第4話 偶然の事実と彼女の提案

 高校生が夕食の材料を買いに来るということは恐らく親のお使いか、結人のような一人暮らしかそんなところだろう。


「もしかして小鳥遊さんも一人暮らしだったり?」


 涼音ならなんでも一人でこなしそう、という勝手なイメージをもとに聞きながら、積まれた買い物かごの山から二つ取り出して一つを涼音に渡す。


 涼音は「ありがとうございます」と礼を言って丁寧に両手で受け取った。


「ええ、一人暮らしです。……も、ってことは来栖さんも?」


「うん。……ほら、ここからでも見える大きいマンションがあるでしょ? えっと……ああ、あれだ。あそこに住んでる」


 スーパーの窓からもマンションの大きな影は目立って見えた。口先の説明に加えて補足でガラス越しに大きな影を指差すと、涼音は少し眉を上げて驚いたような反応をみせた。


(なんか小鳥遊さん、さっきから驚いてばっかだな)


 ぼんやり思いながら横目に涼音を眺めていると、涼音は首を傾げてから何かを決心したかのように軽く頷いた。


「その、変なことを聞いてもいいですか?」


「もちろん、なんでもどうぞ」


「……あのマンションって地上階が三十階まであって、地下は三階まであったりします?」


「え? あー、多分そう。最近住み始めたばかりだから詳しいことはわかんないけど」


「そうですか……」


 結人の記憶が確かなら涼音の質問の通りなのだが、エレベーターには地下二階までしかボタンがなく、地下が三階まであるかどうかの自信がなかったので答えは曖昧なものとなった。

 記憶が正しければ、恐らくあるだろう地下三階はエレベーターでは直接行けない地下駐車場だったはずだ。


(それにしても……)


 結人はちらりと涼音を盗み見る。

 普段から控えめに見える涼音が踏み込んだ質問をしてきたのは少し意外だった。

 その当人である涼音は再び首を傾げて考え事をしていた。


 何となく、自分から何かしらの答えを引き出そうとしているのは結人にも分かるのだが、マンションの構造を聞かれただけではいまいちわからない。

 次の質問で涼音の意図も聞きたいことも分かるだろう、そう思って待っていると何かを思いついたらしい涼音がこちらを向いて艶やかな唇を開いた。


「……そういえばエレベーターに消防点検を通告する張り紙がありましたけど、自分の階の日時とか確認してます?」


「あー、そんなのあったな…………って、何でそれを?」


 つい最近、それもこの買い出しのために乗ったエレベーターの中で結人はその張り紙を見かけていた。

 防災システムの点検を告知する張り紙。

 シンプルなデザイン且つ閉塞的なエレベータ内で壁に貼られた掲示物はよく目立っていた。

 でも、なぜ涼音がそれを知っているのだろうか。あの張り紙が貼られ始めたのは割と最近な気がするし、同じマンションに住んでいないと……。 


 そこで一つの可能性に気付いて、結人は涼音の顔を見る。


「…………まさか、同じだったり?」


 思い返せば、先程の涼音の発言はマンションの住人のものだとも捉えられた。あまりに視点が内側からのものだったからだ。そして、そう考えるとマンションの構造について知っているのも合点がいった。


「やっぱりそうでしたか」


 結人が辿り着いた結論に答えるように、涼音は頷いて表情に得心を浮かべた。


「学生証の住所を見た時からもしかしたらと思ってて、さっき来栖さんが指差した時に確信に変わったので聞いてみました」


 ここのスーパーに買い物で来るのだから、涼音もこの近辺に住んでいるのだろうと軽く推測ぐらいしてはいた。

 それがまさか同じマンションの住人なのだとは全く予想だにしていなかった、というかできるわけがなかった。


「マジか。凄い偶然もあるもんだな」


「そうですね」


 共感を求めて笑いかけると涼音はふんわりと微笑み返してくる。

 普段学校で見かける困ったような控えめな笑顔や愛想笑いとは明らかに違う、柔らかく魅力的な涼音の笑顔を結人は初めて見た。……それも結構な至近距離から。


 (小鳥遊ってこんなふうにも笑えるんだな)


