音に聞くと「水で軽く洗った後に冷塩水に十分ほど漬けるといいですよ」と教えてくれた。その流れで調理方法や豆知識について知っていることを涼音と共有した。
互いに初めて知ることも多くて驚いたり納得したり、ととても有益な時間になった。
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さまざまな食材の良さを活かした料理はどれも味わい深くて、あっという間に食べ終えてしまったのが悔やまれた。
手を合わせて「ご馳走様」をした後、手分けして食器や食卓周りを片付ける。ご馳走になったので結人は皿洗いを申し出た。
結人がお皿を全て洗い終えて水切りかごに片付けていると、食卓周りを掃除し終えた涼音が隣に来て手を洗い始める。
「分かっているとは思いますが、このことは口外してはいけませんよ?」
「もちろん。するわけないし、バレたら俺が燃やされるだろ」
そのことは結人も考えていた。もしなんらかの手違いでこの事実が周りに露呈したら、面倒なことになるのは目に見えている。
「……学校での私の立場があれではそれもそうですね」
「いや本当に。なんで俺は学校で話題の美女の家に招かれて夕食をご馳走になったんだ?」
涼音からタオルを受け取って手を拭きながら、今になって改めて自身が体験していることの特殊さを実感する。
目の前にいるのは学年で一番モテている美少女だ。流れるような滑らかな髪に整った幼く儚げな顔立ち、と改めて見てもその美貌が周りを魅了するのは頷ける。
結人が涼音の美貌を横目に眺めていると、涼音は眉を寄せて憂いを表情に浮かべた。
「……私はあのようになりたくてなったわけではないのですよ」
そう言う声は少しばかり疲労感を含んでいて、本人も人気になる事をあまり望んでいるわけではないのが雰囲気から読み取れた。
正直なところ、この美貌に丁寧な物腰や大人しい性格という要素が合わさって周囲を魅了しない方が難しくも思える。だが、それが涼音の素の振る舞いで、本人の意思に関係なく涼音を人気者にしていると考えると以前より増して彼女が気の毒に感じられた。
「なんていうか、大変そうだよね」
困ってそうなので助けてあげたいのはやまやまだが、結人にはどうもできない。慰労の言葉をかけようにも難しくて、中身のない他人事の言葉が口から出た。
「あでも、俺で良ければ何か困ったことがあったら相談に乗るし、話し相手にもなるから遠慮せずなんでも言ってくれ」
自身が涼音にとって頼れる人間かどうかはともかく、こういう言葉は言っておくに越したことはない。そう思って言うと、涼音は目線を左右に迷わせてから少し躊躇いがちに水々しい薄ピンクの唇を開いた。
「ではお言葉に甘えて来栖さんの連絡先を貰ってもいいですか?」
「連絡先? そりゃ俺なんかので良ければ全然いいけど……」
なぜ涼音が自身の連絡先を欲したのか分からなくて戸惑ったが、特に拒む理由もないので結人はスマホを取り出した。
涼音もスマホを取り出して、それから現代で広く普及しているコミュニケーションアプリを開くので結人も同じアプリを開いた。
「仮に私が来栖さんに相談するとしても直接話すのは難しいですし、こうすれば次の予定についても話し合えて色々と便利ですから」
「なるほど。確かにそうだね」
基本的に学校でしか会わないし、立場上、涼音からでも結人に直接話しかけるのは難しいのだろう。
結人としても涼音と直接話して面倒なことになるのは極力避けたかったので、この提案は純粋にありがたかった。それに存在が示唆されている次回の予定も前もって擦り合わせる必要があるので、涼音の言うことはごもっともだろう。
納得しながら、涼音が「どうぞ」と提示してきたQRコードに「どうも」とスマホをかざすと友達登録が完了する。
恐らく学校中の男子が欲しいだろう物が、意外にもあっさり手に入ってしまった。
結人が友達一覧に新たに追加された『涼音』という名前を感慨深く眺めていると、「初めて男子の連絡先貰いました」と涼音は悪戯な笑顔を浮かべた。
小悪魔のような魅力的な笑みには相当な威力があって、ちらっと見てしまってから結人は逃げるように視線をスマホに戻す。
涼音ほどの人気者が初めて男子の連絡先をもらったというのは意外だったし、“初めて“という言葉の響きは結人の優越感をくすぐった。
話が一段落し、ちょうど食後の片付けも終わった。特にこれからすることもなく、これ以上ここにいる理由も結人にはない。
帰るなら今が自然なタイミングだろう。
「ここらへんで帰ろうかな。あんま長居することもないし」
「……あ、はい。玄関まで送っていきますよ」
「ご親切にどうも」
涼音が一瞬寂しそうな表情をしたように見えたのは気のせいだろう。
冷蔵庫で保管してもらっていた牛乳を涼音から受け取って手提げに入れ、玄関で靴を履く。
お世話になった涼音にはしっかり礼を言ったほうがいいだろう。
ドアを開ける前に結人は涼音に向って軽く頭を下げた。
「今日はご馳走様でした。……その、とても美味しかったです」
「そう言ってもらえて嬉しいです。こちらこそいろいろとお世話になりました」
「全部俺が勝手にやっただけだし気にしないでいいって。じゃ、おやすみなさい、でいいんだよね?」
「はい。おやすみなさい、来栖さん」
「ん、小鳥遊さんもおやすみ」
涼音に見送られて廊下に出た後、結人の背後でドアが閉じる。続いて無機質な施錠音が廊下に響いた。
結人はドアを振り返って立ち尽くす。
先程まで過ごしていた空間と時間にあまり現実味を感じられないでいたのだ。
(おやすみなさいって、今日寝れるかな……)
取り敢えず帰巣本能だけで薄暗い廊下を歩き出すも、ナイロンの絨毯のせいか床を踏み締める感覚は鈍く感じられた。
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