第5話 親近感

 まさかの展開で夕食をいただくことになったので、結人はあまり買い物をしなかった。会計も早く済んで、今はスーパーの入り口の横で涼音を待っているところだ。


 手提げの中には高頻度で消費する牛乳を二本と、朝食用の食パン五枚切りだけが入っている。夕食を自分で作らなくてよくなったこともあって、ちゃんとした買い物は明日に回すことにした。


 待っている間することもなく、なんとなく空を見上げると紺碧が暗い影を纏っていた。心地の良い涼やかな風が夕方から夜になりつつあることを教えてくれる。


 一人になってやっと落ち着けたので、結人はこれまでの出来事を整理しようと少し前の記憶を思い起こしてみる。

 偶然助けた人物が同じクラスのモテる美女で、その美女に恩義で夕食をご馳走してもらう。フィクションか何かかと疑いそうになる展開だが、これは確かに現実だ。


「……こんなことってあるんだな」


 それでも呆然と呟いてしまうくらいには実感がなかった。


 普段学校で見る涼音は誰にでも丁寧で物腰柔らかく振る舞うが、一定の距離より内側には他人を入れないといった感じだった。

 だからこそ、先程の提案には驚かされた。提案してきた涼音の言葉を取るに、ナンパから助けてもらった恩もあるが同じマンションに住んでいるのが決め手として大きかったのだろうか。


「すみません、お待たせしました」


 涼音の声が聞こえてきて、結人はスーパーの入り口に視線を向ける。


「予定より買う物が多くなってしまったので……」


 涼音は買った品物が中身いっぱいに入った手提げを両手で抱えて持っていた。歩きづらいのかペンギンのような歩き方をしていて、抱えた手提げの向こうから聞こえる声は苦しそうだ。


 予定より買う物が多くなったと涼音は言っていたが、その原因は恐らく自分にあるのだろう。

 買い物中、野菜売り場で涼音は二分の一にカットされた大根を手に取って目利きした後、戻してまるまる一本の方をかごに入れていた。

 結人はその行動を"二人分の夕食にしては足りないと思って一本まるごとの方をカゴに入れた”のではないかと、なんとなく疑っていた。


 買うものが少なくなった結人は涼音に断って先に会計を済ませて外で暇を潰していたが、その間にも涼音は予定より多量になっていった荷物をレジに運んで袋に詰めて……と頑張っていたはずだ。

 そう考えると我ながら申し訳ないことをしたと思うし、そう思うなら次に自分が取るべき行動は決まっている。というか申し訳なさを抜きにしても、この袋いっぱいの荷物を涼音が持ち運ぶのは普通に危なそうだった。


「それ、持とうか?」


「いえ、大丈夫ですよ」


 右手を差し出して提案してみたが涼音はこちらの気遣いを遠慮した。

そのまま結人の横を通って先に歩いて行こうとする……とその時、足が何かに引っかかったのか涼音の上半身が不自然に傾いた。


(危ないっ……!!!)


「…………っ!」


 重力に引っ張られながら、涼音は声にならない悲鳴をあげる。


 考えるより先に反射で身体が動いた。

 転びそうになっている涼音と手提げの両方を掴もうと結人は両腕を伸ばす。

 大した距離もないのでそのまま手提げと涼音を挟むように横から抱いて腕に力を入れた。


 思ったよりも手提げに働く重力が大きくて苦戦したが、歯を食いしばりながらなんとかほぼ腕の力だけで押し上げて安定した状態に戻す。


 自身の反射神経にこれほど感謝したことはないだろう。

 離して大丈夫か目で確認してから、大丈夫そうなのでゆっくりと両腕を離すついでに結人は涼音から手提げを奪う。ずっしりとした重みが右腕にかかってくるが、なんとか持ちやすい方法を模索して肩に掛けるようにすると半分背負うような形になった。


「これは俺が持つよ。どっちにしろ小鳥遊さんの持ち方じゃ前が見えなくて危ないし、そっちが重いもの持ってると軽いもの持ってる俺がダメ男みたいになるから」


「あの、本当にごめんなさい。またお手を煩わせてしまって……」


 心配で顔を覗き込むと涼音は申し訳なさやら不甲斐なさやらで泣きそうな表情をしていた。頬に朱色を浮かべて、大きな瞳が潤んでいる。


「いいよ。最初から俺が持つつもりだったし、なんなら俺の分があってこの量になってるんだろうから俺が持つのが道理だろ。とにかく小鳥遊さんが怪我しなくてよかったよ」


 あのまま転んでもし涼音の美貌が損なわれたとしたら、助けられなかった自分を恨んだだろう。整ったものが傷つく様は見たくなかったし、そうならずに済んだので結人はほっと息をつく。