 まじまじと涼音の顔を見てしまって、涼音から「来栖さん?」と困惑の表情を向けられる。


「あっ、えと、俺も夕食の買い物でここに来たんだけどさ……」


 慌てて取り敢えず頭に浮かんだ文字列をそのまま口にするも、完成する前に生成途中の文章の断片を口にしてしまったので言葉が途切れてしまった。


 焦って横目で涼音を盗み見る。涼音は陳列棚の食品に目を向けて静かに話の続きを待ってくれていたが、結人の視線に気づくと首を傾げて困ったように笑った。


「えっと……小鳥遊さんの今日の夕食のメニューは何?」


 余計に焦った結人は文脈に全く関係ない質問をしてしまう。

 傍から見ると滑稽だろう自分に心の中で絶望していると、涼音は持っていた手提げからスーパーの広告を取り出した。


「今日はお魚が安い日なので……そうですね、メインはお刺身にします」


 涼音が魚介類売り場に歩き出すので結人は遅れないよう付いて行く。


「あとは炊いているお米にサラダと汁物を作って、作り置きの煮物……ですかね」


 バランス良く栄養も豊富な献立が結人の頭に浮かぶ。いかにも一人暮らしらしい健康的なメニューだ。


「来栖さんは何にするんですか?」


「……実はまだ決まってないんだ。食材を見ながら決めようと思ってたんだけど、あまりピンとこなくて」


 普段なら残り物との都合で作るものを考えてから足りないものを買いに来るのだが、家に残り物がないので全く献立を考えていなかった。


 食材を眺めていれば何かしらアイデアが浮かぶだろうと思っていたが、それもあまり上手くいっていなかった。まあ、これに関してはスーパーに入る前から怒涛の展開で夕食について考える余地すらなかったのもあるが。


「そうですか……」


 涼音は視線を下に向けて顎に手を当てた。

 何か考えている様子なので結人は邪魔しないよう黙って待っているしかない。

 

 考えるという日常的な仕草ですら、涼音がすれば美さを帯びて見えた。その整った美しさは『自然な動作をしている』というより『あえてポーズをとっている』ように見えるまであった。


(なるほど。"人形のような美しさ”はきっと瞬間的な美のことを指すんだな)


 そんなことを考えていると涼音が顔を上げる。

 考え事が終わったのかと涼音の顔を伺うと未だ思案顔のままだった。なにか引っかかることでもあるようだ。


「…………一人暮らしなんですよね?」


「え、うん。そうだけど?」


 事実なので肯定するが、確認する口調に結人は疑問を覚える。

 一人暮らしがなんなのだろう。そう思っていると涼音は意を決したような表情をして口を開いた。


「もし来栖さんがよければ、私に夕食をご馳走させてもらえませんか?先程助けてもらった恩もありますし、同じマンションですし。これも何かの縁ということで」


「…………えっ!?」


 (夕食をご馳走…………!?)


 涼音の言ったことがすぐには理解できなくて、結人は頭の中で内容を繰り返す。

 やっと理解が追いついてきてから断る旨を口にしかけたが、それは喉元で止められた。

 涼音のこの提案が特別なものなのは確実で、簡単に断るのは早計な気がしたのだ。なんなら涼音の手料理は結人の興味をそそったし、せっかく恩を返したいとあちらから申し出てくれているのに考えなしに断るのは悪い気がした。それに、こんな縁は滅多にないだろう。


「えっと……本当にご馳走になっても?」


 色々考えた結果、結人は涼音の提案に甘えることにした。

 一応の確認で聞くと涼音は「もちろんです」と柔らかく微笑む。本人がいいのならいいのだろう。


「じゃあ、よろしくお願いします」


 夕食をご馳走になると考えると、会釈は自然とついてきた。


「いえ、こちらこそ」


 涼音も倣って会釈を返してくる。

 互いに顔を上げた後、どことなく気恥ずかしくなって結人が苦笑いで紛らわそうとすると涼音もそうだったのかぎこちなく笑顔を作っていた。

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