第6話 初めての女子部屋訪問
「もうこんな時間か……」
エントランスに入ると受付カウンターの明かりは消えていて、既にフロントの業務終了時間を過ぎたのだと気付く。
ちらっと見たデジタル時計は七時半過ぎを示していた。その時間は本来なら家で夕食を食べ始めている時間だった。
「時間、大丈夫ですか?」
「大丈夫。ご心配ありがとう」
時計をちらっと見た結人の視線に気付いて気を遣ってくれた涼音に問題ない旨を返す。
ペティにはご飯を与えてきたし、家事も残っていない。学校の課題も既に済ませてあるので、自宅でしなければならないことといえば風呂に入って歯を磨いて寝るくらい。それらの時間を抜いても時間は十分すぎるほどにあった。
「このまま直接来ますか? それとも一度自宅に戻りますか?」
「このまま行くよ。一回帰ってもやることないし」
エレベーターホールで丁度降りてきたエレベーターに二人で乗る。
結人が何階か聞く前に涼音が十七階のボタンを押して、エレベーターは静かに上昇を始めた。
「……案外近いところに住んでたんだな」
話しかけるわけでもなく呟くように言うと隣の涼音がこちらを見上げてくる。
「来栖さんは何階ですか?」
「俺は十五階」
「本当に近いですね」
「な。意外と気づかないもんだよな」
「もしかしたら私たち以外にも同じ学校の人が住んでいたりするのかもしれませんね」
「その可能性も全然あるな」
そんな他愛もない会話は目的階への到着を告げる機械音声が鳴って途切れた。
エレベーターを降りた後、涼音がキーパッドにカードキーをかざして中廊下に出るので自動ドアが閉じる前に結人も追って廊下に出る。
普段来ない階に来たからか、自身が住んでいる階とは光の加減や匂いまでもがどこか違ったように感じられた。それをきっかけに結人はふと思い出す。
(……あれ? よく考えなくても俺、他人の家って初めてじゃね?)
流れで涼音の提案に甘えたはいいものの、今になって結人は女子の部屋はおろか、友達の家にすら一度も行った経験が無いことに気付く。
そしてその気付きは自分がいきなり女子の部屋に招待されてまともに立ち回れるだろうか、というある種の不安を心の中に生み出した。
「ここまで来て聞くのもなんだけど、一人暮らしの女子が男を部屋にあげるのって小鳥遊さん的に大丈夫?」
「……? ああ、そういうこと。じゃあ逆に聞きますけど、来栖さんは私に何かしますか?」
「いや、別に何もしないけど……」
もともと涼音に何かしようなんて気は全くないし、さらに言えばそもそもそんな度胸は持ち合わせていない。それでも何か過ちが起きようものなら破滅するのは結人自身なのだろう。
(それにしても警戒心無さすぎじゃないか……? いやでも初めて会ったときは警戒心剝き出しだったし、これでいいのか……? でもいきなり自室なんて飛躍しすぎてない? うーん……)
いろいろと考えて悶々としていると、涼音は一息置いてから困ったように笑った。
「これまでの過程で私は来栖さんを信用しています。だからそう構えなくていいですよ」
「……ん、わかった」
ドアの前に着いてロックを解除した涼音は、重い荷物を持っている結人のためにドアを大きく開けてくれた。
「さ、どうぞ」
「ありがとう。お邪魔します」
「はい、いらっしゃい。それ、キッチンまでお願いしてもいいですか?」
「はいよ」
靴を脱いで片手で揃えてから廊下を歩く。このマンションの部屋の間取りは覚えやすいし、初めてきた人でもそう迷わないだろう。
細い廊下を抜けると開けたリビングに出る。それからキッチンを見つけて結人は冷蔵庫の横に重い手提げをゆっくりと降ろした。
「ご苦労様です。私は夕食を作りますので、来栖さんは手を洗ってきてください。……あ、場所は分かりますか?」
労いの言葉をかけた涼音は流しで手を洗って早速夕食の準備に取り掛かっている。
「ここに来る途中で見つけたから大丈夫」
廊下の途中に洗面所を見つけていたので、結人はそこに行って時間をかけて丁寧に手を洗う。
手を洗い終えてリビングに戻ると、水色に白い水玉を点々としたポルカドットのエプロンを纏った涼音がキッチンで大根を切っていた。
一口サイズで細い形状からして、サラダにするのだろう。いや、IHコンロの上に片手鍋が置いてあるのでもしかすると汁物に使うのかもしれない。
「来栖さんは先に座っててください。そんなに時間かからないと思うので」
料理の様子を観察していると、視線に気づいた涼音に座るよう勧められたので「全然待つから」と手を振って食卓に向かう。
食卓は大きくて、椅子が向かい合って二つずつ置いてあった。
背を向けて座るのはなんとなく気が引けたので、結人は料理をしている涼音と向かい合う形で座ることにした。
座って一段落つくと視点が低くなってかリビングの全貌がよく見えた。
物があまり置かれておらず、家具はシンプルなデザインのもので統一されている。水色のものが多いのは居住者の好みだろう。
それ以外に女子らしい飾りや趣味らしい物は特になく、かと言ってスペースが余り過ぎているわけでもなく物の配置がちょうど良い。男である結人からしても居心地は良かった。
(リビングはこうでも、意外と寝室とかは女子らしかったりするのかも)
そんなことを考えながら料理をしている涼音に視線を移す。涼音は豆腐を自分の掌に乗せて縦横に包丁を入れていた。危なげなく切り分けて鍋に入れていくのは慣れた主婦みたいで料理の練度が伺えた。
手の上で豆腐を切るのは慣れていないと手を切ってしまうし、結人の場合手を切ることは流石にないが、偶に豆腐を崩してしまう。
美人が無駄の無い慣れた手つきで料理をしている様はとても絵になった。
涼音が料理しているのを邪魔して問題が起きるのは互いに嫌だろうし、話しかけるのはやめておいた方がいいだろう。
結人はスマホを取り出して暇を潰すことにした。
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