 それにしても、仕方なく触れた涼音の体は華奢で細かった。結人が強く力を入れたら折れてしまうのではないかと思うくらいに。

 それから、泣きそうな表情はいじらしくて庇護欲を掻き立てられるものがあった。

 結人の知る限りではあのような失敗をする涼音は見たことがなくて、涼音でも人並みに失敗することがあるのだと思うとどことなく親近感が湧いてくる。


 背負った荷物はそれなりに重いが、問題なく歩けそうなのでそのまま歩いて行こうとすると後ろから上着の裾を掴まれた。


「せめてそっちの方は持たせてください」


 どきっとしながら振り返ると、涼音は結人が左手に持っている手提げに視線を向けていた。


「……じゃあ、お願いしようかな」


 断ってこのまま歩いていってもよかった。だが、そうすると手ぶらの涼音が申し訳なさに押しつぶされる気もした。

 「牛乳二本入ってるからこっちもそれなりに重いぞ」と左手の手提げを差し出すと「それぐらい持てますし、来栖さんに比べたら……」と申し訳なさそうに涼音は受け取る。


(……別に気にしなくていいのに)


 そう思ったが結人は口にしなかった。代わりに黙って歩き出すと涼音は隣に並んで歩調を合わせてきた。


---


 辺りはすっかり暗くなって、通りの街灯がぼんやりと光りながら熱を主張している。

 耳を撫でる夜風は冷たくくすぐったい。空気はしんとしていて、音ならどこまででも響きそうだった。


 夜に身を浸していると「そういえば」と隣から声がした。

 横を見ないで「ん?」とだけ、結人は聞こえているという意思表示を返す。


「耳にピアスをつけるのって校則で禁止されてませんでしたっけ」


 ピアスのついている左耳に視線を感じる。


 涼音の指摘はごもっともで、二人の通っている学校ではピアスをつけることはもちろん、そもそも耳に穴を開けること自体が禁止されていた。

 学校が始まった割と最初の方の学年集会で学年主任の教師が素行の面でそんなことを言っていた気がするので、つまるところ結人がしているのはしっかりとした校則違反だった。


「あー、これは……その……ごめん」


「私に謝られても困ります」


 学校では髪の毛でピアスの穴を隠しているのだが、だからといって涼音に言い訳をするのは憚られた。歯切れ悪く謝ると涼音に呆れたような表情をされてしまう。


「それもそうか」と独りごちて結人は少し俯いた。自業自得とはいえ、涼音に言われるのはそれなりに効くものがあった。


「…………でも、私はお洒落で似合っていると思いますよ」


 夜の冷気もあってか、じんわりとくるダメージに内心呻いていると涼音が小さく呟く。その声は小さかったが確かな温かさを内包していた。


「校則違反してる奴になんて気を遣わなくていいんだぞ」


「そうですね……気遣い半分、本心半分です」


 校則違反をしているのは事実で、当たり前のことを言われて勝手に傷心した自分を涼音が気にかける必要はない。

 そう思って言うと涼音が真顔で返してくるので、結人は反応に困ってしまう。


「実際、カジュアルな着こなしに髪型までしっかりしていますし、行動も紳士的で総合的に見ても格好良いと思いますよ」


 結人が微妙な顔をしていたからだろう。涼音は追い打ちをかけてから結人に目線を合わせて微笑んでみせた。


 普通は恥ずかしくて本人を前に言えないようなことを、涼音は恥じらう素振りも無く言い切る。

 きっとこういう嘘偽りなく真っ直ぐな部分も彼女が周りからモテる一因なのだろう。


 言われ慣れない言葉に結人は体がむず痒くなっていくのを感じる。それに自己満足の格好を褒めてもらえたのは素直に嬉しかった。


 じわじわと湧いてくる気恥ずかしさから逃れようと結人は視線を前に戻してから短く「どうも」とだけ、ぼそりと涼音に返す。


 なんとなく目を向けた先の街灯が眩しくて、結人は思わず目を細めるのだった。

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